経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

セクハラと魔女裁判

2018-05-08 18:35:48 | Weblog
  セクハラと魔女裁判
 西欧中世の時代に異端審問という制度があった。カトリック信仰にあって教会の意向言説に相反すると見られた思想信条は異端として弾劾され処罰された。多くの人がこの審問により火刑に処せられた。異端審問にあって告発者は匿名であり、審問手続きは一切公開されなかった。つまり暗黒裁判である。
 異端審問の延長上に魔女裁判がある。魔女への弾劾は西欧社会にあっては中世初期からあったが1490年前後二人のドミニコ会修道士が「魔女の槌」という書物を公刊してから以後2世紀以上にわたり魔女裁判は盛況を極め荒れ狂った。魔女として告発される者は寡婦・老女・未婚女性であり、告発の理由は些細なことである。例えば家畜が病死した、作物の成長が悪い、誰かが悪口を言っている等々の事柄が告発の理由になった。異端審問同様魔女裁判においては告発者不明・手続き不詳である。共同体の存続にとって不快な者を大した理由もなく抹殺する、それが魔女裁判である。魔女であるか否かは極めて古拙で不合理な方法で決められる。例えば魔女として告発された女性の両手両足を縛り川に投げ込む。もしその女性が浮かび上がれば魔女、沈めば魔女でないと判断される。浮かび上がれば処刑され、沈めば死ぬ。どちらにしても死は免れられない。処刑はすべて火刑(火あぶり)である。16世紀と17世紀の200年間にわたり処刑された魔女なる者は1000万人を超える。一年になおして五万人の女性が欧州において火あぶりにされていたことになる。ちなみに欧州以外の地での魔女裁判あるいはそれに類する事案は見当たらない。もちろん日本ではこのような事例は一件もない。
 なぜ私は魔女裁判に言及するのであろうか。それは今日騒がれているセクハラ問題と根底において通じるものがあるからである。セクハラ問題は男女の方向を変換した現代の魔女裁判である。告発者である女性は女性であるがゆえに、女性の羞恥心なるものの故に、匿名が許される。公開され曝されるのは男性だけである。加えてセクハラが成り立つ理由は、女性がそう感じた、からである。匿名そして女性の側の些細な(あえて些細と言う)理由と一方的主観ゆえに告発の手続きは公開されえない。これは魔女裁判ではあるまいか。
 ここで女性の羞恥心について一考してみよう。女性は子供を産む。子供の成長のためには母体は保護されなければならないし、育児成長に責任を持つ父親は同定されなければならない。だから女性は保護される。これが羞恥心・貞節の原点である。強姦されればあるいはそれに近い行為をされれば生まれてくる子供の父親が誰かには不審の念が生じる。だから女性には特に貞節が要求される。貞節を保護するものとして羞恥心がある。セクハラで取り上げられる事件はこれとは次元を異にする。酩酊して猥雑なことを言ったとかなど云々の事案は女性の貞節に影響しない。不快なら相手をひっぱたいて席を抜ければいい話である。まして「貴女はきれいだね」と言ったのがセクハラになるのなら男女の会話もしようがない。女性が主観的に男性の発言を不快と受け止めればセクハラになるのならセクハラはいついかなる時においても成立する。夫が妻に触った、妻は不機嫌だった、夫は妻にセクハラをした、云々のようになる。私は二つ例示したがこのような事例は真実存在するのである。繰り返すが女性の羞恥心故の弱さ(?)を理由に匿名で告発可能なら男女の関係は一切成立しない。バ-酒場飲み屋の酌婦に対してもセクハラは成立することになる。そうなれば飲食店などは営業不可能になる。歓楽は文化の一要因である。文化は衰退する。
 セクハラ問題はフェミニズム運動の一環である。フェミニズムは男女の解剖生理学的差異を無視し男女同一を主張する。結果は事実婚か(法律により認可されない婚姻と解していいのか)同性婚である。家庭は破壊され婚姻秩序は消滅する。そこからは二つの事が予想される。一つは結婚回避・男女交際忌避(正直セクハラ云々と言われれば危なくて男女関係は結べない)である。当然人口は激減する。もう一つは男女が好きな時に大した理由も覚悟もなく行う乱交際・乱婚である。多分この二つの事項が同時に起こるであろう。いずれにしても人口減少・社会衰弱に至る。