井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

煙草の迷惑

2016年05月31日 | 健康美容

自分がかつて、ヘビースモーカーだったので余り言える資格はないのですが・・・・

副流煙による害が従来よりもっと、深刻であると解ったそうで・・・・

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160530-00000148-fnn-bus_all

受動喫煙が原因の死者数、年間1万5,000人 厚労省調査

略 これまで、受動喫煙は、肺がんや心筋梗塞などに因果関係があるとされていたが、前回調査以降、脳卒中やSIDS(乳幼児突然死症候群)にも因果関係があるとされたため、大幅に増えたという。

         ーーーー転載ここまでーーー

小さい犬たちが、いくらか私の喫煙による副流煙の害を受けていなかったか、
今更ながら悔やまれます。換気扇は24時間回しっぱなしではありましたが、
さなきだに嗅覚の敏感な生き物です。

煙の暴力ですね。

酒場のカウンターでは、喫煙可のところが多く隣で盛大に吸われても
自分がかつてやっていたことなので因果応報と、こらえているのですが
高価な着物をまとっているときが、きっついですー笑ー
繊維に絡みついて厄介。洋服と違って気軽にクリーニングとはいかないので。

オリンピック、パラリンピックを前に副流煙対策が余計、厳しく
なるそうで、喫煙者には厳しい時代です。

そういえば、歩行喫煙もめっきり見かけることが少なくなりました。

豪州における煙草の高価格は知られていますが、更に値上げするようです。

現在25本入りが、25ドル(約2000円)。
貧しい若者として2年間豪州で暮らしていた頃も、毎日の煙草は欠かしたことがありませんでしたが、今は貧乏人は無理ですね。

2017年からは毎年12,5%ずつ上げていくそうで、愛煙家はどこまでその値上げレースについて行けるか。そのうち一握りの富豪の嗜好品になりそうです。
昔フィリピンに旅行した時、煙草のバラ売りが珍しかったのですが、あの時代に戻るのかもしれません。

・・・・・・煙草の話題からそれますが、しつけとして山中に置き去りにされた男の子のことが気にかかります。5分で親が戻ったのが事実なら、わずか5分間の異変というものをずっと考えているのですが、思いつかないのです。熊が出るような場所ならいざ知らず。恐怖に駆られた子が、闇雲に歩きまわったり走ったりして道に迷った状態を考えてみたのですが。
仮に5分間でも、男の子の主観的時間では長い時間だったかもしれません。

普段から厳しくしていたのでしょうか。反抗期にはまだ遠い年齢だし。

反抗期といえば・・・・・親に上手に愛されなかった子は、反抗期を知らない事が多いのです。最初から親に受け入れられてないので、反抗しようにも反抗することができないのです。
そして、心の成長にとって親離れとしての反抗期は必要なステップなのですが、
それを通過しないまま大人になってしまうと、心のどこかにひずみを抱えたまま一生を生きてしまうのではないか、とこれは最近気づいたことです。
児童心理学の分野で言われていることか、そうでないのかは知りません。
私が個人的に思うことです。

というわけで、親とのトラウマを抱え人生がゆがんでしまっている人の
お話は、いつでも聞きますので公開して欲しくなければタイトル欄に
「非公開」と記して、投稿なさってください。

何を書いてくださっても、この年令ではもはや大してたじろぎはしません。
全部吐き出すことも治癒への第一歩のようで、中には私に吐き出した途端
健康状態が急激にアップしたという方もいらして、でもあながちあり得ないことではないと思います。
心因性の病気って、人が考える以上に多いようなのです。

と言って私に何が出来るわけでもなく、ただお話を伺ってあなたの過去を
つかの間共有するだけですが。


舞台は「気」を放つ

2016年05月29日 | 日記

昨日に続いて鄭義信作「パーマ屋スミレ」の話ですが、
その出来栄えの素晴らしさに私は実は立ち上がり、拍手したかったのです。
スダンディング・オベーションですね。

拍手だけでは賞賛の気持ちが足りず、立ち上がりたいというのは
単なる儀礼ではなく感動がもたらす情熱の動作なのだと、
よく解りました。

日本にスタンディングオベーションの習慣がないのが残念です。
その代わり欧米では、数分間のスタンディングオベーションも
ある代わり、ブーイングも凄く、これはやはり日本人のメンタリティには
そぐわないかもしれません。

