経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

セクハラとスト-カ-

2018-05-11 19:14:42 | Weblog
    セクハラとスト-カ-
 セクハラとは極めて曖昧な概念である。強制猥褻とも違うようだ。後者は陰部に触る、陰部を押し当てる、無理やり抱き着く、乳房をもてあそぶなどの行為を指すらしい。これらの行為は強制わいせつ罪として刑法上の罪と認定され罰せられる。だからセクハラはそれ以外のより軽微な性的行為ということになる。もっとも軽微な性的行為という概念もはなはだ曖昧である。加えてセクハラが成立する条件として一方の側が、そう感じた事が付加される。簡単に言えばセクハラとは、男女間における若干猥雑な会話および極軽い身体接触を意味する。加えて「そう感じた」という事も加味される。
 ところで男女間におけるいささか猥雑な会話及び軽微な身体接触は恋愛の基本的要因である。冗談・諧謔・暗示・ほのめかし・嗜虐性などの要因を除いてしまえば男女間の会話は極めてつまらないものになる。またこのような雰囲気を感じさせることも男女間(極端に言えば恋愛)の会話にあっては肝要なこととなる。そう感じさせないと面白くない。いわば会話とはある種の操作であるのであり、その傾向は男女間の会話において著名となる。元来言語とは極めてエロティックなものである。同性異性を問わず言語の交流は必ずそこにある種の性的雰囲気を醸成する。朝出勤して男が女に(逆も可)おはようと言った場合そこには極極軽微なエロスが胚胎する。この雰囲気を否定すれば社会的関係は極めてぎすぎすしたもの、学校での授業講義か、法廷での弁論判決あるいは寺院での説法説教のごときものになるであろう。男女間にあっては交流それ自体が性的要素を充分に持っているのである。男女間の言語交流を簡単に概括すれば、諧謔・嗜虐・操作ということになる。これが転じれば好意とも猥褻ともなりうる。繰り返すが男女間の会話はそれ自身が性的であり恋愛の本質を為すものである。
 次にスト-カ-行為(以下STと略記)。STとは男女の一方が(断っておくがSTは男の側にのみあるのではない)他方を好きになり、自己の意志を押し付けようとし、まとわりつき、相手が拒否してもその拒否を受け入れず、尾行し待ち伏せ、自己の意志を貫徹するために最後は相手を破壊殺害する行為である。ニュアンスにおいて無理心中・被愛妄想とは若干異なる。男性は体力において勝るから女性に物理的被害を及ぼし得る。女性は相手の社会的地位職業活動を妨害毀損する事ができる。だからSTは怖い、極めて怖い。
 そしてSTも恋愛の本質を為すのである。そもそも相手に対して自己の意志を貫徹しようというくらいの気概がなければ恋愛などできない。面と向かって「私は貴方(女)が好きです」と言うには勇気がいる。返事次第では奈落の底に沈みかねない。相手はどう思っているか解らない。だから上記の文言は取りようによっては、セクハラでもありSTでもありうる。セクハラにもSTにも操作と言う要因はある。相手を操作してやるという意向がなければ恋愛はできない。相手を操作し、自己が受け入れられたと感じると同時に自己の意志に従わせたという局面に恋愛のある種の中毒性とも言える面白さがあるのである。だれでも好きになった相手に偶然あったようなそぶりで出会ったり、相手の家の近辺をうろついた経験はあるはずだ。
 自己の意志を押し付ける行為の究極は相手を肉体的にあるいは社会的に破壊することである。そして当然自己も破壊される。従ってSTとはほぼ無理心中になる。そしてこの「死」は恋愛の本質でもある。「死」という要因を欠いて恋愛は成立しない。恋愛が文学化された場合必ず悲劇の様相を帯びる。カップルのどちらかあるいは両方が死ぬかである。より温和な結末が出家である。両者が結ばれてめでたしめでたしでは文学にならない。例を挙げれば、曽根崎心中、ロメオとジュリエットなどがある。いずれも古今東西の名作である。
 セクハラは恋愛の入り口に、STは恋愛の出口に位置するがともに恋愛の本質である。では両者はどのように関係するのであろうか。一言で言えばセクハラつまり軽微なる猥雑性をある程度容認し日常の性的雰囲気に肝要であるほど、STは減るあるいはその程度が軽度になるのではなかろうか。STとは一方的に思いつめることである。この際もし周囲に友人がおり相談できればSTは減る。念のために言えば恋愛において同性のみならず異性にも相談できることは非常にストレスを軽減する。こういう雰囲気が成り立つためには性的雰囲気あえて言えば軽微な猥雑性に肝要でなければならない。なんでもかんでもセクハラセクハラと騒ぎ立てては恋愛の当事者は思いつめてしまう。恋愛においては一人思いつめることが一番悪い。繰り返すが軽微なる猥雑性に寛容であることが望まれる。
 日本はアメノウズメノミコトの裸踊りで世界が開けた国である。性差に気づいたとたんにの追放されたアダムとイヴの国とは違うのだ。