(銀行の簡単な作り方)
銀行を簡単に作る方法を考えましょう。私が新しいバンカ-。私は預金者(預蓄者)に保証書を出します。書類と交換に何らかの財物、金銀正貨有価証券でも穀物煙草織物等の物財でもいい、を渡すと約束。私の信用だけでは不安なら近隣の資産家に保証してもらいます。私は顧客に保証書を貸すこともできます。
このやり方は大銀行が君臨する大都市ではやりにくいが、辺境のフロンティアでは結構通用します。産業勃興期の社会でも同様。そういう場所では経済が単純だから保証はなにも金銀正貨でする必要はありません。土地で一番人気のある商品、穀物・煙草・砂糖・塩時にはビ-バ-の毛皮、で間にあいます。要は、一定の範囲で保証書が交換され換財されればいいのです。この紙切れの交換価値を住民が信用し認めれば、物財の循環は円滑になり生産は増加し、富は増えます。富が増えればこの地域通貨は中央の正貨に対して一定の価値を獲得します。私は預託された物財を大都市に転売することもできます。こうして私の銀行が発行した保証書、銀行券と言います、は中央の正貨とドッキングします。後は万事めでたしめでたしです。
私がバンカ-として成功する為には条件が二つあります。その土地で生産行為が可能でなければなりません。耕作可能な広い土地がある、森林から大量の木材が切り出せる、有望な鉱山や漁場がある、新しい工場をどんどん作れるなど。しかし資金(あるいは生産行為に必要な物財)が少ない。そこで私と保証人の信用でこの資金物財をかき集め、それを循環させます。
第二の条件は私の信用です。信用さえあれば貨幣あるいはその代用物は通用します。これを信用創造と言います。だから信用創造の別名はペテンです。読者はこの事を銘記してください。
アメリカの地方銀行はたいていこの手でできました。ただこの種の銀行は基盤が薄弱でいつ潰れるか解りません。信用がなくなると取り付け騒ぎでパニック。預金はぱ-で保証書銀行券は紙屑同然。私は夜逃げします。それで万事終わり。リスキ-なこんな銀行が開拓期のアメリカでは必要とされました。資金がなく未開拓のままであるより、一将功成って万骨枯れる方がましです。成功した企業を中心にその地が開発され雇用が増えればいいのです。
だからアメリカにはなかなか中央銀行ができませんでした。中央銀行を作って地方の泡沫銀行を統制すれば金融は安定します。反面地方は資金不足になります。だから中央銀行設立大反対。米国には厳密な意味での中央銀行はありません。連邦準備理事会(FRB)という日独英仏に比べればはるかに地方分権的な中央銀行らしき組織があります。FRBの影響下にない州立銀行も沢山あります。アメリカに例をとりましたが同じ事は明治大正期の日本、19世紀後半のドイツも同じ。時期の相違はあれオランダや英仏も同様です。産業が勃興し資本主義経済が離陸する時はどこも似たようなものです。泡沫銀行の族生。こうして資金を集め運と能力に恵まれた者が勝ち残ります。この混沌とした物騒な過程を経ることなくして経済の繁栄はないのです。
(付)
銀行の機能にはいろいろあります。主たるものは手形割引、貯蓄、発券です。初めの頃の銀行はこの機能すべてを備えていました。しかしそれでは通貨量が不安定なので、いわゆる中央銀行一本に発券資格が絞られました。普通銀行は貯蓄のためと単純に理解されがちですが、重要なのは手形割引です。手形とは負債です。この負債を転々と転がしているうちに、どこかで負債が通貨になりました。この負債として手形を銀行自らが発行したものが銀行券通常紙幣といわれているものです。
通貨は債務証書と覚えましょう。この認識は重大です。信用さえあれば通貨はいくらでも発行できるのです。この通貨量の調整は中央銀行の役割ですが、それを超えた発券も可能です。また私の憶測ですが、手形割引の機能に銀行が参入することにより、銀行は君主や国家の恣意的暴力から自らを守ることができるようになりました。手形は交換と流通の血液です。もしこの機能を止めたら国家も君主も持ちません。通貨を債務証書と理解すれば、難しげな政策や提案もすぐ理解できます。
もっと極言すれば、通貨とは信用です。欲望成就可能性への信用です。
