marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(597回) 「即位礼正殿の儀」について思うー遥かなる太陽が昇る地を目指して

2019-10-21 08:24:44 | 小説

親愛なるMへ

 台風の被災地のニュースが流れるたびに心を痛めています。そちらは変わりありませんでしょうか。

◆昨日22日、「即位礼正殿の儀」がありましたが、これについては日本の天皇制の仕組みは、彼ら(以下に記載)がそのシステムを創ってきたものなのだろうと思っているのです。歴代天皇は神武天皇から始まりますが、それ以前からの古代の歴史を見ても。古代の旧約聖書の中の部族間のいざこざを見ても、底辺のところで結局一致して行こうとするこの国の形成は、古来から人間を超越した何らかの存在としてのいわゆる言葉にできない「神」(彼らにとってはまさに全宇宙をそして人をも創造したという聖書の「神」)の概念が無ければ一致は困難であると思われるのです。

◆そして、この地上においては現実問題として、人の御姿としての象徴(古代で言えば「王」)を建てなければ人の集団はうまくまとまらないのだということを彼らは時代をへて体験で学んできたものだったのではないだろうか。そして彼らそれぞれの部族は順次、時代を経て日本に到着した。(※『ナラ』とはヘブル語で「到達点」を意味する「ナーラー」というのだそうだ。韓国語で「国」という意味もある。渡来人は韓国を渡ってきたのが多かったから。けれど、DNAがイスラエルと日本の人々の40%も同じで、韓国、中国には見られないというのだから。正倉院には当時のペルシャと同じガラス食器があることが成分分析から分かってもいるし。その他もろもろの当時の国々からの献上品。これはいったいどう考えたらいいのだろう。)

◆ここで、表だって顔を出さない演出家が存在するんですね。それが、日本全国に「八幡」という名前を定着させた、かなり高い技術をもった非常に優れた人々の集団、聖徳太子のブレーンだったといわれるその秦氏が率いる一団だった。旧約聖書にはダビデ王がイスラエル王国として統一した時、その共同体が「一人の人のようになった」と書かれているところがあります。これは理想的な組織としての国のあり方なのだろう。けれど天皇が政治に直接かかわるようになると決してうまくいか  ず、(ここに天皇制反対を叫ぶ人もいるのだな)この国を見てもあくまで象徴にとどまるのがまさに「天」の示すところなのだろう。

◆それを、彼らは時代を経て、経験してきたのだ。それは初めて中国という国を統一した言われる「秦(シン)」という国だったと思っているのです。秦氏は紀元前の失われたイスラエルの10部族のひとつだったろうと言われている。無論、旧約の民だからモーセ五書は知っていたことになる。(聖書には、紀元前1700年以上の記事にすでに「あなた方は地上に散らされる」と言われている箇所があるのですね、何という神の摂理!  というべきか。)

◆時代に同化しつつ、遙かなる太陽が登る地を目指して彼らは日本にたどり着いたのだった。ジャジャーン!? ずうーと行くと太平洋でしょ。実はここまで行っていたんだよ。彼らはどうして表だって文字に残っていないのだろうか。それは真に神を恐れていたのだろうと思う。古代ユダヤ人は、神の名前を口に出すのを恐れアドナイ「主」と呼んで、そうこうしている内に名前を忘れたと言われる。あるいは、人の残す文字としての記録など所詮当てにならないものであると知っていたのだろう。だから、神話として記紀を残すことに影響を与えたのだろうと僕は思っているのです。実に多くの技術を伝えていたのです。  

◆新約でコリントへの手紙にパウロは「文字は人を殺し、霊は人を生かす」とある。 記紀「日本書紀」、「古事記」などの訳の分からん物語も、時代を経て順にそれぞれの彼ら部族の一団が(地球の裏側の古代紀元前の離散したイスラエルの10部族が)時代を経てるなかで(それぞれの国に同化しながらもそれぞれの部族が時間を隔て)この日本の国に到達してからのそれぞれの部族物語だと考えると納得がいくように思われてくるのですね。この国に到達したことを記紀以前、天上界からの降臨として記載したのだろう。それぞれの神々として。

◆時が満ちキリストが誕生して、日本に来ていた旧約の民にも急ぎ伝えられた、それは彼らの聖書にも古代から書かれていたものだったから。秦氏は当時のキリスト教(景教)徒だったろうと言われているのも日本の彼に由来の遺跡から納得の行くところです。  それでは、また 皆さんの健康を祈ります。・・・



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