多摩、ときどき山

多摩の暮らしと山のブログ

歴史と文化と花?…薫る道/大菩薩嶺

2010-08-13 21:48:01 | 自然のこと

8/11(水)、登山イベントの仕事で、山梨県甲州市と同県北都留(きたつる)郡小菅(こすげ)村、同丹波山(たばやま)村にまたがる大菩薩嶺(だいぼさつれい/2056.9m)へ行きました。18名の参加者とともに、甲州市の上日川(かみにっかわ)峠から大菩薩嶺へ登った後、大菩薩峠‐小菅林道終点までを歩きました。

霧に覆われて展望こそ得られませんでしたが、歴史と文化と花?…薫る、なかなか味わい深い山旅でした。

大菩薩嶺といえば「甲州古道」。江戸時代初期に甲州街道が整備される以前から、武州(現在の東京都など)と甲州(山梨県甲府市)を結ぶ主要道の一つとして用いられていました。

〈府中‐五日市‐本宿‐浅間尾根‐風張峠‐川野‐小菅(または丹波山)‐大菩薩峠‐上日川峠‐塩山‐甲府〉

多くの旅人が利用したほか、地域の生活物資の交易路としても重要な役割を果たしたそうです。そして道中最大の難所が、中里介山(1885‐1944)作の長編小説としても有名な「大菩薩峠」(標高1897m)だったのです。


P1010487
上日川峠(1585m)を出発し、霧の中稜線を目指します。

樹林帯を抜け、標高2000m辺りまで高度を上げると…
P1010489
ススキやササ原の中にコウリンカ(紅輪花/キク科)の花が鮮やか。

今から10年ほど前までは、大菩薩の稜線上でも7月中旬~8月上旬、
ヤナギラン、コオニユリ、マツムシソウ、シオガマギクなど亜高山性の花々が斜面を埋めるように咲いていたそうですが、現在見ることは不可能だそうです。原因として、ニホンジカによる被食圧が言われていますが、このコウリンカは割合よく見ることができました。

もしかするとマルバダケブキ(丸葉岳蕗/同=下写真)と同じように、シカのお好みではないのでしょうか?
P1010491
奥多摩では、他の草本植物がほとんど食べられてしまい、このマルバダケブキしか見られない場所もあります。ここ大菩薩でも、わずかに残るウスユキソウ、ハコネギク、ノコギリソウ、キンレイカなどの花が愛おしく思えました。

P1010499
大菩薩嶺頂上に到着。コメツガ、サワラなどの樹林に囲まれて展望はありません。

P1010502

山頂から南下、大菩薩峠へ向かいます。このコースは晴れていれば、南に富士山をはじめとする眺望が見事だそうですが、残念ながら見ること叶いませんでした。お花畑も…。

P1010501
そんな中、涼風にそよぐタチフウロ(立ち風露/フウロソウ科)?の花が高原に彩りと癒しを与えていました。“?”がつくのは、網目模様がある花弁だけを見るとカイフウロ(甲斐風露)に似ているんですよね…でも、カイフウロは山梨県「三ツ峠」の特産とか。自信が持てないのですが、花が美しいので紹介してしまいました。

ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。

次のこの写真、何!?…と思われるかもしれませんね(笑)
P1010510
ここは標高1935mの「賽ノ河原」。1988年に放映されたNHK大河ドラマ「武田信玄」のオープニングで、二頭の馬が戯れる印象的なシーン-実は、この場所で撮影されたのだそうです。この作品にはまった私としては、感動しました。山梨といえば甲斐、甲斐といえば名将・武田信玄。
信玄役の中井貴一の演技が素晴らしく、名作でした…!

すみません、少しそれてしまいました。そうこうしているうちに…
P1010511
一度は、写真か何かで見たことがあるのではないでしょうか。大菩薩峠です。実はこの峠、明治初年に開かれた新しい峠なのだそうです。上記賽ノ河原(大菩薩上峠)と石丸峠(大菩薩下峠、1910m)が本来の大菩薩峠とのこと。

つくづく、歴史が薫る山です。

P1010513
小菅方面への下山途中、歩道脇に直径1mほどのブナ(橅/ブナ科)がありました。

推定樹齢150~200年ほどでしょうか。この巨樹がまだ幼樹だったころは1800年代?江戸時代後期にあたります。徳川幕府が衰退し始めた時期でもありますが、その頃もきっと、多くの旅人や商人(あきんど)たちが、このブナの木の傍らを歩き抜けていったのでしょうね。
















コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北アルプスの花たち/燕岳‐常... | トップ | 訂正です…「イワギキョウ」と... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