marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

<Ⅱ>黒子との対話:個人的な体験:親愛なるXへ(その2)

2022-04-02 17:12:56 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 親愛なるX 古代の信仰の山でもあったこの山は、僕が生まれてから見続けてきた山なんだ。今でも僕にとっては心の中の神聖な山でなので写真掲載は今回で終わる。いい形をしてるだろ。次回は”首無し地蔵”に会いに行こうと思う。

◆死の影がいつも付きまとっているように思われてね。こういうことを書けばそれは大人になってからだということが分かるだろう。子供の時など体は見えないが亡くなった人の誰かが自分のこの世での再生を願っていきている僕らにちょかいをだすのだ、というようなことは分からぬものだから。けれど、良く泣く子がいるだろう所かまわず、それはうろつくそれが、生きている子供に入りたいとちょかいを掛けているんだよ。前頭葉の言語形成ができぬ、幼い子らに対して・・・彼らに対してはポートを解放していると言ったらいいか。

◆小学生になると、幼少のころの過保護的な環境の影響がたたり、環境不適応症状のような恐怖をあらゆることに感ずるようになった。第一、幼少の頃の前頭葉の形成は、実に一生を支配する。無論、親からのDNAもあろうけれど、環境にも影響される。6歳から10歳ころまでのその子の言葉への影響が、それと環境が、例えば兄弟がおおくて争って食べることに競争していたとかが基となると言われるね。この話は、いずれSに訊くことにしようと思うが。遺伝学的に詳しいが、それは教育心理学の方だと言われそうだが。

◆夜、寝る間に暗い天上からじぃ~と無数の何かが目の前に細かに降りてくるのだ。大きくなって、あれは曼荼羅の沢山の仏たちではなかったろうか、と思う。それから僕は、曼荼羅の絵が分かるようになった。それから時折、日中なのに神経が高ぶって興奮し、見ている景色がはっきりとしかも輪郭がゆらゆらと揺れてくるのであった。ある時は、見ている空間が避けるような別の世界が表れてくるような不思議な空間体験も何度かした。

◆プレディターという映画を見たことあるかい。自然の中にあの怪物が同期して見えなくなるのだけれど、それが表れるとき、自然と一体になった体がずれて現れるその瞬間、そのずれ・・・つまり空間が避ける、と僕が書いたのはまさにあのように空間にずれが見えて、裂けるように見えるのだ。くらくらと空間が歪んで見えた。それは、しばらくすると消えるのではあったが。

◆小さな時、あの僧侶が真言を唱えたり、護摩を焚いてくれた影響なのか、僕にはわからない。信ずるかどうかの判断というより肉体的な体験であった。夜、天上のあらゆる節目から沢山の仏が次々と降りてくる、というか降ってくる。あぁ、曼荼羅に沢山の仏たちが描かれているのはこれなのか、と何度も思ったりした。金剛界や胎蔵界などという並び描かれた仏ではなく、無秩序に次から次と降ってくる。

◆かのソクラテスは”汝自身を知れ”と言ったが、考えてみれば、その土台を知らずして、意気込んで語ってみても、それは生まれつきから受け継いだ思考技量にかかわって、何ら自分を特定できぬものだったではないか。話題を提供することもできず、ましてや病気を抱えての地上の誕生は、あるいは争いは、まったくあぁ、神よ、なんということなのだ!と思うことばかりであった。

◆しかし、Sの様にひょうひょうと悩みもせず、医学部に入る奴も僕の友人にはいるわけで、そうかと思えば、小学3年の時に誕生日を共に祝ってくれた記念撮影に移っている写真の二人は、左は東京大学に行き大蔵省に勤め、右の立って移っている奴は、週刊誌記事にもなった刑務所に二度も入る経験をした奴なのである。・・・それに連絡が途絶えたK。

◆東日本大震災で両親と姉を亡くしたK。一昨年からまったく連絡がない。仙台から車で飛ばしてもこちらの都合かまわず押しかけてくる奴だったのに。不治の病にでもなったのだろう、そういう時は一切、誰にも連絡するなという奴だったから。年賀も書いたが返事も来ず、こちらからも昔からの彼の心中を思いこちらから連絡はしない。彼も医者の息子なのにまったく高校受験からアウトローになった。坂口安吾や太宰治など読んでいたといえばおおよそ予測がつくだろう。生徒会長もやったのに卒業式のときは体育館の裏で煙草を吸っていたという奴である。仙台での2年生の時、寮から抜け出して東京にいって中華料理店でバイトをやっていた。

◆それで、親は心配し怒って無理くり実家の陸前高田に呼び戻した。親が医者なので素質はいいのだろう、すぐに生徒会長になったという訳だった。それで、高校卒業すると仙台にいった。トラックの長距離運転手の仕事をしたらしく、いろいろな道を知っていたし、洗濯屋にも勤めたしタクシー運転手もしていた。仙台でいっしょに住んだ彼女は、高校時に東京に家出してバイトに乗り込んだ中華料理店で働いていた沖縄から本土に働きに来ていた女性だった。

◆死について時折起こる不安の感情、言葉で捉えられない寒々とした気配を背後に感じた。しかし、幼児の頃の体験と環境とは前頭葉の言葉の成長にはなはだしい遅滞を起こしたようだった。おまけに前頭葉を強いて働かせようとすると、いつもの先に書いた例の背中が痛くなる。主体性をもって意見を通すとか意志が強いとか、ほど遠い肉体を持たされたのであった。だからだろう、そういう弱体な身体には、いつも誰かが入り込もうと見えないが誰かがいるのである。

◆本来、会話すべき言葉は小さな子供時分から訓練しなければいけない。そうした霊的介入がある隙間を与えている身体に、高校時代に、机に座っていると、心の中に声が聞こえきた。・・・わたしは捨てられた、捨てられたんだ。それは私だ、なんとみじめなのだ、という声が体が寒々しく感ずると同時に聞こえてくるのだった。思えば、小さなころから、その声は時折、聞こえていたのではなかったか。私はなんと哀れなんだろう、と。自己憐憫の情というか、悲しい思いになった。

◆このような体験は、本来、誰にでもあるに違いない。幼いころに、入り込もうとした、僕らには目には見えないが浮遊し再生を願う霊が、今生での宿題の解決に試練を共に、終えて次の世界に行くために。そのようなことを思い始めてからそれは僕の残りの生涯の宿題になったのである。死後の世界を知りたくなった。意識すれば時折、目には見えないが、そばにいる人たちは誰なのだろう。

◆死後の世界も生きると信じて、生涯を捧げた馬鹿な人たちがいたというのである。キリストは今も生きて信者を励ましているというのである。学生時代聖書を読んでさっぱり分からんと思って、いろいろ神学書などを読んで、牧師さんたちとも話が出来たこと。東京神学大学の学長経験者とかともお話ができたこと。教会に行けば、聖餐式にも与れる資格も持ったし、今でもメールでやりとりする時があるが、自分とは何か、という深層の自分の命題を今でも抱えていたのだから。だから、キリスト教のメッセージを聞くとき、いつも自分の基軸からの確認とそこからの応答を求めて聴いている自分がいたのである。

◆・・・子供たちの日曜学校では、礼拝でキリエ・エ・レイソン(主よ、あわれみたまえ)という讃美歌を昔から歌っている。これは今、戦火にあるウクライナ民謡である。・・・つづく 



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