(銀行とバブル、似たようなもの)
ペテンの最たるものが中央銀行の設立。イングランド銀行に例を取ろう。1689年の名誉革命でイギリス王位に着いたウィリアム王には対フランス戦の費用がなかった。即位の事情が事情だけに叛乱の可能性は大きく、フランスは虎視眈々。イギリス革命そのものが税金問題に端を発しているだけにうかつな増税はできない。オランダから婿養子として招聘された王様だから権威の方ももう一つ。フランスとの戦争は避けられない。ここで無い袖を無理に振る。当時のイングランド銀行は大銀行とはいえ一民間銀行。銀行と文無しの王様が組む。国王は国債を発行する。国債をイングランド銀行が買い、代わりに同額の銀行券の発行を国は許可。自動的に銀行券は中央銀行券として認定される。銀行券を銀行は貸し出す。もちろん兌換券。
銀行による債務保証と国家による中央銀行券の認可、という持ちつ持たれつの関係。銀行も国家も何も出していない。相互保証だけ。しかし銀行券は流通し国債も民間で買われる。銀行には金貨または紙幣が還流する。政府は将来の租税から国債の利子を払う、と言う。以上の過程を信用創造と言う。要はなにやら巨大で信頼できそうな二つの組織がお互い保証しあっているという関係だけ。「銀行の作り方」で述べたのと同じ。当時の銀行はすべてこの流儀で作られた。要は相互保証、時として「相互」は無くていい。だから国中にはいろんな銀行の銀行券があふれていた。やがてイングランド銀行が唯一の発券銀行、つまり中央銀行になり、他の銀行はそこから出た銀行券を扱うのみとなる。
ほぼ同時代フランスでも同じような事件があった。しかしこれは金融の歴史における一大スキャンダルとされる。ジョン・ロ-事件。ジョン・ロ-の出身はスコットランド。フランスに来てカペ-王家の連枝である大貴族に取り入る。ルイ15世の時代。ここも戦争で台所は火の車。ロ-は王立銀行を設立し銀行券発行の許可を与えられる。これをフランス政府が借りて支払いに当てる。これも相互保証。銀行券は正貨である金貨への兌換を保証され約束は厳格に守られると言明される。ロ-の銀行の信用は高まる。そこでロ-は更に壮大なプランを提案。シシッピ-河沿岸の開拓の為の株式会社設立。株式証券の発行。まだ見ぬ未開の大地が担保。株の高騰。銀行券の増発。しかしここで行き詰まる。株の購入によって得られた資金は開拓会社よりもフランス政府の負債の支払いに専ら当てられた。裏の事情がどうなっていたかは解らない。会社の実活動が無いのだから収益は上がらず、株は暴落、銀行も破産。ロ-とフランス政府が共謀して詐欺を働いた事になる。ロ-は以後南フランスの修道院で懺悔の日々を送ったとか。
イングランド銀行設立とロ-事件、一方は資本主義あるいは金融機関の国際的牙城として栄え、他方はスキャンダルの典型として有名。結果は極めて対照的。しかしやり口は同じ。国家と銀行の相互保証。平たく言えば共謀して無から有を産まんとする企み。ロ-の方が性急でやりすぎた。違いは英仏政府の支払い能力、信用度、産業活動の差。産業が発展すれば税収も増え国債の支払は可能になる。イングランド銀行は100年の前史を持つ一応の老舗、ロ-は成り上り者。が、ロ-の方法は決して非合理的ではない。銀行と株式会社を相継いで設立する性急さにやばさはあるが、やり方は魅力的だ。ロ-事件への評価は経済学者の中でも分かれる。しかしこのくらいの事がないと経済なんかおもしろくない。
同時代英国でも似た事件は起こった。アフリカ開発が手品の種。英国の金満家がこの会社の株を買い、結局ぱ-。称して南海泡沫会社事件(South See Bubble Company)。バブルの語源となる事件。バブルバブルと悪く言うが、好景気とバブルの境は紙一重。バブルを覚悟しないと経済は立ち行かない。バブルに乗るのは本人の勝手。一攫千金の夢を見る。損をするのは当人の自由。ばくちに負けたと騒ぐのは馬鹿。良い夢見たと思えばいいのだ。ジョン・ロ-は18世紀前半の人、世紀後半には日本に田沼意次という敏腕家が現れ、似たような事をやらかし悪評を一身に浴びている。どこの国にもある話。
(追記)
18日の読売朝刊に、中川経済産業大臣が記者会見中の居眠りで辞職と。居眠りして彼は何か国家に損害をあたえたのか?でなけれ叱責くらいで良いのでは?世の中変に道徳的になりすぎている。読者のお叱りを承知の上でいささか非常識な意見を申し上げる。清潔になりすぎるとろくなことはない
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