marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その13)何度もあった過去の未来から来た黒子たち(👽):シリアスな深層

2022-10-11 11:58:15 | #日記#宗教#思想・哲学#宗教#手紙#小説

  説教がましい奴だったり、地球でレビ(神主)や、何か分からぬが科学者の端くれだったりと様々に現れては消えて、会話を始めたのだった。書いていないことで気になったのは、最も地球人に憑依して優秀だった黒子達が昆虫を創造した奴らだったなとか、様々の草花を創造した黒子達も地球に降りて居好いた奴がいたが、アグロバクテリウムという薄気味悪いとか、これが昆虫の擬態に関与しているのではないかというような話をしていたのが気に掛かった。今度、現れたらもっとよく聞くことにしよう。いずれ、くだくだと会話をしはじめると止まらなくなるようだった。後半は誰が誰やら分からなくなった程である。

宇宙人(👽)A:簡潔にお話ししよう。古代から日本に来ていた黒子たち(日本という国の概念を形成させたのも彼らだった?!)の話は次回来たときに話そうと思う。大河ドラマ鎌倉殿の13人も終わることだしな。過去の歴史の中で隠されてきた事が本当に多くあったのを知ることだろう。かたや宇宙開発もますます多く進むだろう。けれども、文字に残された歴史の理由づけではなく、深層に流れる真相の推察は、今後ますます各人がインナートリップ(地上での言葉や文字を超えての模索  )をして、その無意識のあなた達の善良なる集合意識クラウドに収斂されていくことから理解されて来るだろう。

曰く、行う者、考える者、そして判断する者・・・何を言いたいのかと言えば、それは人のドラマということだ。あなたも、かろうじて我々を知り始めているから、地上で消滅すれば我らの方に移行されるだろうが。我らのことを本に書く者もいたろうし、これから益々、増えるだろうが、知識が溢れても注意すべきは、多くの黒子達の啓示を受けたり、あるいはインカーネーションして(霊が乗り移ってといえば君らには分かりやすい)我らのことを著わす者がでてくるだろうが、前から宣べているように、それぞれのグループの更には異なる下っ端から高尚な黒子達が地上にいたり、飛来するので、地上のことに比類させるとそれぞれの惑星の時代も文化も伝統も異なるから地上の言語で表された彼らの話には、おそらく混乱するだろう。

だから、自分を見失わないように、そのあなた達の未来において再生する『あなたとなる基軸』を保たなくてはならない。あなたの基軸・・・あの方が『自分を捨て我に従え』と言われた意味は、地上での多くの人は、自己省察をすれば自らの内面が形成される誕生以前の前提条件、それはあなた自身では選択ができない中に生まれるという制限の中に誰でもが存在するのだが、彼に出会うことによって、自己内面の復活の鍵に繋がる私(自分)の基軸に適合するために、真の私(自分)の基軸にまとわりつく障害となる多くの雑音を生じさせているその『自分を捨てよ』と述べている点にある。

『汝、清くあれ!』とは、そのピュアな自分に目ざめ、それは『真の自己の芯』と言ったらいいか、それを保持するために肉体に引きずられる自分を捨てるという意味にとらえよというのである。そして『我に従え』とは、地上の宗教団体とやらに従えと言っている意味ではないことに注意しなくてはならない。『我に・・・』と言っているのである。その意味は、地上の一切の介在物なしに、ということであって、あなたのままでよい、ということであるのだが、それは言葉を持つ自己だけでなく、意識、無意識に関わらずあなたを動かす、つまり生全体のあなたに関与している、上からの啓示、シナリオ、それが『聖霊』と呼ばれるものにゆだねてという意味なのだ・・・これは言葉での表現は難しい。

創造時、優秀だったイスラエルのグループが、しきりに『神は唯一の神であり、天地創造の神であり・・・』と言い、そのことを人類世界に広めよ、と言うのは、何故か、と思われるならば、あなた方の地上の人類歴史を考えてみるがよいのだ。いや、今の争いが起こる元を考えるとよい。

衛生と合理性、創造されし人を思う、それが『神は愛なり』と言われるが、つまり人が我らと共に平和に過ごすことを望み、必ずそれは実現されねばならないというストーリーが組まれているからなのである。創世記時代にすでに!