美輪明宏さんのコンササートでは終演後、東京では観客は総立ちで
「美輪ー!!」「ブラボー!!」の声が毎度ですが、芝居がまちまちなのは
興味深いことです。

同じ芝居を私は長年見続けているわけですが、回によっては
出来栄え自体は同じなのに、何だろう熱度が足りないような?
と思っていると、てきめんスタンディングする人がまばらなのです。
正直なものだ・・・・・舞台は怖いなあという思いとともに、ほぼ同じ
配役、同じ演出なのになぜこう違うのだろうと思うと、映画とは
違って舞台は生き物である、ということに思い当たります。

その日の役者の放つ「気」の差異もあれば、観客との相互交流なので
観客が放つ気の高低も、またレベルもあるかと思われます。

美輪さんのコンサートは都内では、ほぼもうファンクラブ内で
はけてしまい、しかも最初は抽選になっていてその次は早い者勝ち状態なのは
先に綴りましたが、それでも頑として大きな劇場を選ばれないのは
「気」が行き渡る空間をお考えなのだと、思います。
今度うかがってみようと思いますが。

さて、政治問題は刺々しくなりがちなので、控えめにしているのですが、
それでも見逃せない記事があったので。

朝日新聞の社説です。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12380370.html

 一部抜粋

アジアでは、原爆は日本の侵略に対する「当然の報い」と考える人が多い。オバマ氏の広島訪問にも「日本の加害責任を覆い隠すものだ」といった批判が韓国や中国で相次いだ。

 戦禍を被った国々と真摯(しんし)に向き合い、戦地での慰霊といった交流の努力を重ねる。日本がアジアの人々の心からの信頼を得るには、その道しかない。

          ーーーー 抜粋ここまでーーーー

原爆投下を当然の報いと言い立てているのは韓国と、その次に中国しか
ありません。

朝日新聞の考えるアジアは、韓国中国北朝鮮だけなのでしょう。

と、記事にもブーイングを浴びせたいのがあります。

ちなみに日本が韓国人の被爆者に冷淡であったことはありません。
援助して援助して、一生懸命やって来ました。

でも返って来るのは感謝ではなく罵りで、そのうち嫌になって
援助も下火になった・・・・ようです。

http://www.sankei.com/column/news/160528/clm1605280007-n1.html

 


昼酒持ち越して夜酒へ

2016年05月29日 | 日記

村川絵梨ちゃんの芝居を観に出かけた新国立劇場で
ぱったり南果歩さんに遭遇「次の芝居に私も出るんで、
いらしてください」とおっしゃったので、
気にはかけていたのですが、一日延ばししているうち
「わが家」他でお世話になっている制作会社のプロデューさんが
チケットを確保してくださって、出掛けたのが昨日。

とここで、告白せねばならないのですが、村川絵梨ちゃんに
「芝居観に行く」と約束してから、その芝居が在日作家さんの
芝居であることを知り、実は内心困惑したのです。
(行きたくない、観たくない)が本音、でも約束だから・・・・

在日劇団の反日プロパガンダ芝居のことが脳裏にありました。
未成年少女の性奴隷狩りなど嘘八百の韓国慰安婦映画に協力している
劇団があることも知っていたし。

ところが、村川絵梨ちゃんの出た芝居は私の懸念を吹っ飛ばす
出来で、何より「人間」を描いているので、人物が在日であるという
以前に人間としてきちっと描かれているので、共感も寄せやすいのです。
「同じ人間だよね」と素直にいえます。
政治外交の場では、言いづらい言葉ですが。(絵梨ちゃんの役は
日本人設定でした)

