2幕はサナトリウムで療養中のオデットの願望的な夢として、彼女の精神が逃避する安らぎの場としての湖が、16羽の白鳥とともに姿を現します。

円盤状の鏡のような湖は、天井に設けられた木立の網目のようなオブジェを透過した光によってE.S.エッシャーの「波形表面」を作り出す。
静謐な世界で4羽の白鳥が、そして修道女がなりかわったのか、衛兵のようにこの小さな世界を守る2羽の大きな白鳥が舞う中で、オデットは夢の中の王子とともに愛のパ・ド・ドゥを踊ります。

クラシックチュチュではないものの、ここではプティパ版の湖での白鳥の踊りのエッセンスの多くがこめられており、シンプルなベアトップで後が少しV型に長くなっているオーガンジーを重ねた短めのロマンチックチュチュにシンプルなバレッタのような髪飾りでやや現代的にアレンジされてはいるものの、古典の白鳥を愛する人の気持ちに寄り添った白鳥と言えるかも・・・。
実際、この2幕までは、オーストラリアバレエの演劇性とバレエの融合と言うコンセプトが見事に結実していると認めざるを得ませんでした。
第3幕、男爵夫人主催のパーティ。ブラックフォーマルに散りばめられたラメが妖しく煌く夜会。
結婚式のときの招待客が顔を揃える、大人の、貴族の夜会です。
そこに突如として現れる純白のドレスのオデット。
落ち着いた優美な自信に満ちた態度で、周囲を魅了。王子もそんな彼女の純粋さ、美しさにひきつけられて、今や男爵夫人は眼中にありません。
瞬く間に奪われた主役の座を奪還すべく、踊る男爵夫人。その甲斐むなしく、彼女に振り向く人は今や誰も・・・。
忽然と現れたサナトリウムの医師と修道女たち。夫人の差し金です。
再び精神のバランスを失ったオデットは、もう、サナトリウムには帰りません。

オデットを捜し求めて王子が見つけたのは黒鳥の湖に身を潜めるオデット。
愛のパ・ド・ドゥでようやく真実の愛が成就するかと見えたが、絶望したオデットは湖に身を投げ、悲嘆にくれる王子が残される・・・。
と、かなり古典の「白鳥」とは筋も展開も異なりますが、音楽が発するメッセージと王室の悲劇が響き合って中々説得力のある舞台になっていたのは振付家のグレアム・マーフィーの功績でしょう。
ただ、3幕での夜会の始まりの華やかさに比べると、オデットが現れてからの男爵夫人の抵抗が長く、あの美しく王子を完全に支配下に置いていた夫人が見せる足掻きがやや見苦しくしつこく感じられてしまうのが残念。また、男爵夫人からオデットに心変わりする王子が今度は、すがる夫人を足蹴にしたりと、王子の男の身勝手さが目に付いて、感情移入しづらく・・・というか、後半の話自体が(実話をヒントにしているので仕方がないかもしれませんが)あまりにも救いがなくて、辛く、もっと短くしてしまっても良かったのでは・・・という印象を持ちました。
折角アイデアに満ちた舞台と小道具を上手く使った振付で舞台的感興が深かった前半に比べ、ドラマ的側面を大切にするあまり、バレエとしての面白みにも今ひとつ欠けている上に、どんどん単調な悲嘆に陥る展開、の後半はわたくしとしましては、やや残念に感じられるものでした。
席の2列前に、バレエ団関係者、そしてマチネの主役を踊ったロバート・カランをお見かけしましたが、台風にも関わらず満席の劇場から好意的な拍手が起こるのを満足していただけたようで何よりです。
通常の版で踊られる、マズルカ、ナポリ、スペインの結婚式のディベルティスマンは削られ、ハンガリー人が踊る短調の旋律でアレグロで扇情的に踊られるチャルダッシュが、一幕の結婚式の出し物として残されていましたが、あえて、セクシャルな振りを交えたり、女性の民族衣装のペチコートだけを鮮やかな赤にしていたり、という暗喩は効果的。(キモノの襦袢のようですね)
また、一幕でアイボリーの衣装のオデットが王子と夫人の関係に疑惑を深め始めるところでの踊りで初めて彼女の衣装の裏側のペチコートが黒であることがわかったり(晴れの場の暗雲を意味している)、と衣装・装置のクリスティアン・フレドリクソンの卓越したアイデアも秀逸でした。

円盤状の鏡のような湖は、天井に設けられた木立の網目のようなオブジェを透過した光によってE.S.エッシャーの「波形表面」を作り出す。
静謐な世界で4羽の白鳥が、そして修道女がなりかわったのか、衛兵のようにこの小さな世界を守る2羽の大きな白鳥が舞う中で、オデットは夢の中の王子とともに愛のパ・ド・ドゥを踊ります。