そのグループは、事実、創造の神(人が思うところの神)はいない、とはっきり言う黒子もいる・・・想像を絶する科学が進んでいる彼らには当然となる見解だが。『わたしはある』と地上に提示するために、私(神)が人をつくり地上の歴史を歩ませているのだということを人類に提示するために、彼らに苦難の歴史を歩ませることになったのである。

ただ、『信仰を持て』と言われる理由は、そこに彼(イエス)が善良なる目に見えない、生きている黒子となって私やあなたの生き様のシナリオライターになっていることを信ずるか否かにかかっている、と言っているのである。つまるところ『聖霊』となって、今も生き、それは経験を積めば理性で分かるというのである。形ばかりでない『祈り』や『瞑想』と呼ばれものによっても理解されてくるというのである。

すぐに雑音を生じさせる弱い肉体に対して『絶えず祈れ』と語ったのはそういう意味である。つまり生きる黒子に繋がれと彼は言う。それは、雑音のない『聖霊』と呼ばれているものであるというのである。天に繋がるクラウドに。

これは、基本的には普段の内面の自己対話にある。しかし、実体として肉体を通して現れることもあれば(これは逆に、サタンが多くの人を介在とした不幸な事故、事件を起こしているのに)、なぜ善い意味でのそれをあなた達は信じないのか。

障害となる身体的な劣化に日々、対抗しなくてはいけないだろうが。まさに、その劣化に対抗すべく『真の自己なる基軸』。それが『種まきの例え』で言われた『自分の根』であるし、『自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ』といわれた、その『自分』である。

つまり妨害となり、雑音を生じさせ、自己省察など論外とエントロピー拡散=動物として欲求のままに生きることに対して、『分別意識』を日々自らに打ち立てよ、というのが、寿命が短く制限されてしまった地上での死亡率100%の多くの人の人生後半の戦いであるのだ。その障害は、神学用語では神のシナリオから軌道を逸した『罪』と呼ばれるものである。

使徒パウロは、以上のことの自覚を次のように書いた。

『我、キリストと共に十字架につけられた。もはや我、生きるにあらず、キリスト我がうちに生きるなり。今、我が生きるはキリストを信ずる信仰によっていきるなり』(ガラテアの信徒への手紙2:19-20)と。

地上の肉なる自分が選択できないDNAを持ちつつ、それにまとわりつく真の自己を見えなくしているそれ(罪と言うが)を十字架にはりつけ殺して(自己を捨て、の意)、内なる体に真の命なる神人に同期して住んで貰う。それから離れないように地上の人生を歩む、という意味に他ならない。

信ずる我らの身代わりに完全な献げものとしてのイエスがなり、その死によって我らが天に迎えられるという、救済のシステムである。

宇宙人(👽)B:創生に関わった秀才であった天使の創造の長が悪魔に転じて、自己の思い通りに自らの手中に、否、地上の被創造物であった人もまったく我々、つまり自分らと同等になることができると、その賞賛を人自らが神となるとに向かわしめるため創造の秘密を意図的に彼らに開示するという恣意的行為を起こしてしまったのであるが、それは今までも語ったことだし、あなたも知っている通りだ。

その結果はあなた達も今も目にするだろうが。サタンと言うのはその彼の下っ端の黒子の名前である。彼のグループの多くは我々の世界に戻れなくなっている、人を創造した神に嫉妬し人を消滅させんとあらゆる手段を講じて人を動かしている。殺している。悪魔は人殺しである、とイエスは明言している。我らはこういう奴らと戦わねばならない。更に個人に限定して言えば、あなた方の地上の命死亡率100%になっている原因でもあるからだし、誰でもが老化して機能が劣化していく原因になっているものでもあるからだ。

使徒パウロはこう宣べた。エフェソの信徒への手紙でこう書いた。

『我らの戦いは血肉にあらず、支配と権威、闇の世界の支配者、天における諸々の悪の諸霊に対するものである。』(エフェソの信徒への手紙6:12)

