井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

中国の民度 今は昔ならず

2013年10月03日 | 歴史・政治

その父親朴正熙元大統領が親日家であったことから、朴槿恵大統領はポーズとして
反日を全面に打ち出して来るだろうと思っていたが、案の定で
驚かなかったが、しかししばらく様子を見ていると、この方ひょっとして
擬態としての反日ではなく、本心から韓国伝統の反日教育に
毒された方なのかも、と思い始めた。
だとしたら大変頭の悪いことである。政策もよく見えない。中国に擦り寄って、
北朝鮮ごと飲み込まれたいのかと、半ば本気で言いたくなる。

百済高句麗を滅亡させて自ら中国の懐に飛び込んでいった歴史の再来を思わせなくもない。

朴槿恵大統領は、幼いころから父親の傍らにいたわけであるから、父親が日本に恩義を感じていたことも、また漢江の奇跡も日本のおかげであることなど、当然見聞きして承知のはず、と思いこんでいたのだが、どうも彼女の言動を見るにつけ、本気で日本に憎悪を抱いている様子で、本当に驚かされている。

「中韓未来ビジョン共同声明」を掲げた朴槿恵大統領だが、中国への傾倒は若い頃からであるようで、両親をたてつづけに暗殺された悲しみの中で中国の古典に慰めを見出したと本人も述べている。
それゆえ、中国というフィルターを掛けて日本を見るようになったのかもしれない。
しかし、朴槿恵大統領の勘違いは、中国の文化の偉大さを、今の中国人も
引き継いでいるという思い込みにある。
中国文化の分厚さは並大抵ではなく、私も多大の尊敬を払うが、
現在の中国人が築き上げた文化ではないと思う。という言い方も乱暴であるが、
民族の交代、種族の交代のようなことがあったのではないか、というのが
私の見方であるが、歴史に疎いのであくまでも仮説、想像でしかない。
古代ローマに匹敵した中国は、孔子孟子荀子と名だたる思想家を排出、
文化の巨大な花を咲かせていたことは事実だが、さて後漢末期の戦乱で、
あちらは完膚なきまで殺し合いをするので、文化の築き手であり担い手で
あった漢民族は実はこの時点で滅び去り、攻め入ってきた蛮族、遊牧民族に
取って代わられたのではないか・・・・という説は他でも見かけるので、私の
オリジナルではないが、しかし文化革命この方の中共の政治支配の下での
民度の未熟さはただごとならず、とてものことに一時期栄えた
文化国家とのつながりを見出し得ないのである。
すなわち中国5千年の歴史はない、というのが私の見方である。

朴槿恵大統領のみならず日本にも中国賛美の方々はいらっしゃるがしかし
孟子時代の漢詩の中国と現代の中共とをごっちゃにしてはいらっしゃらないだろうか。中国大陸に歴史はあっても、現在の「中国という国」に一貫した歴史はありはしない。

現在、中国文化の名残をとどめているのは映画であろう。大変すぐれたものが
時々現れる。韓流にもまれに芸術的に高い域に達する作品があるが中国映画の
比ではない。
反日の波を日々浴びていると、中国映画の秀作に接すると、ほっとするのである。ああ、まだ話し合う余地は僅かながらでもあるか、と。感性をこれだけ共有できるではないか、と。
韓国ドラマも映画もそれは非常にレアであるが、皆無ではない。

朴槿恵大統領のみならず、私がいぶかしいのは凄惨を極めた李朝の歴史への
自省は皆無で、それゆえそこからの解放者であった日本を評価することなく、
これまた三跪九叩頭の礼で卑しめられた中国への「慕華思想」から
脱出も出来ないでいることである。

おそらく長きに渡り飼いならされて中国へは、パブロフの犬的条件反射での
追随、日本へは同じく神経反射的反日、というのが朴槿恵大統領を代表格として
見られる韓国の基本メンタリティではないかと分析している。
日韓併合でいったん日本の軍門に降ったことがあるだけに、なおさらその反発心と
コンプレックスが拍車をかける。

朴正煕元大統領を親日と書いたが、ことはそう単純でもなく、むろん親日の側面は
あったろうが、政治家になってからの彼はもっとしたたかであり、日本人の性質を
知り尽くした上での、巧妙な外交で日本には対してきた、と言うべきであろう。

