丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

「責任」って本当は気持ちがよくて楽しいの。そして軽いの。押し付けられるものではなく、自分で決めていいの。それが腑に落ちるとどんどん未来がひらけるの♪

2021-03-01 16:51:30 | 心の解放シリーズ
以前、この記事で、

相手の領域、自分の領域というものがあるんだ。
その人が決めて、その人が責任をとるならば、それはその人の自由なんだ。
あれこれ口出しすると、トラブルになるんだ。

こんなことを書いた。相手の領域にずかずか入ってしまうと、問題が起きてしまうと。子どもが引きこもりになってしまうことなども、こういったことが原因であったりすると。

それで、この領域というのは自分の自由の範囲で、自分のことは自分が選択していいってことだ。それがすなわち責任ということだ。

例えば、おばさんなら、ブログを書こうと決める。どんなことをどのくらい書くか、自分自身が決める。そして書く。書けた。→うれしい。満足。
読んでくださる人がいて、さらにうれしい♡となる。
こんなふうに自分でできる範囲を決めて果たすのが責任だ。こんな軽やかな責任もある。
やめるのも自由。休むのも自由。おばさんの場合、ひとりで趣味でやってるから。

例えば、Dr.Yさんはお医者さんだ。きっと今回のコロナの件で、みなさんに、お医者さんとして、ご自分のできる限りのことをして、みんなを守りたい、こう思われたのではないだろうか。それで荊芥連翹湯にたどりつき、その後、お勤め先の病院のみなさんに伝え、われわれ一般人にも情報がいきわたるようネットで発信された。
きっと先生はご自分の思う、お医者さんとしての責任を果たしたいと思われたのだろう。

のんきなおばさんと、みんなの命を救ってらっしゃる立派な先生といっしょにしては失礼なんだけどww
自分がしたい、だからする。
これやらずにはいられない、やりたいなと思う。なんか自然にやりたいと思う。
いろいろだけど、自分から湧き出てきて、自分が自分の意思で選択した責任ってのが、とても大事だと思うの。

押し付けられて、いやいや果たす責任じゃなくて。(こっちの意識で責任を捉えている人がまだ多いかな?でももうすぐこういうのなくなるんじゃないかな?

自分が決めた自分の責任を果たせると、人は気持ちがいい。(こっちの感覚の責任の割合を増やしたい)

自分の内から湧き出た気持ちから決めた責任を果たせると、うれしいし、
できた!と自信がついてきて、伸びていく。
(子育てもここが大事だよね。過干渉だとこれが経験できないんだね。本人の自然な気持ち・意思を邪魔しちゃって。自信がつかない。そして恐れや不安に苦しみ、引きこもりになってしまうのだと思うの)

それはなんでもいいんだ。例えば勉強はできないけど女性にもてるとか。

小説だけど、こんなお母さんもアリだろう。

女にモテたい!そしてモテる。
これも自分の気持ちから選択した責任だ。
そして気持ちがいい。そして自信が育つ
ステキじゃないか。支配者の顔色見て忖度してるヤカラよりw
このくらいならぜったいひきこもりにはならない。
お母さんも自由でびしっとしたステキな女性なんだろう。

ここが大事だ。
これを自分にも他人にもやらせてあげることだ。
他人のそれを邪魔すると、それは、妨害、支配。あいつらのやっていることと同じだ。

世の中に目を向けると、例えばトランプさんは、2020年の大統領選で不正をやられて落選した、ということになっている。
これはトランプさんが自分の支持者に対して責任を果たせていない状態だ。あいつらに妨害されて。
公正な選挙で落選したならいいけど、不正をやられて、その不正の追及すらも妨害されてできていない。
徹底的にトランプさんの「選択した責任」を果たせないように、あいつらが妨害・支配しているわけだ。

これは自然の摂理にさからっているので、いつか必ず爆発する。崩壊する。
必ず清算するときが来るんだwだから安心してくれ。
それに今は、多くの人が気づいているし。最初からそういう作戦であるともいうし。

この摂理に、さからって、幸せで円満な結果になっている人を、おばさんは今だかつて見たことがない。(あいつらも身内同士で潰し合い変態行為にいそしんでいてちっとも幸せそうではない)

しかし、そんななかでも、やたらとあいつらと戦わないで、自分の領域を守りながら、コツコツと主張したり、できることをやっていると、やがて支配者のほうが勝手に崩壊していくんだ。だから自分が悪いヤツらをやっつけようとする必要はない。
いっしょに滅びてしまうからな。

