marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

それは誰が決めたのか?阿保ボーイは考えている、決められたルールがあるなんて:親愛なるXへの手紙(その7)

2022-02-17 07:07:07 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 地上に人という生命を誕生させようとしたとき、その霊的次元で地上の人という肉体に命を吹き込むと、さていつの時代の誰をどの国にどこのどういう親の元に生まれさせようかと神様は、悩むのではないだろうか。それはあまりに高い次元の話だからそれはそれとして・・・。◆御幼少のころから、阿保ボーイだったからというか、分からんことがあまりに多すぎた。世の人々がそれは決まり事だからとなんとも思っていないことに、いや、あるいは僕と同じ思いを持つ人もいるだろうけれど。人は人が決められたルールのもとに生きなければいけないなんて。自然にあるがまま、人は生きてはいけないのであると・・・。しかし、そう時代を進ませたのは、やはり高い次元の神様らしいというのは、最近ようやく分かってきたことなのであった。時代もそれを開示してきたのではないだろうか。一つ、北海道・北東北縄文遺跡群がユネスコ文化遺産に登録となった。14000年もの長い時代、縄文時代と呼ばれるこの国は争いもなく一応存在したのである。僕の裏手の小高い丘には縄文期の貝塚の遺跡があって、エジプトのピラミッドがある時代より1500年も前、それは三内丸山遺跡とも同時代らしいのだが、あったのであると看板が立っている。平和な時代があっても人がこれではただ生まれてては、生き、死んでいくただの動物と同じではないか、と神様は思われたのに違いない。ただ地上の糧を得るための呪術として、私(神)を望んで崇め奉るだけでは、いけないと。・・・そこで、人類の移動をさせたのであるが、これは長い長い人類の物語となるのである。つまり、全人類に神様の御存在と、大目的である神の元での永遠の存在を病んでいる地球から救済し(いずれ地球という星も他の星と同じように必ず将来崩壊するのだから)、つまりそれが、「救い」と言われるものであり、「浄土へ行く」ということであり、住むところの「涅槃」というものであるかもしれないのだが、ともに選ばれた者たちが永遠に生きるということになるのである・・・らしい。◆話が高尚になったようだが、ガクンと話を前に戻して、その幼稚な疑問とは、そもそもこのボーイはほんまの阿保なのかと思われるようなルールに対する疑問なのであった。それが、どんなことかと言えば・・・



最新の画像もっと見る

コメントを投稿