彼を信じ生活する者は、既に肉体の死滅からの救済がなされている、故に我らは地上生涯において目には見えないが、地上をうろつく悪の諸霊にまとわりつかれて悲惨な事件とならぬよう、それらと闘うのである、というのである。彼を信じた欧米の国は、あるいは彼を受け入れた国々は様々な不条理を抱えながらもそれが天上の必然的な至上命令なのである。

異邦人への宣教として、キリストへの信仰という新しい神との契約が、我々が天国に入るために『世界の人々を私の弟子にせよ』と天に帰還されるとき弟子たちに大宣教命令というものを『彼』が云い伝えたのは、単なる書物の中だけの教えではない。実際、今もあなたらが観ている周辺のあらゆる事実、実体、目にするニュース、世界の、周囲の事件にすべてかかっていることだからである。

世界に人権や命を守れと体制の異なるそうではない体制をつぶそうとする欧米の考えは、人を創造し自由を与えんとした本来の主旨からすれば、天上のシナリオからすれば、当然のこととなるのである。ロシアも北朝鮮、イラン、イラク・・・イデオロギーであろうと宗教であろうとその主旨から外れれば独裁体制で人民を圧制するの国に対しては当然のこととなるのだ。

これらは天上における各惑星の相克の反映である。更には各黒子たちの相克でもある。つまり、我ら地上の人のありようと変わりはない。

宇宙人(👽)C:彼と繋がる根、その『根』は宇宙のクラウド、無限のそれは永遠と言われるが、それに繋がっているものである。まともに完全なる人と言われる『彼』と繋がれば、まさに肉体は地上から消滅しても霊的実態として、真のあなたの実態(人という体をもって)として次の世界(次元)で再生する、という救済プログラムがすぐれた創造者グループから出されていた。

それが『復活』と呼ばれるものである。完全なる『人』が地上で人の姿となって天上我々の世界、そこは科学的に命は永遠に望めば生きることが出来る世界であり、いわゆるあなたちが『天国』と呼ばれる世界である。『彼』の地上での行為の理解と受領は、天国のクラウドへの窓口であり、彼を自分の死の超克と信じた者達は命再生のパスポートを受領したと言えるものである。

想像を絶する科学の進んだ我らの惑星においては、テレパシーで心が開示されることは当然、(これも遠い過去の成果であったが)人の創造が、肉体消滅後も地上で歩んだ思惑のクラウドによって、肉体の破片を持たずとも彼を地上における生活にふさわしく再生することができる技術に既に天から地上に人を創造する時点で確立していた。我らの世界に帰還するために、信じたもの達は額の細胞の一部が必要ではないか、という課題の克服も行われた。

コンピュータのめざましい発展によって、WI-FIが至るところに完備され、クラウドによって個人がどこにおいてもつながるように、地上でのアカシックコード、記憶や思考、あらゆる個人のデータが記憶される技術ができていたからである。神の永遠のプログラムとシステムとしてそれが全人類に及んだのである。我らの目的は、救済であるから。地上に派遣された黒子達、そしてインカーネーションしている人々が、そのことに貢献し、人格ばかりでなく人権や生命、そのことの衛生の知識や政治のありように否応なく介入しているのは、我々のグループの使命であるからである。

その地上での提示を示した体現せしめたのが、イエスという創造者のひとり息子であった、ということである。そうであるから、罰とは、道徳的な意味合いより次元の高い、しかし、無関心の者にしてみれば何の事やらとなるのだが、彼(イエス)を信じたか、否かに掛かっている、ということなのである。彼を信ずる者を起こすというのは、人の考える宗教以上のものなのだ。

宇宙人(👽)D:どうして戦争がなくならないのか、と聞かれるか。全能の神であればすぐにも平和をもたらすことが出来るであろうに、と地上の人はよく言われる。それは、あなた方の思考判断基準によるものだ。人種の数にほぼ等しい創生したグループ、さらにはそれ以降にあの肥沃な三角地帯におりたった多くの宇宙人(👽)グループは、その現象結果はあなた達の現在の地球のそれぞれの国々民族、文化、そして神々を見ればわかるものだ。我々の個々の反映にすぎないのだから。