今はまだ、こういうヤツが社会の至る所にのさばっているという前提で、
やるべきは自分の領域を守ることだ。支配者から離れることだ。必要に応じて主張することだ。
これも自分がきつくない範囲で、自分が楽な言葉で言うのが一番、相手に伝わものだ。

どうしてもわれわれはまだ、人とプラスの関係が築けなくてトラブルに悩むことが多いから、冒頭リンク先記事に書いたように、相手の領域に入っちゃったり、互いの領域の境界でなやんだりしている段階だ。
しかしそれがうまく対処できるようになったら、楽になるから、そこからは、自分で責任を決めて自由にやっちゃっていいんだよってことだ。

他人と領域を侵害しあって、もめたり悩んだりしている段階だと、
なかなか自分で責任を決めて果たして伸びていこうって方向に行きにくい。
問題の解決やマイナス感情にとらわれて、こっちにエネルギーを注入できないんだな。
そしてこんな状態で、他人や世間の評価なんかを基準にしていると、本当に自分のやるべきことや隠れた才能が見えないんだな。

学校ではみんながすべての科目をまんべんなくできるのがいい、とか、こういう人間がすばらしい、とか画一的なピラミッド組織の部品として使える人間を養成しようとしているからな。
そんなのまじめに聞いてたら、自分が本当はどういう細胞なのか、わからなくなっちゃう。
自信を持って生きる方法☆Dr.Yさん~ひとりひとりは細胞なのだ。スイミーみたいになってます/本当の成功♡おばさん - 丸顔おばさんのブログ より

でも、カラクリがわかって、あまりトラブルに悩まなくなると、勝手に自分のできることは?という発想になったり、あ、これやりたい、と、自分で自然に行動するようになる。それが責任を自分で決める、選択するということだ。
案外、気軽なんだ。責任とは。

あんまり頭で難しく考えなくても、自然にそうなっていく。

そして、自信もついてくる。あー、なんだ、こんな気軽な感じでできるんだと。そして継続していると、気づいたら、こんなにできていた!となっている。
自分のできそうな範囲を選択すればいいから、不安も恐れもない。

そしてそこに、苦しみや歯を食いしばって耐え忍ぶ感覚は不要だ。

こんなふうに人は伸びて発展していく。大人も子どもも。大人もこんなふうに自分自身を育てることができるんだ。

なにか歯をくいしばって努力しなければ、成功しない、立派にならないと多くの人が思い込んでいる。でも本当はそんなことないんだ。

好きで楽しいと思うことを、満足を感じながら、自分の心地よいペースでやるだけだ。

だから、子育てにおいては、親にこの感覚があると、子どももマネするから、自然に自分の興味の赴くままにいろいろやって、たくましく伸びていく。
そしてそういう親は自分を楽しんでいるから、こどもにやたらと過干渉しないと思うんだ。だからお子さんが引きこもりになる可能性は低い。

責任って聞くと、なんだか気が重くなる。そういう響きがある。
これは人類が長年に渡って過剰に責任を押し付けられてきたからだろう。
例えば、長男の人。
自分が家族みんな、一族郎党みんなの面倒をみなければならないと思っている方も多い。それで問題がないならそれでもいいけれど、本来、ひとりひとりと話し合って、どこまで援助するのが適切か、決めるのが本当だろう。面倒みてほしくない人もいるしな。
長男だってできないことだってあるわけだ。
そしてなにより、やってあげすぎは、相手をダメにする。自分も潰れる。
自分がなんとかなっても、嫁さんがこどもを支配するようになる。そして子どもが犠牲になる。 家のためにとがんばった結果、家を滅ぼしていた。これは悲しすぎるだろう。
なんでも俺が俺がと人にやってあげるのがいいことだと教育されてきた方もいる。おばさんの父だけどw悲しい勘違いだ。)

本当は、ひとりひとりが自分の責任は、自分の気持ちに従って自分で決めていいから、気軽で自由で楽しいし、未来の自分の可能性に繋がってるんだよなと、最近腑に落ちた。これが見えると楽しくなってくる。

だから自分がつらくない範囲、これなら楽しく気持ちよくできるな、っていう範囲を選択することがミソだ。
このとき、
コツは、思考を止めて、感情・五感にシフトすることだとおばさんは思っている。
それだけで若返っちゃう♪

やっぱり自分の感情を感じていないと、心地よい範囲ってのもわかんないからな。

つらく、分不相応な選択をしてしまうと崩壊する。恐れやつらさを抱えてやっていると、それが現実になってしまう。このとき、脳内は思考中心になってしまっていて、他者の評価が基準になっちゃってると思うんだ。ちょうど正反対の意識状態だ。