クラシックチュチュではないものの、ここではプティパ版の湖での白鳥の踊りのエッセンスの多くがこめられており、シンプルなベアトップで後が少しV型に長くなっているオーガンジーを重ねた短めのロマンチックチュチュにシンプルなバレッタのような髪飾りでやや現代的にアレンジされてはいるものの、古典の白鳥を愛する人の気持ちに寄り添った白鳥と言えるかも・・・。
実際、この2幕までは、オーストラリアバレエの演劇性とバレエの融合と言うコンセプトが見事に結実していると認めざるを得ませんでした。
第3幕、男爵夫人主催のパーティ。ブラックフォーマルに散りばめられたラメが妖しく煌く夜会。
結婚式のときの招待客が顔を揃える、大人の、貴族の夜会です。
そこに突如として現れる純白のドレスのオデット。
落ち着いた優美な自信に満ちた態度で、周囲を魅了。王子もそんな彼女の純粋さ、美しさにひきつけられて、今や男爵夫人は眼中にありません。
瞬く間に奪われた主役の座を奪還すべく、踊る男爵夫人。その甲斐むなしく、彼女に振り向く人は今や誰も・・・。
忽然と現れたサナトリウムの医師と修道女たち。夫人の差し金です。
再び精神のバランスを失ったオデットは、もう、サナトリウムには帰りません。

