marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(596回) 「僕の生まれた小さな村の大きな物語」-遥かなる太陽が昇る地を目指して

2019-10-20 06:18:31 | 小説

親愛なるMへ

◆作家、大江健三郎の故郷は四国である。四国には剣山があってそこにモーゼの運んだアークが埋められているのだそうだ。この類の話が多くyoutubeでみることができる。真言密教の空海が八十八か所がぐるりと四国の島を巡っている。作家として信仰など持たないという彼はおそらく意識はしていなかったのだろうけれど、不思議と聖書の話が彼の小説のメタファーになっている。それに自然、森、それは四国の森から来ているのは間違いないのだが、それと現代の哲学やら思想が結びつくような話が多く小説に取り入れられるのは、なにがしか幼児心象としてその土地からくる記憶が彼の心の底にあるからなのだろう。それが、ウイリアム・ブレイクを採用したり、新しき人(これは新約聖書パウロの手紙に出てくるし、S.ヴェーユも論文に用ている)目覚めよ、若かりし頃の「洪水は我が魂に及び」などとかもろもろ、世界のベストセラー聖書から暗示を多く受けているように思われますね。

◆さて、四国は「死国」なのだそうだ。その島の秘密が封印されるように空海はそれを感知して八十八か所という祈祷所を作り「結界」を作り封じ込めたのだろう。真言宗なので僕の親族は、つるんで車で2年かけて回ったそうである。ビデオも撮ってまわったそうだが、僕は見ていない。いずれ、空海は中国語が話せたそうだし真言宗の最高位の灌頂を師の恵果から受けたそうだから、スーパーエリートだった。高野山には、敵対してきた武将たちの墓も一緒にあるそうだし、いずれ枝葉末節はともかくひとランク上の人だったのだろう。なぜ、ここで世界のベストセラー聖書なのかといえば、彼、空海は中国唐に渡ったときキリスト教に触れているのである。景教と呼ばれた。西と別れてマリアを神の母として持ち上げなかったネストリウスが東へ伝道したのでネストリウスキリスト教と呼ばれるが、実に多くのクリスチャンが大陸には多くいたのだ。パウロが死ぬ思いで苦労して伝道していた時に。大きな「太秦景教流行碑」(シリア語も書かれているとか)が建てられたそうだから、そうとうの人数だったのだろう。この碑のレプリカが高野山にもあるそうだ。当時、空海はグローバルな人だった、今も高野山にはたくさんの海外の観光客は訪れているねぇ。当時は、儒教、道教、ユダヤ教やキリスト教など長安の都には存在した。日本にも多くいろいろなものから影響を受けている。それが僧侶が述べればすぐ仏教だと言われたけれど。

◆浄土宗などは中国で「善導」という方が始祖だと言われているけれど「浄土があるということ」「『南無阿弥陀仏』を唱えるだけで救われる」などは、かなりキリスト教の影響を受けたものだと僕は思いますよ。お釈迦さんはそんなこと言っていないから。僕などは「西方浄土」といわれてきたのは、キリスト教で「神はエルサレムに呼び集める(現代では天のエルサレム)」といわれたので「西方」とは当時から見れば「エルサレム」のことを言ったのではないのかとか、キリスト教の「主の名を呼ぶものはみな救われる」という教えからきたものだろうなぁ、とずっと思ってた

◆パウロが「神の言葉」でもって苦労しながらも、東へ行こうとして「キリストの霊に禁じられた」という不思議な話が使徒言行録に出てくる。彼は、マケドニア人が「私たちを助けてください」との夢を見、ギリシャにわたる。たくさんのクリスチャンが中国にいたときに。ここから、僕ら被創造物である人間が自分の言葉で神をとらえようとする神学が始まってくるわけだ。「知」の西欧、「情」の中央から東アジアという感じ。今の世界を見れば、哲学と合理性、法の順守(パウロはローマ法で名高いそこで殉教)ということが今でも人としての世界を動かす重要な要素。実際面では、経済である。つまり、被創造物の人は自らが自分の言葉で「御心の天になるごとく地にもなさせ給え」と神の同労者として地を変えていかなくてはならない、思い責任を自覚し担うようになったのである。

◆「人はパンのみにて生きるにあらず」とキリストは言われた。「パンを食べなければ第一に人は生きてはいけんでしょう」と考えたユダヤ人を現実面で選民族として土台として備えられた神の摂理とはこれまた敬服しなければいけないね。そこから見えない世界のシステムが作られて来たといってもいいと思う(学校ではならいません)。離散したユダヤ人がいなければシルクロードなど、第一統一された取引の仕組みがなければ、できっこないのですから。イエスが、サマリアの女に「救いはユダヤ人から来るからである」といわれた言葉の疑問が解けたように思った時、僕は正直泣けた。

◆さて「僕の生まれた小さな村の大きな話」の「大きな話」とは、紀元前に地球の裏側で国を失ったイスラエルの10部族が東へと向かい、時代を経て、それぞれの国に同化しつつも、順次、この国にやって来ていたということなのである。それが学問的に科学的にと言えばいいか。ユダヤ人とこの国の民族の40%ほどもDNAが同じで、中国や韓国には見られないものだということである。さらに、今までブログに写真を掲載もした僕のにもある「八幡神社」が渡来人(秦氏や鹿嶋氏・・・)が伝えたものだということが神道辞典に掲載されていたのである。・・・続く