ちなみに、日本軍のありもしない「性奴隷」とやらを撃ち続けてやまない朴槿恵大統領であるが、日本側から引き継いで韓国に公娼制度を整えたのは彼女の父親の朴正煕である。

李承晩大統領の暴虐的やり口に疲弊していた日本に朴正煕大統領は巧みに
持ちかけ様々な援助を引き出し、それは以来延々と続いている。

膨大な賠償金支払いは、実質的な韓国への経済支援であったし、それに加えて技術支援、
1997年のアジア通貨危機で破綻寸前の韓国に100億ドル、2002年の
日韓ワールドカップでスタジアムをつくる資金提供。
2006年ウオン高救済基金200億ドル、リーマンショック時に300億ドル。

ODAとしては、ダム建設、下水処理事業、地下鉄建設事業、電話拡張事業、高速道路建設、火力発電・・・・などなど100項目に近くある。

これだけの莫大な援助を韓国民も日本国民も概ね知らず、知らされず、韓国はともかく、
日本でなぜ知らされないのか、不健康であろう。
莫大な日本の援助を覆い隠されたまま、韓国の激しいヘイトクライムをスルー、日本人によるヘイトスピーチを取り締まる法案づくり等と言われると、私などはほとんど呆然自失してしまうのである。

 

 

 


ふたえの虹

2013年10月03日 | 日記

やっと翌朝のワイドショーで式年遷宮の様子を拝見しているていたらくで
お恥ずかしいのだが、一度は伊勢神宮にも伊雑宮にも足を
運ばせていただいたことはあるので、あの特有の空気は
分かる。伊勢神宮は凛と張り詰めた、伊雑宮はまったりと
あたかも万葉の時代に立ち戻ったようなのどかさであった。

それにしても参拝の人々の様子を拝見していると、まだまだ
日本は大丈夫かもしれないという安心感が兆すのは
なぜだろう。神道というのは宗教の狭い枠を超えた日本の精神性のごときもので、
さればこそ、伊勢神宮を訪れる海外の要人たちも特有の霊感に打たれて
この地に佇む。
宗教などというものは狭い枠組みに過ぎぬので、宇宙を貫く真理のごときものは
世界共通であろう。

ワイドショーの伝え方はパワースポットというごとき浅い伝え方であったのが
残念であるけれど、日本人の魂の根源がそこに鎮まってあるような
場所で、一度は参拝なさることをお薦めしたい。
といっても、上記述べた如く狭い民族主義的な意味合いではなく、もっと
おおらかな神性を感知出来る場所である。

20年に一度の儀式もいろいろに解説されるけど、私は神道特有の、
禊だと捉えている。神のおわす場所の、そして神自身の、絶えざる
再生の象徴であろうと感じている。

人も事象も、一処に定着して動かなくなったところから、成長が止まり
淀む。常に流れ流れて、絶えざる清新を目指すところにどうやら宇宙の
実相がある。
絶えざる変化を自身にも。そう思う。

絶えざる動きの中にこそ成長がある。

もし時間にゆとりがあれば、別宮さんである伊雑宮にも足を運ばれたい。
こちらでは写真撮影をなさると、不可思議な存在が映り込むかもしれない。
霊格低いそれではなく、高い位置におわす方々なので、だいじょうぶである。
私が写した写真には慈母観音がいらした。界隈が雨雲で薄暗いのに
そこだけ陽がスポットライトのように、うらうらと射している不思議も
体験させていただき、ふだんは唯物主義でそういう現象はいっさい
信じない同行の方が、こればかりは不可思議の感に打たれていらした。
私はこちらは、ごく個人的にゆかりの深い場所であると感じているが、それゆえの
不思議な現象であったのかもしれない。霊的感受性がなくもないが、さほどあるほうでもないので、わからない。

伊勢神宮では本殿前に佇むとゆかりの人の場合には、垂れた薄布が
風で上がり、拝めると聞かされていたが、私が佇んでいる間じゅう
布はずっとめくれ上がっていて、何とはなしにほっとしたのだが、薄い薄い布であるので
僅かの風さえあれば、常時上がっているものかもしれない。
訪れた方に訊いたことがないので、これもわからない。

今回の式年遷宮で現地を訪れた人々も「風」ということを口になさっていたようで、
風はすなわち神の「気配」であろう。神の息吹きでもあろう。

テレビの画面でイージーに拝しただけであるが、日本にはいまだ神おわす、
そう感じた。

秋篠宮文仁殿下も清子様も霊格高くいらして、ありがたかった。

今年は出雲大社60年に1度の大遷座と伊勢神宮の式年遷宮とが重なり合った。
日本は何か変わるような期待も抱く。
昨日は東京にも二重の虹がかかったと聞く。不徳の身で、私は拝しては
いないけれど。

今日が新たな20年の始まりである。
日本列島の上空に、大きく浄化の虹の輝くことを祈念しつつ記す。