支配の意識:
他人の評価中心・他人の期待に応える・思考中心・歯を食いしばって努力しなければ・過剰に責任を捉えている
愛の意識:
他人がどう感じるかは自由・自分の感情や五感を中心に感じている・自分の心地よい範囲を選択して責任を果たす

上は支配の意識。
下は愛の意識。当然こっちのほうが幸せに伸びて発展する意識だ。


ところで、おばさんは音楽が好きで、いろんなピアニストの動画などをよく見る。みんなそれぞれすばらしいのだけど、みなさんそれぞれ意識がちがうのだね。当たりまえだけど。例えば有名なこの方。

知ってるつもり?! / イングリッド・フジ子・ヘミング

おばさんはフジコさんの音色が好きだ。独特で繊細で。クラシックの型にはまっていなくって。自分の良いと思う表現している。
フジコさんはお母さんがとても厳しかったそうだ。スパルタでピアノ教育を受けたんだね。(動画17:00~くらいから)
ここだけ見ると
「支配の意識:
他人の期待に応える・思考中心・歯を食いしばって努力しなければ」
という感じになりがちだ。
そしてこれだとふつうは潰れてしまいがちだ。苦しい人生になってしまう。
じっさい、フジコさんは大変な苦労をされた。むくわれない時期が長かった。

それでも今、彼女の演奏はステキだ。才能を発揮されている。ということは、潰れそうになっても潰れなかったのだ。

Story of Ingrid Fuzjko Von Georgii-Hemming 1/2

フジコさんは感性がステキなんだ。まず、お家もおしゃれだ。豪華とかではなく、ご自分の感性で飾ったり、好きな物を置いているって感じ。
そしてピアノの音色もおしゃれだ。この表現が適切かはわからないけど、おばさんからするとってことで。
音色も「あたしはこう弾きたい」ってのがあるのね。たまに他のヤツラの弾き方が気に入らないなんて言っちゃったりしてwそういうのがなんかいいなと思う。
帽子にチョウチョのブローチがかわいい。絵も描くそうだ。絵もまた独特でかわいい。
こんなふうに彼女は自分の感性を愛している。
この部分は
「愛の意識:
他人がどう感じるかは自由・自分の感情や五感を中心に感じている・自分の心地よい範囲を選択して責任を果たす」

この部分があって、長年に渡って、ご自分のこの感性を大切にされてきたからこそ、フジコさんは潰れなかったのではないかと、おばさん思うの。
ふつうはスパルタ教育を受けると、潰れたり才能を開花できないで終わる。
(じつはおばさんの母もそうなの。ピアノ専攻の人で私もぶったたかれながら教わったの。子どもの頃。だから私は音楽は好きだけど今は聴く専門なの。おばさんの母の母(ばーちゃん)もスパルタで彼女に教えたらしいの。完全なる世代をこえたリピートだ。やんなっちゃうwでもこれも止められるからな!)

でも最初からスパルタじゃなくて、愛の意識で教育を受けてきたなら、苦労することなく、才能を開花されたことだろう。
でもそれも、きっと深い所で、そういう経験がしたくて生まれてらっしゃるのだろう。

でもたぶん、わたしは前世であいつらによって引き起こされた戦争で死んだから、今回はそのリベンジに来ている。
すると、あまりにも幸せな家庭に生まれていたら、こんなふうにあいつらの悪事と人間の苦しみについての研究にいそしむことはなかっただろう。
今の狂ったNWO計画も昔の戦争も、仕組んでいたのはあいつらであった。
それがわかった。
だから好都合だったわけだ。そういう親の元に生まれたことも。
深いんだ。頭では忘れているだけで。無意識の深い所ではそういった目的があって、運命としか思えないことも選択していたり、物事を起こしていたりする。

愛の世界♡おばさん~考える子供に育てる:人生を楽しむための技術:子供を指示待ち人間にしないために☆Dr.Yさん - 丸顔おばさんのブログ

フジコさんには、もともとすばらしい感情や感性や五感が豊か(プラス意識)というのが備わっていて、そこにマイナスの支配の意識による教育が施された。
これはプラス・マイナスが拮抗状態だな。
フジコさんは拮抗状態で苦労されたのだろうが、ご自分の感性をいつくしむことをやめなかったから、やがてプラスが勝ってきて、ご活躍するようになっていき、いまも多くの人を魅了しているのだろう。

関口宏の人生の金言(フジコ・ヘミング)