オデットを捜し求めて王子が見つけたのは黒鳥の湖に身を潜めるオデット。
愛のパ・ド・ドゥでようやく真実の愛が成就するかと見えたが、絶望したオデットは湖に身を投げ、悲嘆にくれる王子が残される・・・。
と、かなり古典の「白鳥」とは筋も展開も異なりますが、音楽が発するメッセージと王室の悲劇が響き合って中々説得力のある舞台になっていたのは振付家のグレアム・マーフィーの功績でしょう。
ただ、3幕での夜会の始まりの華やかさに比べると、オデットが現れてからの男爵夫人の抵抗が長く、あの美しく王子を完全に支配下に置いていた夫人が見せる足掻きがやや見苦しくしつこく感じられてしまうのが残念。また、男爵夫人からオデットに心変わりする王子が今度は、すがる夫人を足蹴にしたりと、王子の男の身勝手さが目に付いて、感情移入しづらく・・・というか、後半の話自体が(実話をヒントにしているので仕方がないかもしれませんが)あまりにも救いがなくて、辛く、もっと短くしてしまっても良かったのでは・・・という印象を持ちました。
折角アイデアに満ちた舞台と小道具を上手く使った振付で舞台的感興が深かった前半に比べ、ドラマ的側面を大切にするあまり、バレエとしての面白みにも今ひとつ欠けている上に、どんどん単調な悲嘆に陥る展開、の後半はわたくしとしましては、やや残念に感じられるものでした。
席の2列前に、バレエ団関係者、そしてマチネの主役を踊ったロバート・カランをお見かけしましたが、台風にも関わらず満席の劇場から好意的な拍手が起こるのを満足していただけたようで何よりです。
通常の版で踊られる、マズルカ、ナポリ、スペインの結婚式のディベルティスマンは削られ、ハンガリー人が踊る短調の旋律でアレグロで扇情的に踊られるチャルダッシュが、一幕の結婚式の出し物として残されていましたが、あえて、セクシャルな振りを交えたり、女性の民族衣装のペチコートだけを鮮やかな赤にしていたり、という暗喩は効果的。(キモノの襦袢のようですね)
また、一幕でアイボリーの衣装のオデットが王子と夫人の関係に疑惑を深め始めるところでの踊りで初めて彼女の衣装の裏側のペチコートが黒であることがわかったり(晴れの場の暗雲を意味している)、と衣装・装置のクリスティアン・フレドリクソンの卓越したアイデアも秀逸でした。
ああ~~せっかく、書いたのにまたまた吹っ飛んでしまって、どうも自宅のパソコンはだめですね~。というわけで、ちょっと出鼻をくじかれましたが、またもや、Mariaさまのブログ読んでから見たかったと、唸ってしまいました。
今回の見所はストーリーと聞いていましたので、若干早めに行って荒筋読んでみたのですが、実在のあの方々がモデルとは想像もしませんでした。
全体としては、予想よりよかったと思いましたが、三角関係の表現があらわだったなと思いました。
いい意味では喜怒哀楽がはっきり出表現されている分わかりやすかったと思いましたが、足でけったり、突き飛ばしたり結構直接的でしたよね。{スマイル}
男性の衣装が三点セットのスーツ(踊りにくそう~~)だったり、兵服(?)だったり、ロシア民族衣装(かと思ったら、ハンガリーでしたか)もどきだったり、重厚な衣装な上、ヘビィなリフトが多くて、見てるほうも力んでしまいました。{ガッテン}
でも、ハンガリー衣装のデザインも色合いはステキで、裏ペチk
★Mariaさま
ああ~~せっかく、書いたのにまたまた吹っ飛んでしまって、どうも自宅のパソコンはだめですね~。というわけで、ちょっと出鼻をくじかれましたが、またもや、Mariaさまのブログ読んでから見たかったと、唸ってしまいました。
今回の見所はストーリーと聞いていましたので、若干早めに行って荒筋読んでみたのですが、実在のあの方々がモデルとは想像もしませんでした。
全体としては、予想よりよかったと思いましたが、三角関係の表現があらわだったなと思いました。
いい意味では喜怒哀楽がはっきり出表現されている分わかりやすかったと思いましたが、足でけったり、突き飛ばしたり結構直接的でしたよね。
男性の衣装が三点セットのスーツ(踊りにくそう~~)だったり、兵服(?)だったり、ロシア民族衣装(かと思ったら、ハンガリーでしたか)もどきだったり、重厚な衣装な上、ヘビィなリフトが多くて、見てるほうも力んでしまいました。
だめだ、続きは会社のパソコンで。
なんか変?
御見苦しくてごめんんさい。
どうも、変換キーのつもりで「ESC」を押してしまうみたい。{ごめんなさい}
こんばんは!
なにやら操作しづらそうで、申し訳ありません・・・
(ヤプログのせいかもxxx)
あまり期待していなかった分(コラコラ)、一幕の美術の美しさや華やかな展開、力演に思わず引き込まれてしまったわたくし。群舞が揃っていないな~と気になったものの、長身の男性陣が皆、あの着こなしの難しそうなライトグレーとアイボリーのフォーマルをきれいに決めていたので点が甘くなっているのかも(笑)
振りは、細やかなステップやピルエットよりもダイナミックなリフトを多用しており、そのために最初は華やいで見えたのですが、後半飽きてきてしまったのは否めません。ソロでしっかりとテクニックを見せるシーンも少なかったですしね。とはいえ、ダンサーの力量は演技力も含めてしっかりとしたものを持っているカンパニーで、明日の「眠り」も楽しみです♪
私は初日に行ってきました。
怒濤の展開にどうなちゃうのかドキドキ・・・
面白い発想を楽しんできました。
フィギュアスケートのアイスダンスの感覚に近い振り付けも多く、
実際フィギュアの振り付けもやってたそうですね。
まさにそんな感じでした(^o^)
悲劇的な結末でしたが、あのダメダメ王子には天罰です(笑)
美術・衣装に見応えがあるのはMY重要ポイントなので、
その点だけでもかなり満足でした♪
おはようございます!
そうでしたか~初日にいらしたのですね{ラブ}
ということは配役が、男爵夫人があのオデコちゃんでテクニシャンのルシンダ・ダンであとは同じでご覧になったのかしら・・・。
美術・衣装が良かったですよね~。
眼に美しいスペクタクルは本当に魅せてくれましたし、スケートの動き(だからリフトが多いのかな?)を取り入れた振りも、新鮮。(あの、伝説の「ボレロ」のトーヴィル&ディーン組{キラリ}ともお仕事されているんですものね、マーフィー氏は。)
古典の白鳥では王子の心変わりは理由があるけれども(だからこその悲劇なの)、この版ではお嫁さんをもらってもまだ縁を切れないほどの関係だった男爵夫人を、夜会でオデットに改めて心惹かれたとしてもあんなにあからさまに邪険にするなんてヒトとしてどうよ!というところが気になってしまいました~。
なので最終幕で最後は心が通った抱擁、と言う場面もそうは見えずじまいで・・・。
ま、バレエの悲劇は大抵、男の心変わりから来るものが多いので、それは良いのですが(良いのか?)、この王子は演じるダンサーはどう感じて踊っているのか伺ってみたいものですよね。
男性の見せ場的ソロもほとんどなく、ヒトとしてはサイテーで、体力を消耗するリフトがやたらと多い、縁の下の力持ち的な役どころで、ちょっとした試練(?)かも{ハッピー}
今日は「眠り」に行って参りますv
これまた美術に凝っていそうなので楽しみですわ{ルンルン}
史上最低王子かも。
せめて男前で良かったです(笑)
でもあのダミアンさんが実はどれぐらい踊れる人なのか、は
これ観ただけじゃ判らないですね!
バレエを観た、というよりは演劇を観たような感覚でした。
こうなったら眠りもある意味ヘンなものが
観られるのを期待しちゃいます(笑)
>史上最低王子
(笑)かも~!
>せめて男前で良かったです
確かに・・・。でなければ、美女2人があんなにまで必死になって精神を病んだり、プライドを捨ててすがりついたりむしゃぶりついたり(自分で書いていて凄いなぁと感心、でもそうでしたものね・・・{汗})する理由が不明、ですものね。
確かに、王子の力量がリフトのテク以外は、わからずじまいだったかも・・・。
というのも、PDDはあってもグランパでの見せ場のソロが特に男性ヴァリが明確でないのですよね。
うーん、それが、今ひとつバレエを観た、という意味では不完全燃焼な感じが残る原因かも。
全く技術的に劣っていて踊れなさそうなカンパニーならサッサとあきらめもつくのですが(笑)古典も踊れる、と書いてあるし、実際にカンパニー全体、細やかなところは置いておいて(←偏見?)力技はいけそうな方々(体育会系)揃いで・・・。
そういえば、花嫁が投げるブーケを恋人やフィアンセにキャッチさせるべく、一斉に男性の招待客が女性をリフトしたシーンでなぜかラグビーのラインアウトを想像したのはわたくしだけでしょうか・・・{ロケット}(カーワンあたりの指導が入っていそう・・・と感じたのですケド{爆弾})