marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

やはり気になること!宗教が政治に絡むとろくなことはない。

2023-10-20 15:28:57 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

今日は一日、雨模様、激しく雨が降っている。・・・ウクライナとロシアの戦争、ガザでのパレスチナ、ハマスとイスラエルの戦争、これらは既に紀元前から、旧約聖書に掛かっていることがらであるなぁ、などと思いながら。

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 2023年10月14日(土)の夜BSに”沈黙”の映画放映された。映画館でも見たもので過去ブログには以前に掲載したけれど。

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 作家 遠藤周作の『沈黙』の映画化である。沈黙とは、このような多くの殉教者がでて、神は何故、黙っておられるのか、ということからの題名。日本の歴史上、実際に起こったことであり、多くの信者が殉教したことは、学校で必ず学ぶことである。

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時代は進んだが、学校では本当のことを教えているのだろうか。織田信長が鉄砲などの外来文化を取り入れ、一躍、戦国時代に名を馳せたのは背後にキリスト教があったとか、この国のていたらくとなった仏教坊主衆に覚醒をと比叡山を焼き討ちにした本当の理由とか。秀吉が後をついで、布教禁止、信者弾圧に傾いたのは、宗教を語った大衆の心をつかむというその背後の意図に、ポルトガルの武力制圧による日本国体制への脅迫があったからだったということなど。

(これは、現代政治にも絡む、重要なヒントであり、現に背後で行われていることである。)

ちなみに、その後の日本統一を果たし、260年もの江戸時代を築いた徳川家康もキリスト教禁令をしていたが、当時のイエズス会と宣教方針が異なっていたフランシスコ会のフロイスを案内人として、仙台の伊達政宗に支倉常長をローマへ派遣させたのも家康だった。仙台の郷土史記録にある。これもブログに書いたこと。しかしその後、武力を背後でちらつかせるスペイン、ポルトガルに一層、禁教に傾いたのであったといこと。

そういう、文書のやり取りも事実バチカン文書にはあり、門外不出で決して今後、目に触れることはないということである。

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多くの殉教者を出した、本来の要の問題は、こういう宗教性になると、統一原理の事件も半世紀以前から問題にはなってはいたが、決してすっきりした形での判断ができにくいものとなっている。(今問題になっている教団も宗教活動自体の停止も出されれば、自民党への献金者リストもゲロするぞ!とけしかけてくかもしれないなぁ。すっきりさせられないことが、他のことでもすべて自浄能力が既に無くなっているようだから。)

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欧州で、そしてイギリスなどの宗教の変遷(いつの時代も、世界の動きを見よ!)プロテスタントが起こり、日本に流れ着いたウイリアム・アダムス(三浦按針)やヤン・ヨーステン(江戸の土地を賜り東京八重洲の土地名となった)など、この国に大いに貢献した。

受け入れの出島は、宗教を関係なしとする当時の自由都市オランダを受け入れた。

何事にも漠然とではなく、人の脳みその古い層の情緒性がからむ宗教性には、誰もが真摯に仏教であれ、キリスト教であれ、その真髄を求めてしっかり学ぶべきであろうというのが結論である。こういう学びの無い、漠然とした政治の言いなりになることに対して「宗教はアヘンである」という言葉は理解できないことではない。

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僕はキリスト教を自分の信条に採用した。信者以外の方は、あぁ、そちらの人なのですね、で終わってしまうかもしれないが、実際に意識するにしないに関わらず、自分たちの身近な事柄に大いに関わって世界の動きにリンクしているからである。

あえてキリスト教という宗教ジャンルの範疇に入れねばならないのだろうが、人をも含む天地創造以来、全世界の包括するような教えのそれは、人類世界のせせこましい宗教という言葉のジャンルという以上のものであると思わざるを得なくなる。

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旧約聖書からの一節を書いて終わりとします。

「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」(エゼキエル書 33:11)



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