marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(560回)その3:<人殺しの悪魔>「我らの戦いは血肉にあらず・・・」(エフェソの信徒への手紙6:12)から

2019-05-31 09:03:04 | 日記

 どうしてこういう事件が起きるんだ!!

◆人命が失われる悲惨な事故において表題が語る意味合いを特にここ数年強調しなくてはならないと思わされた。僕は普通人、盲信者でもなんでもないどこにでもいるような平凡人。この国の人が、否、この国の人ばかりとはいえなのかもしれないが、今という時代、キリストが存在された時代の聖書の言葉には引かれるものもあり、また、自分を拒むような言葉もある。平凡人が世界のベストセラーを読んで、ある一筋の道筋が僕なりに見えてきた。それは・・・

◆神が人間を自分の似姿に創造したという。それであれば、人は被創造物、神を超えることはできない。しかし、人を知る努力をすることによって、少しでも神を知ることが出来るかもしれない。天地創造から、いろいろな時代を経て、人は生きては死に、死んでは生きて歴史を歩んできた。人の社会は天になるごとく地にもならせたまえと、創造された世界、また人を知る言葉がもたらされて科学技術も発展し豊かになった。科学と宗教の対立などということもあったが、天上界から引き出された言葉が豊かになって行くにつれその雑音に悪魔も介入。それで人的社会が豊かになる中に悪魔も光を装うようになったということだ。科学は今や人類を滅ぼすまでになったのである。神に対抗すべく、天上界での最高位の天使が創造者に替わるべく反旗、もろもろの手下とともに地上に落とされた。彼らは時に光を装いもし、地上で神の最愛なる作品である人をうろつき廻り殺して歩いているのである。

◆イエスが息を引き取られた時、神殿の垂れ幕が下から上まで裂けたという。これは驚くような暗示である。それは、神との直接に相見まがうその場の仕切りがキリストの死によって取り去られたということ。選ばれ決めれた人が限られた時に神と会話できることが、誰にでもできるようになったということである。異邦人ローマの百卒隊長が「この人は本当に神の子だった」と言う。今や永遠に生きることができる天上界に誰でもが入れるチャンスが切り落とされたといことで、今もそれが訪れているということだ。・・・今もだ。地上の人間にそれらの言葉が開かれているのである。

◆と同時に、それを信じた者は、地上に落ちて人を死に落としめる手下を増やそうとしている悪魔にも、それがうろつく悪霊も対抗すべく、戦いをなして行かなければいけないということが託されているのです。しかし、イエスを信じた者は何も力むことなく、彼に結びつつ普段の生活をすればいい。内的、霊的なスキルアップがなされるから彼の言葉から離れてはいけないということが条件だ。つねに私につながっていなさいと彼イエスは言う。キリスト信者はイエスに近づくべく、霊的進化があるのが理解されてくるのです。自分自身に対する戦いもある。しかし、イエスに結びつくものは、さまざまな困難も彼の十字架に同期すべく喜びとなっていくと言われるのです。AI(人工知能)が盛んになるということが言われ、このような時代になって僕なりに教えられることは、神が創造された霊の法則とうようなシステムがあるように思われてくるのです。その進化の終盤に、表題のパウロの手紙に書かれた言葉が現れてくると思わされるのです。

◆「あなたがたの敵である悪魔が、吠え猛る獅子のように誰かを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。」

                                                 (ペトロの手紙5:8-9) ・・・