marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(858回) 物議をかもすことになる?、神学者を紹介:①青野太潮

2021-05-09 20:56:41 | 思想・哲学

 ◆19年ほど前に青野氏に手紙を書いたことはブログ793回、794回に書いた。素人ながら世界のベストセラー聖書について書かれた本というのは、時間がたっても読み継がれるもんだなということを思った。本の装幀が更新、再版されているということは、読まれてるのかな。(月刊)キリスト教書評誌「本のひろば」4月号に『どう読むか新約聖書』青野太潮 著 の批評が載っていたので紹介。評者、早坂文彦、日基教団西仙台教会牧師である。僕が疑問に思っていた事は先のブログに書いたが、青野氏のように読んでいいのか、とはキリスト者でなくてもやはり誰でも思うのではないかという内容。****◆(内容)原理主義的な聖書の読み方はキリスト教をカルト宗教にする、青野氏の鳴らす警告には教会は身を正すべきである、とは言え、虚心に聖書を読むのは諸刃の剣でもあると。青野氏と論じてみたいことが3点ほどあるとして次のように上げている。①自分が理解できるようにするという姿勢は虚心に聖書を読むことか。こちらの前提を読み込むことにならないか。・・・②虚心にパウロを読むなら、再度「贖罪論」への舵切りが必要ではないか。(・・・これは青野氏が著作の中でイエスは贖罪としての自分の十字架の死を考えてはいなかった、とする点についてである。)③2000年になって行動心理学はスキナー以来未完だった言語機能の説明を「関係フレーム理論」として完成させた。これによれば人間の思考や感情は己の意志の及ばぬ客観的実在であり、選択する意志のみが人間にゆだねられた自由となる。そうなると聖書の「幻」は俄然客観性を帯び、単なる主観とは捉えられなくなる。ここには、古代的世界観に通じるものがある。さらにその道具的言語理解は聖霊の内的証示を実に科学的に説明することすら可能にする。この観点で聖書の高等批評を再構築する課題があるように思うが、いかがであろうか。(この点は臨床心理士でもある評者の専門的知見から見解が書かれている)・・・



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