銀行を簡単に作る方法を考えましょう。私が新しいバンカ-。私は預金者(預蓄者)に保証書を出します。書類と交換に何らかの財物、金銀正貨有価証券でも穀物煙草織物等の物財でもいい、を渡すと約束。私の信用だけでは不安なら近隣の資産家に保証してもらいます。私は顧客に保証書を貸すこともできます。
このやり方は大銀行が君臨する大都市ではやりにくいが、辺境のフロンティアでは結構通用します。産業勃興期の社会でも同様。そういう場所では経済が単純だから保証はなにも金銀正貨でする必要はありません。土地で一番人気のある商品、穀物・煙草・砂糖・塩時にはビ-バ-の毛皮、で間にあいます。要は、一定の範囲で保証書が交換され換財されればいいのです。この紙切れの交換価値を住民が信用し認めれば、物財の循環は円滑になり生産は増加し、富は増えます。富が増えればこの地域通貨は中央の正貨に対して一定の価値を獲得します。私は預託された物財を大都市に転売することもできます。こうして私の銀行が発行した保証書、銀行券と言います、は中央の正貨とドッキングします。後は万事めでたしめでたしです。
私がバンカ-として成功する為には条件が二つあります。その土地で生産行為が可能でなければなりません。耕作可能な広い土地がある、森林から大量の木材が切り出せる、有望な鉱山や漁場がある、新しい工場をどんどん作れるなど。しかし資金(あるいは生産行為に必要な物財)が少ない。そこで私と保証人の信用でこの資金物財をかき集め、それを循環させます。
第二の条件は私の信用です。信用さえあれば貨幣あるいはその代用物は通用します。これを信用創造と言います。だから信用創造の別名はペテンです。読者はこの事を銘記してください。
アメリカの地方銀行はたいていこの手でできました。ただこの種の銀行は基盤が薄弱でいつ潰れるか解りません。信用がなくなると取り付け騒ぎでパニック。預金はぱ-で保証書銀行券は紙屑同然。私は夜逃げします。それで万事終わり。リスキ-なこんな銀行が開拓期のアメリカでは必要とされました。資金がなく未開拓のままであるより、一将功成って万骨枯れる方がましです。成功した企業を中心にその地が開発され雇用が増えればいいのです。
だからアメリカにはなかなか中央銀行ができませんでした。中央銀行を作って地方の泡沫銀行を統制すれば金融は安定します。反面地方は資金不足になります。だから中央銀行設立大反対。米国には厳密な意味での中央銀行はありません。連邦準備理事会(FRB)という日独英仏に比べればはるかに地方分権的な中央銀行らしき組織があります。FRBの影響下にない州立銀行も沢山あります。アメリカに例をとりましたが同じ事は明治大正期の日本、19世紀後半のドイツも同じ。時期の相違はあれオランダや英仏も同様です。産業が勃興し資本主義経済が離陸する時はどこも似たようなものです。泡沫銀行の族生。こうして資金を集め運と能力に恵まれた者が勝ち残ります。この混沌とした物騒な過程を経ることなくして経済の繁栄はないのです。
(付)
銀行の機能にはいろいろあります。主たるものは手形割引、貯蓄、発券です。初めの頃の銀行はこの機能すべてを備えていました。しかしそれでは通貨量が不安定なので、いわゆる中央銀行一本に発券資格が絞られました。普通銀行は貯蓄のためと単純に理解されがちですが、重要なのは手形割引です。手形とは負債です。この負債を転々と転がしているうちに、どこかで負債が通貨になりました。この負債として手形を銀行自らが発行したものが銀行券通常紙幣といわれているものです。
通貨は債務証書と覚えましょう。この認識は重大です。信用さえあれば通貨はいくらでも発行できるのです。この通貨量の調整は中央銀行の役割ですが、それを超えた発券も可能です。また私の憶測ですが、手形割引の機能に銀行が参入することにより、銀行は君主や国家の恣意的暴力から自らを守ることができるようになりました。手形は交換と流通の血液です。もしこの機能を止めたら国家も君主も持ちません。通貨を債務証書と理解すれば、難しげな政策や提案もすぐ理解できます。
もっと極言すれば、通貨とは信用です。欲望成就可能性への信用です。
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