経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

在日外国人との対話

2018-05-29 18:24:04 | Weblog
  在日外国人との対話
 私は外国へ行ったことはない。旅行留学すべてチャンスがあったが日本以外の地を踏むことはなかった。理由は多忙であったからである。だから外国人の知人は少ない。この寡少な交際から、私が感じ経験した事を話そうと思う。その結論は国籍が違えば異文化の理解は極めて難しいということである。
 40年来親密に付き合ってきた在日韓国人と数週間前に出会った。彼は韓国済州島の出身で、昭和23年に起こった済州島動乱を避けて日本に移住してきた人の子供である。5月だったか4月だったかのある日がこの動乱の日であると新聞で読み、「貴方の一家はこの動乱を避けて日本に逃れたのだね」と話しかけた。とたんに返ってきたのが「日本兵に殺された、日本兵が済州島住民を並ばせ片っ端から銃殺した」という言葉であった。昭和23年と言えば日本降伏(昭和20年8月15日)より3年後である。この時点で日本兵は居ない、少なくとも武装解除されている。この明白な矛盾を指摘したところ、彼は当惑し黙り最後に、治安部隊により殺された、と言った。私は、それは韓国の治安部隊だろうと言うと彼は黙ってしまった。日本兵に殺されて日本に移住するのも変な話だとも指摘した。彼が納得したか否かは知らない。彼は朝鮮学校(北朝鮮系)で教育を受けている。そのせいかも知れない。このような矛盾した誤った歴史認識を持っていると、あるいわその旨吹き込まれるとどんな歴史でもねつ造できる。現在日韓双方で問題になっている朝鮮人慰安婦強制連行や徴用工の問題も、前記の捏造された歴史認識と共通する問題であろう。このような状況ではどんな事実(?)が飛び出してくるか解らない。
 次は台湾人の話。彼は45年前日本に留学しそのまま日本で仕事をしている知識人だ。極めて親日的であり、台湾で終戦後(日本が降伏した後)進駐してきた蒋介石軍によるいわゆる2・28事件で3万人の本省人(日本統治時代から住んでいた本物の台湾人)が虐殺された事実を熱っつぽく語ってくれた人である。私も2・28事件や戦後蒋介石軍が台湾で何をしたかは彼から聴いて初めて知った。彼の名前は日本統治時代を反映して日本風であり、そのことに彼は誇りすら抱いている。
 その彼が言ったことで奇妙かつ鮮烈に覚えていることが三つある。一つは、沖縄で話されている言葉が、台湾(あるいわ福建)方言である、ということである。この発言は沖縄は潜在的に台湾より広く漢民族の領土であることを含意する。また彼は尖閣諸島は戦前の地図では台湾の一部であるとも言った。含意する意味は同様である。も一つは彼が来日当時最も人気のあった漫画(ドラえもん)は日本で出版後一週間で台湾語に翻訳されて出版されると自慢したことである。私はびっくりして、作者と出版社の許可を得ているのか、稿料を支払っているのかと質問したら、彼は私の質問の意味が解らなかったらしくキョトンとしていた。シナによる知的財産権の侵害は夥しいが、台湾も同様だな、民度が低いなと実感させられた。
 最後は私が以前ドイツ会話を習っていたドイツ人女性の話。日本とドイツの間に政治的懸案事項が無いように、私と彼女の間にもそれはない。私が、かって日本はドイツからいろいろな事学んだ、第二次大戦以前にはアメリカからもドイツへの留学者多かった、と話しているうちは彼女は機嫌が良かった。私が、ドイツは英仏に比べて発展が遅れて出発したと(これは事実である)言うと彼女は猛烈に反論してきた。かなり激しい討論になったが、彼女の方が当然私よりドイツ語が上手いので私は沈黙を強いられた。この時私はつくづく民族意識(ナショナリズム)というものを実感した。
 私の寡少な外国人との交際の中で私が実感したのは、国が違えば事実認識は大きく変わるものだと言う事であった。私がドイツやフランスの文学に通暁することは不可能に近い。(ちなみに私はゲ-テやト-マス・マンの作品の多くは原語で読んでいる)同様に彼らが歌舞伎や能楽あるいわ和歌俳句を理解することも難しい。他国の歴史を理解し他国に自国の歴史を理解させる大変なことだ。
(注)沖縄で使われている言葉即ち沖縄(琉球)方言は明らかに日本語だ。沖縄出身の同級生がそう言った。なお岩波書店出版の「日本思想大系」には沖縄の文学「おもろそうし」が収録されている。実際話され記録されている言葉が何語に属するかは民族意識と領土問題にとって極めて重要なことである。独仏はアルザスロレ-ヌ(エルザスロ-トリンゲン)の帰属をめぐって数百年に渡り争っている。最近気になることが一つある。NHKの大河ドラマ「西郷どん」で奄美大島の方言をわざわざ標準語に翻訳して字幕に乗せていることである。奄美大島は沖縄方言の延長上にあるという話だ。この事実は取用によっては奄美沖縄では日本語が使われていない(いなかった)ともとれる。少なくともシナはそう取るだろう。シナが尖閣のみならず沖縄奄美はては九州を虎視眈々と狙っていることは事実だ。