経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

日本人のための政治思想史(14) 親鸞と日蓮

2014-08-05 02:07:35 | Weblog
(14)親鸞と日蓮
 仏教は前6世紀釈迦の説いた教えです。釈迦は、縁起無我、心身宇宙を構成する要素である「我」は存在しない、だから苦や死は存在しないと教えました。我とは何かということに執着したのが釈迦の後裔達です。彼らは我の定義論証にこだわり煩瑣な理屈に陥り、後年小乗仏教と貶称されました。竜樹により仏教に一大転機が訪れます。彼は仮空中、つまり現象もその否定もともに相互補完的であり、常に流動している、だから個人はこの流動し変転する現象に即時的即時的に決断をもって対処しなければならない、と非常に厳しいことを言いました。竜樹の説と併行して菩薩道思想が出現します。菩薩とは成道往生の一歩手前で反転して人界に降り、大衆を救済する方々です。菩薩道を実行することにおいてのみ真の救済はある、とすると救済は救う救われるの相互関係においてのみありうることになります。重要な経典としては般若経、そしてそこから分かれて発展した華厳経と法華経の三つがあります。華厳経は、世界のすべては釈迦の顕現でありだから人間はすべて救われていると説きます。華厳経の楽観性を強調して如来蔵思想が現れます。その継承者が禅宗や密教浄土教です。法華経は竜樹の思想の個人性を乗り越えます。菩薩道を重視し菩薩道しか救済に至る方法はない、人間はすでに救済されている、各個人は釈迦そのものなのだ、だから釈迦の分身として団結して社会的行動を起こすことによって救済にあずかる、と法華経は説きます。
 日本にはこれらの思想のすべてが輸入されました。平安中期には主な仏典の伝来は完了します。平安時代前半は密教、後半は浄土教が盛んでした。浄土教の盛行とともに仏教の大衆化が起こります。浄土教あるいは浄土思想では単純に極楽往生を願い、そのために南無阿弥陀仏を唱えます。唱えるだけでいいのです。空也や源信により広められましたが、浄土教を理論化したのは法然です。唐の善導は、どんな悪人でも最後に南無阿弥陀仏と唱えれば救われると説きました。法然はこの善導の教えを更に展開させて、不回向、つまり信心の心がなくても往生できると言いきりました。ここで仏教理論の一大転機が訪れます。法然は信仰におけるゼロを発見したのです。法然の教説を真正面から受けついだのが親鸞であり、否定しつつ受けついだのが日蓮です。
 親鸞は12世紀後半平安時代末期に下級公卿の子として京都に生まれます。叡山に入り修行します。常行三昧堂の法師をしていました。常行三昧とは浄土念仏の演出の一種です。彼は煩悩、性欲への対処に悩まされます。六角堂で夢告を受け、31歳法然の弟子になります。法然の主著「選択本願念仏集」を拝読し、法然に信頼された高弟になります。念仏排撃の運動と弟子の不祥事から法然は流罪になります。親鸞も越後に流されます。この前後親鸞は結婚します。許されて関東に行き常陸で念仏を広めます。この間そしてそれ以後40年にわたり「教行信証」を書き続けます。この本は華厳経を背景として如何に善導の教えを理解するかという、親鸞の思索の軌跡です。60歳を超えて京都に住みます。関東の弟子達との間で書簡をやり取りします。不朽の名著「歎異抄」も書き上げます。80歳前後教団に内訌があり、実子善鸞を義絶します。九十歳死去。
 親鸞の思想は彼が60歳を超えた時から明確な形をとり始めます。彼独自の思想を表す文献は、書簡と歎異抄です。善導は南無阿弥陀仏と唱えれば弥陀の慈悲でどんな悪人でも救われると言いました、法然はそれを受けて思想を深化し、信心がなくとも唱えればそれだけで救われると説きました。親鸞は更に一歩を進めます。悪人正機の説です。善人なおもて往生すいわんや悪人をや、善人だって往生する、まして悪人が往生しないなんてことがあるものか、と説きます。自らを悪人、煩悩具足の仏とします。臨終往生も否定します。人間は悪人であるが、悪人のまますでに救われているのだ、だから臨終に往生なんか期待する必要はない、と言います。人間がすでに救われているのだから、臨終往生などのわざとらしい事は不要だとなると、教団制度そのものも要らないことになりかねません。親鸞の思想はまことに過激です。
親鸞は自己の煩悩、性欲への対処に苦慮しました。煩悩に悩む自己の救済を弥陀、阿弥陀如来に求めます。師匠の法然の不回向という破戒ともいえる信仰態度を受けつぎ、反転して自己を弥陀と等置した時到達した境地が悪人正機です。親鸞はこの境地を、如来等同、と言います。如来と自己は等しいのです。親鸞は、人間は煩悩を抱いたままで往生できる、本来如来そのものなのだ、だから教団は要らないし、修行の必要もない、そんなものは返って往生の妨げになると言います。これが親鸞の思想の真骨頂です。親鸞は悪人という人間に共通の基盤を肯定することにより人間そのものを発見し救済します。
