◆「読書には時期がある」と彼は述べているが、確かに世間も知らず、人生経験もそれほどなく、他人という生き物から自分も含めた人と言う生き物の生き様を見、経験を積んでいけば、やはり頑張っても途中から、若いころ好んで読んだ大江健三郎は、読めなくなるのだった。歳をとったせいだろうということだ。欧米の詩人、思想家、作家の作品を引用して自分のやる気のヒントが沸き起こりイメージし、奮起することは、確かに未経験の社会、可能性のあるであろうと想像する世間に夢を持っている若い内は、彼の作品から想像力の可能性としての輝かしいインスピーレーションの突然の訪れを感じたものであった。◆大江がその作品の題名にもした深瀬基寛の訳したオーディンという作家の「見る前にとべ」などは、僕が仙台にいて予備校のアルバイトをしていたころに、卒業生にひとことというので、その詩をみんなに送ると読み上げたことがあったのだから。大江健三郎は面白いぞ!と。僕が24か25歳の時だったかと思う。◆その詩と言うのは「危険の感覚は失ってはならない。道は確かに短い、また、険しい。ここから見るとだらだら坂みたいだが・・・・見るのもよろしい、だが、あなたは飛ばなければなりません。」確かそんな文句だった。彼は、その詩の題名まんまの小説をしたためたのだった。日本版のボーイズ・ビー・アンビシャスというところか、イメージとしてはね。何となく、わかるでしょう。見る前にとんだらケガするわな・・・けれど、夢に向かって飛ばなけれないけない、と。いずれ、彼は小説やエッセイの中にも多くの引用をしてくれたので知識が増し加わったこと、それに第一に、彼は「知的に小説の方法(としきりに書くが)」それが又、ボンクラの僕の頭をかき混ぜてくれるのが快感ではあったことには大いに感謝しなくてはならないと思っているいるのだ。
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