南果歩さんが出られた芝居も、同じ在日作家さんの
三部作のうちの一本でしたが、
脚本、演出、美術、役者の力量、トップクラスで、うなりました。

日本に無理やり連れてこられて、ひどい差別を受けたのと、
紋切り型のプロパガンダではなく、熊本の炭鉱町で働く
男たちの愛や苦悩を、同じエリアで対等に暮らす日本人たちと
共に描いている視点が良かったと思います。
在日を描くと、とかく日本が悪くて在日はその被害者だという
視点で描きがちですが、この作品はただ人間を深く見つめ続けて
いて、深刻な話を笑いでくるみながら娯楽として提示できているのが
何よりでした。

*鄭義信三部作 舞台「焼肉ドラゴン」「たとえば野に咲く花のように」「パーマ屋スミレ」

村川絵梨ちゃんは、「たとえば野に咲く花のように」南果歩さんは「パーマ屋すみれ」に出演です。

日本の演劇史に残る作品の一つであろうと思われます。

・・・・・当日は、仕立ておろしの木綿の着物を着るつもりで
出してあったのですが、もはや夏の陽気。急遽、
越後上布の薄物に切り替えました。

楽屋を訪れた私に、果歩さんは小さなお香をくださいました。

お芝居が午後1時終演、終演は4時を過ぎていて
蕎麦屋で軽くいっぱいどうですか・・・・とプロデューサー氏に
誘って頂いたので、お言葉に甘えぬる燗3合を板わさで
呑み、締めにざる蕎麦すすったらもうはや、6時過ぎ。
プロデユーサー氏を別れてから、ふらふらと宵闇迫る
近くの繁華街飲み屋さんに。

のんべでもなければ、好きでもないのに、いったん体内に
アルコールが貯まると、たがが外れるのか延々と飲み続けます。
その日はとりわけ、上質の芝居への酩酊もあったので
心地よかったのです。

店3軒はしごして、千鳥足で帰宅したのでした。


オバマ大統領の原爆慰霊碑献花

2016年05月28日 | 歴史・政治

実質的に、アメリカからの謝罪でしょう。謝罪も反省もその文言は
時期尚早でいまだ、使えませんが世界はアメリカの謝罪として
概ね受け取ったと思います。

さればこそ、韓国では「戦犯国である日本が被害者ぶるな」と
ネットも報道も熱くなっているわけですが、彼らの矛盾は
一方で原爆投下は日本へ下した神の懲罰と言いながら、
その一方で韓国人犠牲者にオバマ大統領は謝罪と補償をと
言っていて、その矛盾にも気づいていないようです。

旭日旗を戦犯旗と言って忌避するのですが、そもそも日本が
戦犯国であるなら、戦争当時日本兵として戦った朝鮮兵は
「戦犯」・・・・戦争犯罪者なのでしょうか。

靖国神社には、およそ2万1千柱の朝鮮出身兵の皆さんが
英霊として祀られています。この方たちが戦犯ですか?

無理やり連れて来られた人たちではありません。
多くが積極的志願兵でした。

Wikiに詳しいです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA

Wikiより朝鮮人志願者の数と倍率表です。

中には、警察による圧力でいやいや応募した青年もいるとされていますが、中にはそういう人たちもいたでしょうが、そんな人達だけでは競争倍率50倍とか、60倍とかにはならぬでしょう。

どうしても日本の軍隊に入れてくれと、血書を認めることも青年たちの間では、流行ったのです。朴槿恵大統領の父上、朴正煕元大統領もそうです。
極貧の家の青年でしたから、日本軍が拾い上げていなければ、
その後の大統領の座もなかったでしょう。

戦犯国といっても、敗戦したらどの国も戦犯扱いなのであって、とりわけ東京裁判の偏り方と不公正さは、つとに知られたことではあります。

日本軍の思わぬ強さと優秀さに愕然としたアメリカが、日本人の足腰を徹底的に砕いたのが、戦後のGHQ施策とGHQ制作の平和憲法なのですが、しかしアメリカはじき、日本の両手両足を縛っていることのまずさに気づきます。