 日蓮は徹底した反浄土教ですが、法然の影響を強く受けています。彼の思想の核心である折伏逆化は悪人正機を論理的に整合化し深化したものです。日蓮は13世紀前半、安房国に生まれます。日蓮は自己の出自を曖昧にしていますが、在地の名主層の出身でしょう。近くの寺に入り念仏を学びますが釈然としません。日蓮は浄土念仏による救済を信じられないのです。鎌倉そして叡山延暦寺に留学して猛勉強をします。達した立場が法華一乗、法華経のみが救ってくれるという境地です。日蓮は、親鸞が個人の救済にすべてをかけるのに対して、徹底的に国家そして政治の役割を重要視します。これは法華経に本来内在する態度です。法華経は、法華経のみが正しい、法華経は菩薩道を徹底して説いた万人救済の経典である、法華経を弘布するためには異宗派と妥協することなく戦わねばならない、と説くので弘布は集団行為になり、弘布する対象も集団になります。法華経は共同体従って国家と政治を重視します。日蓮は法華経に内在するこの政治性を大胆に引き出し強調します。政治を信心の前面に出した以上弘布は戦闘的になります。彼は時の幕府に「立正安国論」を提出し、法華一乗の立場から他宗派を容赦なく攻撃します。二度の流罪、二度目の佐渡流罪の時本当は死罪と決まっていました。
 流された佐渡で、日蓮の思想は大転回します。それまでは法華経が正しいから日蓮は正しいと単純に直線的に考えていました。佐渡の流罪で一度は死を覚悟します。弟子達の多くは離反します。日蓮は考えます。正しい教えを広めてなぜこんな迫害にあうのか、法華経は正しくないのかという深刻な疑問に襲われます。日蓮の思想は転換します。彼は法華経に書いてある、法華経弘布に際して迫害を蒙った菩薩達の事跡を思い起こし、法華経が正しいから日蓮が正しいのではない、迫害にあっている日蓮は法華経に書かれている通りのことをしている法華経の行者なのだ、日蓮が迫害に会う事で法華経の正しさが証明されているのだ、法華経が正しいから日蓮が正しいのではなく、日蓮が正しいから法華経が正しいのだ、と考えます。この思想転換の過程を述べた著作が「開目抄」です。
 日蓮の思想は展開されます。法華経の正しさを体験するためには、積極的に迫害を蒙らねばならない、法華経の正しさを説く過程で現れる、説くものと説かれるものとの間に介在する対立と罪悪感の中に、相互の業が現れ両者は救済される、法華経の正しさが証明されるとします。この過程を日蓮は逆化といいました。説法する折伏する過程で逆説的に出現するので折伏逆化と言います。これが日蓮の説く最高の境地です。折伏逆化では説くものと説かれるものは相互補完的関係になります。両者はともに救済されます。ですから両者は平等です。同時に法華経の内容自身よりも法華経を説く事が重要になります。法華経と行者の関係は逆転します。行者あっての法華経であり、人間あっての経典です。日蓮は法華経を超えます。彼に従う者も法華経を越えます。人間であるから既に救済されているのです。その証しとして南無妙法蓮華経と唱題することが勧められます。過程こそ違え結論は法然親鸞のそれと同じです。菩薩道を行なうことは社会改革を進めることです。日蓮は政治を発見し、政治行為の実践の中に救済はあるとしました。
 鎌倉時代は新興の武士と農民が台頭し活躍し始めた時期でした。親鸞と日蓮は、彼ら二人だけではありませんが、この時代に生きて、人間は本来救済されているという原則の下に、易行(簡単な行為)の念仏(南無阿弥陀仏)と唱題(南無妙法蓮華経)を救済の証しとして信者達に勧めました。新しい時代にあった大衆仏教が登場します。これらの新興の仏教を鎌倉新仏教と言います。なお念仏も唱題も禅定の簡易版という性格を持ちます。
 悪人正機も折伏逆化も信心の最高境地であり同時に信心の否定でもあります。煩悩欲望を好きなだけ満たしてもいい、論争闘争を好きなだけやれ、と言うのですから。事実日本の歴史において一番戦闘的であったのは、親鸞が創始した浄土真宗と日蓮を祖師とする日蓮宗です。当局に一番にらまれたのもこの二宗です。ところで信心あるいは信仰を否定する事を介して信心を涵養し発展させるような宗教は他国の歴史にはありません。日蓮や親鸞のようなことを言えば他国ではまずこの世から追放されます。考えてみましょう。日本仏教の論理倫理はなんと鋭利で寛容で広闊で深遠なことかと。日本人は思想的生産性を豊かに持ちます。親鸞や日蓮の思想に内在する、思想の逆説性は既に仏教に内在していたものです。それを取り出して明示したのが彼ら二人です。信心における逆説を唱えることによって、日蓮も親鸞も自身で仏如来になりました。彼らは釈迦と等しい境地にまで自らを運びます。以後鎌倉新仏教の創始者達はすべて祖師として釈迦と同格な者になります。
 私はなぜ日本人の識字率は高いのか、民度が高いのかと考えます。答えの一つが親鸞日蓮に代表される鎌倉新仏教、大衆仏教の存在です。親鸞も日蓮も弟子達に多くの手紙を書いています。当然弟子達は法華経や浄土三部教も読まなければなりません。民衆仏教の発展も識字率と民度の高さに貢献しています。
 繰り返しますが親鸞と日蓮は仏教、より一般的には宗教というものに内在する否定の論理を明確に析出させ、現世の肯定の中に救済を見出し、信心を簡易なものとし大衆化しました。それは人間と政治の発見であり、平等な人間が為す政治行為の弁証でもあります。

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