しかし、創世に関わる古代最も優秀だったイスラエル・グループは、地上に不満を周囲にまき散らせながらもその使命を今でも果たさねばならないという訳である。世界に離散され辛酸をなめても,その歴史を見れば背後にあってその必然的な使命を果たすべく今でも時折その名前があがるユダヤ人である。ユダヤ人は人種ではない。その使命、DNAとしての信条を受け入れ者たちをいうのである。それは真相において必然的に宗教に関わってくるのは、われら旧約聖書に著わされた天地創造の我らの起源に関わるのである。

宇宙人(👽)E:黒子達グループが人類創世以来宇宙から来てあの三角地帯メソポタミア、チグリス・ユーフラテスが流れる一体に降り立った時点から自らのグループに引き付けようと多くの神々を作り上げてきた時代があったと言っていい。旧約聖書で読者が嫌な思いをするのは、敵を全滅させろと神がのたまうところに一つはあるだろう。これは、宇宙での(👽)グループの相克であると何度も述べた。天での争いで過去には核で滅んだ地上の文明もある。家畜や木偶の棒のように見たり、どのように宇宙からの啓示に反応するのか、とみている👽もいるからである。

彼らが降り立ったひとつの原因は、第一に地下資源にあった。鉱物資源である。その労働力に創造された人を奴隷に使おうというグループもあったのである。この話は異なる惑星からの使者の伏線(救済からのシナリオの)であった。

宇宙は無限で中心が無いから、途方もなく高い次元で言えば、東洋でのあなたの国で言われる色即是空、空即是色に近いものだと言っても本当はいいものなのかもしれない。つまり、過去の我ら、つまり今のあなたたちの知覚という認識において想像を絶するような科学の隔たりにおいて、何度も話すように会話についての意思疎通たる共通認識において、どの地上の人の知的レベルにあわせるかは、飛来するわれら(👽)しかも個々に違う個性を持つ者が現れるのであなた達は混乱するかもしれない。

宇宙人(👽)F:『神』について、その無機的な無限と、有機的万物を恣意的に想像した我らグループを二者を混同して考えてしまっていることから起こっているのであるが、しかし、これは致し方ないのかもしれない。我らの時代からさらに遡る進んだ過去に飛来した惑星の一団がそれぞれあったのであるから。我らもあなた達と同様に体をもつから、我らを実体としてそれを創造した進んだ過去があったのだ。

多くの宗教が起こりそして消えた。残っているのは、主要な当初の創造に叶った意図からその復興と救済に沿っているものだけである。残骸も多くある。宗教を制する者は人心を制するのだから。しかし、創世から関わらぬ、人手で作られた宗教は淘汰されるだろう。

形あるこのように人としてあるという事実は、実に驚きのことなのだ。さらに我らの世界が漸次、開示されようとしてきている。しかし、ようやく僅かばかり進んだだけである。これからも我らの仲間は、地球人になって我らに会うために宇宙開発を辞めることはないだろう。今まで知られていなかった銀河系の中での長い楕円軌道の惑星があるらしいとようやく推測されたくらいであるから。

宇宙人(👽)G:これから話すことに読者がそれはとってつけた解釈に過ぎないと思われるのであれば、調べられるといい。しかし、バラバラに知識の断片で関連付けるので推論することになるのだろうが、第一歴史の中で大きなウネリとなるには、歴史にはあがってこない実に多くのバックヤードでの黒子達に扇動された、あるは同調した大衆がいたのであることを忘れるな。それは、集合意識、今の言葉で言えばクラウドになっていると言えばいいか。

それは、その時代、今これを読まれているあなたのDNAを過去において、未来に引き継ごうとしていた(あなたのDNAを持っていた)人がいたのであろうから。そういう今を生きている自分というDNAが過去の誰かの(無論、親であるが)バトンを受けて、その欠陥も引き継いで現存するわけであるが、人は考えもしないプログラムを組まれている。