あはは!学校がきらいだったって、本音炸裂!わかります。おばさんもそのタイプだからw

最近ご活躍の若手の注目のピアニストの方は、お話を聞くと、スパルタ教育は1%も受けていないようだ!↓

【茂木健一郎×反田恭平】 クラシック界の超新星!サッカー少年からピアニスト
6:00~あたりから幼少期の話。
電子ピアノを買ってもらった。4歳のときミッキーマウスマーチをすぐ弾けるようになってしまった。それでお母さんびっくりして、一応4歳からピアノをならっていたが、そこはピアノのレッスンがほとんどなく、絶対音感を鍛える学校だった。

なんと。最近の若い天才はつらいレッスンを受けていないことが判明。
おばさん以前、反田さんがテレビでお話しているのを拝見して、なんだか秋葉原にいるオタクのようにwピアノの弾き方の研究について語っておられて、すばらしいと感心した。ただ好きだから楽しいから追求していて、うれしいって気持ちなんだねと見てて気持ちがよかった。

こんなふうに苦しまないで、軽い意識でできるんだ。本当はw
最初から「好きでやりたいからできて当たり前」っていう意識があると、「練習する」という必要不可欠なプロセスまですっとばしてしまうんだね。
そういう学校にご縁でたどりついちゃうんだからすごいよね。

どっちがいいとか悪いとかじゃないんだけどね。
フジコさんのピアノは彼女の人生や感性がつむぎだす味わいが魅力だし。

苦しく生きてきた人も、それすらも味わいや魅力や武器にできるということだ。
ただ潰れるまで行っちゃうことが問題だから、そうなる前にわりとカンタンに抜けられるよと言いたいんだ。

歯を食いしばってがんばって努力しないとダメなんだと思いこんでいると、
つい、なにかを始めるとき、理想を高く設定しすぎてムリしちゃったりする。
借金してまで、なにかを始めるときなどは要注意だ。
客観的に分析することも大切だけど、それをしようと思った時に、心が苦しく感じたら、自分の超賢い無意識からの警報だ。
客観的に分析してOKだと思って決めたのに、なにか不安、憂鬱、もやもやするなら、自分の無意識が未来に起こりうる問題に気づいていて、教えている可能性がある。
私はそんなときは、いったんストップして、よーくその感情を感じて、なにをうったえてくれているのか聞くようにしている。すぐには分からなくても、しばらくすると、「そういうことだったのか」とわかることが多々ある。
わかると、もやもやしてたのがすっきり納得するのね。

だから感情は、思っている以上におりこうさんだ。そして自分の味方だ。仲良くすると成功する。そして感情と仲良くすることは、自分を愛することだ。

それから、やってるうちに欲が出てきて、もっともっととハードルをあげてしまって、自分がきつくなることもある。
やってるうちに他人の評価が気になってきちゃったときなど要注意だ。
でもこれも気づいたときに、自分の楽な楽しい範囲でやろうとまた選択しなおせばいいんだ。
つい、みんなの期待に応えたいとムリしていたんだね、と。そう思っちゃうのも当然だねと。
でもじつは、自分が楽な範囲でやっているほうが、他人も心地よいと感じているものなんだ。
自分が楽だと相手も楽なの。自分がきついと相手もきつさを感じているもんなんだ。
人の心は奥深いところでインターネットのように繋がっているんだ。

心の目、というのがある。目は外の世界を見るようについているから、ついつい、相手ばかりを見てしまう。
その心の目を、くるっと回転させて、自分側に向けてあげるということだ。
そうすると、いかに今まで自分の心を見てあげていなかったかが分かる。
あぁ、そういうふうに感じていだんだね。
そうかそうか。そうだったんだね。
傷ついたんだね。くやしかったんだね。怒ってるんだね。当たり前だよ、当然だよ。と、自分に言ってあげてほしい。
そうやって自分の感情を感じることが上手になってくると、なんと、相手の気持ちも正確に感じることができるようになってくるんだ!
すごいだろ? そんなふうにできている。人の心は。
こんなことを、ただ習慣化するだけだ。
だから、自分の感情を丁寧に感じているだけで、他の人とも繋がれるようになるんだ。これが、愛の正体だ!
感情を理性で抑えつけなくても大丈夫なの - 丸顔おばさんのブログ
モーツァルト~右脳人間代表 - 丸顔おばさんのブログ より


こういう仕組みだから、自分にやさしくすることは、その他大勢の人を大切にしているのと同じなんだ。

以上、「責任」は、本当は気持ちがいいし、楽しいというお話でした♪

これが分かっちゃうと、だんだんいろんなことがやりたくなってくるんだw

まとめ:
自分が決めた自分の責任を果たせると、人は気持ちがいい。
自分の内から湧き出た気持ちから決めた責任を果たせると、うれしいし、できた!と自信がついてきて、伸びていく。


前にもちょっと書いたことがあったね↓

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