marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(776回) 内村鑑三「我はいかにして~」 第8章キリスト教国にて

2021-01-13 11:06:42 | 日記

◆「12月5日ー神の摂理が、私の国民の上にあるに違いないと考えて、いたく感動した。もし、すべてのよき賜物(たまもの)は、神によって与えられるものとするならば、私の国人たちの有する、賞讃すべき性格のなかには、いと高きところより与えられたものがあるに相違ない。私たちは、私たち固有の賜物と恵みとをもって、神と世とにつくそうとしなくてはならない。神は、20世紀間にわたる訓練によってもたらされた、私の国民の性格が、欧米の思想によって、すっかり取り替えられることを望まれない。キリスト教の美しさは、神の各国民に与えられたすべての独自性を、聖化しうることである。日本人もまた神の民であるとは、幸いにして勇気のわく考えである。」(「第8章キリスト教国にてーニューイングランドの大学生活」内村鑑三の日記から)***◆昨今、youtubeなどで、世界中の人々の情報を分かち合うことができるようになった。日本国史学会の田中英道先生やレムナントの久保有政さんなどの古代この日本には多くの渡来人、秦氏(東方ユダヤ人)が来て日本人として同化して日本の国作りに精を出して来て、その痕跡は様々な大小の神社があることや多くの技能を伝え、生み出し、伝統や文化からも分かるとしてしてみることができるとしている。◆内村は、当時のキリスト教国での生活を体験し、日本人も神の民(無論、これは戦時中のそれとは異なる)であると思ったのであった。今や、僕らが疑問に思いながらも知らされることがなかった歴史が明らかになり、紀元前、まさにキリストの誕生以前からその離散したユダヤ人たちが理想の国を求めようとして、東へ向かった多くの一団があって天皇が受け入れたこと(これは記紀にも書かれている)、その到達した国がこの日本と言う国だったと思われる痕跡が多くみられ、第一、我らが国人の伝統や文化や信仰心において、その痕跡があるであろうことは誰でも察することができるのではないだろうか。・・・続く



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