marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(87回目)

2016-08-09 10:56:03 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 前回からの続き・・・
ヨハネ伝がすこし他の福音書と異なる理由は、先に少し書いた。イエスが天に帰られ、聖霊を送られ、その体験者の群れが目の前に集まって群れをなしている。そして、イエスの言われたように天の父なる神をあがめ礼拝しているその事実をヨハネさんはヨハネ共同体として実際に体験している訳なのだ。つまり、残されたイエスを信じる人々の群れの、まさに福音の恵みと言う奴の検証が出来た人ということだ。そして、その記録を福音書として残したのです
◆ヨハネは直弟子として体験、聞いていたこと、また、その他イエスの言葉の言い伝えの語録や、奇跡の資料、受難、復活の話なども書き留め、或いは他の無名の弟子などからの資料も参照したかもしれない。ヨハネさん一人でそれらをかき集めるのは少し無理があろうし、まして書き留めるのはかなり困難であったと思う。いずれにせよ、ヨハネ共同体の中でそれは形成をなしていった訳です。ですから、都合良くとは決して言ってはいけませんが、編集がなされ、はっきりさせて良いところは明確にし、編集で少し回りくどい具体性、女性の信仰の自立や光と闇と物語の構成など(盲目の青年の癒しで光を感ずることが出来たこと、光ある内、光の中を歩めと言われたことが続く、あるいは、ユダの裏切りでイエスを渡すために夜の闇に出て行ったことなど、その他)、時間的齟齬、少し構成が乱れているところなどより、目の前の実際の主イエスにより起こされた人々の証言の事実に会わせ福音書を構成したということが考えられる訳だ。何故なら、目の前の現実、それが一番確かな”わざ”だから。それは、イエスの送られる聖霊で生かされる人は2016年の今もそうだということになる。 では、
その証拠の一つ・・・(68回目)を参照ください。
僕が福音書の中で最も好きな物語ヨハネ伝第9章、「この男が生まれつき盲目なのは、この者の罪か親の罪か」。イエスが答える「この者の罪でも親の罪でもない、神の栄光が現れるためである」。この物語は何度読んでも僕は心が奮えるね。で、なんと、生まれつき盲目で神から見放され人とも思われなかった男(青年)が天下の権威パリサイ人に説教し始めるところがあるでしょう!(9:30~33)この青年は結局、村八分になるわけだ。これは当時、恐ろしいことだった訳。その後イエスに信仰告白するのだけれど(9:38~39)。イエスが天に帰られた後、この青年はどうして暮らしたと思う? 
◆それはね、このヨハネさんのいた共同体の群れの一人として本当にまさに良き、動かしがたい生き証人として天寿を全うしてイエスの元へ帰っただろうなということが分かる訳。それは、ヨハネさんが今まで誰にも相手にされなかった青年に先んじて語らせてしまっている次の言葉にある。(9:31)「わたしたちはこのことを知っています。・・・」 Ω 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