それは、かなり進んだ過去において(我々はかなりの昔であるにもかかわらず)あなたの今の科学とは想像を絶する隔たりがあるのだから。だから実に、お話をするうえで非常なる困難を覚えているという訳だ。それは、理解する上での言葉の定義、というか話してわかり合えるということは、用いる言葉(先行する言葉)の先理解の共通認識があるべきなものだが、分かるように話をしようとすれば、非常なるちぐはぐと了解への困難をあなたに与えるかもしれないと思っているのである。

我々が巷で目にすること、知られている歴史から考えて欲しい、といっても真相は古代から本当のことは学校ではその内容は教えられていないのだが。おいおい語ることとしよう。

創造プログラムシステムで最も優秀だったグループがイスラエルというグループであった、ということは以前に述べた。地上に増えた人が、その命の創造の始原を忘れてそれぞれの偶像なる神々でまとまり始めたことは、被創造物の人は当初の神の主旨から遠くへだったことをやり始めたのである。他の宇宙人(神々)に従って・・・。

こういう逸脱から人類救済のプログラムを決行したのは、創造時優秀だったイスラエルというグループであったのである。イスラエルのグループによって人類の救済プログラムが開始され、あの混乱の神々が降り立ったその地から、私の示す地に行け(脱出せよ)と救済のグループの神に言われたのが、後に信仰の父と呼ばれるようになったあのアブラム(後のアブラハム)であったのである。

世界人類の救済に彼が導かれ、星の数ほども多くすると言われ、地上の多くの王があなたから排出されるであろうと、『私はアブラハム、イサク、ヤコブの神』である、と言われた、その救済の神であった。

ここで、救済の書と呼ばれ、全人類に開かれ、多くの言語に訳され今も読むことができる聖書になっているのであるが、なぜ、『私はアブラハム、イサク、ヤコブの神』である、と都度、宣言されたかは、多くの惑星から地球のその地に降り立った多くの宇宙人のグループがあったからであることから理解されるであろう。

今も彼らのグループの残した宗教となって、多くは淘汰されたが形を変えた宗教のしきたりをあなた達は今も見ることができる。ゾロアスター教、排火教とも呼ばれ、火の神は護摩法要として日本にも残っている。ミトラ教は廃れた。ヒンズー教での牛をあがめるしきたりは、あのモーセがシナイ山にのぼって神の言葉を刻んでいた時、ふもとで司祭アロンがエジプト由来の牛、しかも金の牛を作りあがめてモーセを怒らせた由来が、インドにの残っているという訳だ。私が述べようとしている黒子とは世界に散らされたイスラエルの派遣者、創生の神のシナリオライター通りの背後での黒子たちである。

いまも世界に一致が絶えない理由が理解できるのではないだろうか。天の使い達の相克である事は何度も話さねばならない。我に来たれと最も天地創世の意図を汲んだその選ばれし民の神の摂理の演出は、旧約聖書に書かれているとおりである。ヤコブは、天からに使いと相撲をとり、イスラエル(神の皇太子)と呼ばれるようになり彼からイスラエルの12部族が輩出してくるのであるが、その歴史の中で王が立てられ、国も分裂し、世界に散らされ、実施の地上の天になるごとく地にもなさせたまえと、世界の政治、経済に背後で関与し続けているのである。

宇宙人(👽)A:終わりにあなたが不思議に思っていたことを短く話して帰ろうと思う。イエスが「信仰があれば、この山を動かすことができる」と弟子達に話したことについて、とってつけた話と思われるな。その他、聖書の中の不思議な話は、あなた達の判断で思うからそのように思うだけなのだ。我々は、銀河系の宇宙の惑星の軌道も変えることが出来るのである。

しかし、このことは他の事象を話した突飛に思われる話にも当てはまることだ。彼の話したことは我らの世界では当然のことを話したのであるが、多くの疑問を聴衆に与えることになった。使徒パウロでさえ、このことの意味を各地に行く度毎に問われたのである。第三の天にまであげられたパウロは、返答したのであった。

「山を動かすほどの信仰があっても愛がなければ意味が無い。『信仰と希望と愛』この中でもっとも大切なのは『愛』である。」と。



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