それが終戦5年後の朝鮮戦争でした。そこでアメリカは日本に警察予備隊を持たせます。それが陸上自衛隊の前身です。

そして自衛隊と、日米同盟は徐々にアメリカにとっても重要度を増して行き、
現在に至ります。

オバマ大統領による“謝罪”もその流れにあると見ています。中国の軍事的台頭を見ていると、日本が大いなる盟友であるわけで、それかあらぬか日本政府もついに、核兵器を持つことの可能性を頭から否定はしなくなりました。
護国のための核兵器保持は九条違反ではない・・・・と。

トランプ氏がもし大統領就任となれば、日本の軍事的独立をさらに
促されることになるのかもしれません。独立はすなわち更なる同盟国としての
強化だという考え方もあるでしょう。

彗星のごとく現れたオバマ大統領も、メッキがはげた感がありますが、
広島における演説は相変わらず巧みで格調高いものでした。
原稿は四方八方に目配りの効いた、欠点ゼロの完璧さで
私などはその美しい修辞に終始する内容に、逆に心打たれることは
なかったのですが・・・・
しかし、主観に走った感動的情緒的原稿もまずいわけなので、あれで満点です。過剰になると、アメリカの謝罪と懺悔と受け止められかねないから。

被爆者の突然こみ上げた涙は予定調和を破るリアリティで
それを抱き寄せたオバマ大統領はそれゆえ、唯一感動的な
シーンになりました。

備考

(総理府)警察予備隊→(保安庁)警察予備隊→(保安庁)保安隊→陸上自衛隊
(海上保安庁)海上警備隊→(保安庁)警備隊→海上自衛隊

・・・・・・・とこんな文章を書いてから、机の周りを整理していたら靖国神社さんからの封書が出てきて、「春の例大祭」へのご招待状でした。封切らぬままどこかにまぎれていたのでしょうが、まさにこんな日に忽然と現れるとは
シンクロニシティなのかもしれません。

そういえば、今年はご案内が来ないなあ、と思っていたのでした。
秋の例大祭は逃さないようにしよう・・・・。


伊勢神宮

2016年05月27日 | 日記

サミットの場に安倍さんが伊勢神宮を設定なさったのは
賢明だったと思います。そしてそれを「日本人の精神性」と
表現なさったことにも。

日本人は無宗教なのに、なぜ道徳性が高いのかと
海外では不思議がられますが、海外で思われるような
色の濃い宗教性はないにしろ、無宗教ということはありませんね。

ありようは神仏キリスト教混淆のファジーさで、しかしながら日本人の精神の奥底(奥底)には、古代日本人の霊性としての神道が知らず知らず息づいています。

それにしても、いささか残念であったのがテレビのインタビューで
伊勢神宮を説明なさる安倍昭恵さんの言説の拙さで、なぜ
事前にお勉強して言葉を推敲、まとめていらっしゃらないのかな、と。
せっかく日本人の精神性の大元である伊勢神宮を語る機会であったのに、
「きらびやかな建物ではないよさ」程度のご説明で歯がゆく思いました。
せっかくご亭主が「日本の精神性である」と美しく端的に提示なさっているのに。

例えばですが・・・・・西欧では石の建物に永遠性を求めるが
伊勢神宮は式年遷宮に見られるように、建てては壊し新たに清浄の宮を建て直し、破壊と再生を繰り返すことが、日本人の捉えた永遠性なのです、と。
その象徴が、伊勢神宮なのですよ、と。

総理夫人の立場で、あれこれ積極的に発言なさるなら、事前になぜもっとお勉強され、言葉を収集整理、その上で推敲なさらないのかな、といぶかしいのです。その言論の粗雑さに。

言葉というものに対して、畏れと敬意を持って頂きたいのです。
日本は神道の国でもありますが、言霊のさきわう国でもあります。

ちなみに、ここでいう神道はいわゆる宗教枠に収まるものではありません。
それこそ、日本の精神性であり、古代日本人の得た霊性としての
神道・・・・・神へと至る「道筋」なのです。