marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(475回目)カズオ・イシグロ、ノーベル文学賞と作家村上春樹について

2018-01-21 08:35:29 | 日記
 作家村上春樹さんのファンの方には再度、ごめんなさい、であるが、ノーベル文学賞次は村上春樹か、と騒がれパブあたりでその発表を待ち望んで居られた方々のニュースが流れていた頃、数年前から新聞のある記事を読み彼は貰えない、と思ったと偉そうな事をこのブログに書いた(466回目)。無論、この選択肢も時代が反映されるものであると思う。しかし、時が迫って来ている中、その方向性は、長い長い将来、大上段に構えれば人類の未来に向けたメッセージを要求し始めて来ているように思われる。時は縮まっている。そして、新しい人間の時代が真に始まるように思われるのです。人類の”暁”の時代です(こいう言い方もたいそうな物言いだが)
カズオ・イシグロがノーベル文学賞をもらった時、その受賞の思いの記事をこのブログにも書いたが、僕と同じように村上春樹のイスラエルでおこなったスピーチを思い出したという記事が地方紙に載った。地方にある劇団の方の記事(2018年1月8日)
◆村上春樹のスピーチが掲載されていたのでここにその記事の抜粋を掲載します。
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 先月、ノーベル賞受賞式でのカズオ・イシグロさんとサーロー節子さんのスピーチを聞きながら私はふと、2009年にイスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した村上春樹さんのスピーチを思い出した。
 「もし、硬くて高い壁と、そこにたたきつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ」。村上さんは、人は唯一無二の卵であり、高い壁はシステムだと言った。役者の仕事は、いろんな卵の声なき声に光を当て、舞台から届けることなのかもしれない。・・・ 
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◆村上春樹の言った、高い壁、とは何の事かと思われる方もいるかだが、今のその地にある壁のことですね。この記事を読んで、いいこと言うではないかという殆どの方は思うだろう。それで、ブログに掲載したカズオ・シグロの物書きになった原動力の思いを読み返して欲しいのです。イシグロ、村上、彼らの視点は、同じ歴史を過去と現在を歩んでいるその人々(ユダヤ人、イスラエル)についての過去の歴史と現在の場所を言っているのです。
◆僕なりに言わせて貰えればですが、ここに深い洞察が必要です。
 いきなり空をつかむような話に飛ぶことを許していただければ、天地万物の創造主、”人”という生き物を”自分の似姿”に創造された神の歴史から洞察すれば、”人の良心、命への感情”というものは、人類の歩みの中でつくられてきた(積み上げられてきた)感情なのですね。”人権”や”人格”や”人類”とか、”人の命”などという事柄を、人間自らが考えられるようになったのは、その歴史からみれば、まったく最近の事なのです。
◆僕は決して良いことだとは思わないが、ユダヤ人、彼らは戦っているのです(と書いても彼らの肩を持つつもりはない)。全人類に反旗を翻して、苛立ちを起こして。この地球の行く末は、この地球に住んでいる一人ひとりの日毎の普段の僕ら人間のありように掛かっている(これまた大層な言い方になったが)。そんなあたり前のようなことの自覚の促しが誰しもに起こり始めていることをこの新年に思わされているのです。・・・・