井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

ふたえの虹

2013年10月03日 | 日記

やっと翌朝のワイドショーで式年遷宮の様子を拝見しているていたらくで
お恥ずかしいのだが、一度は伊勢神宮にも伊雑宮にも足を
運ばせていただいたことはあるので、あの特有の空気は
分かる。伊勢神宮は凛と張り詰めた、伊雑宮はまったりと
あたかも万葉の時代に立ち戻ったようなのどかさであった。

それにしても参拝の人々の様子を拝見していると、まだまだ
日本は大丈夫かもしれないという安心感が兆すのは
なぜだろう。神道というのは宗教の狭い枠を超えた日本の精神性のごときもので、
さればこそ、伊勢神宮を訪れる海外の要人たちも特有の霊感に打たれて
この地に佇む。
宗教などというものは狭い枠組みに過ぎぬので、宇宙を貫く真理のごときものは
世界共通であろう。

ワイドショーの伝え方はパワースポットというごとき浅い伝え方であったのが
残念であるけれど、日本人の魂の根源がそこに鎮まってあるような
場所で、一度は参拝なさることをお薦めしたい。
といっても、上記述べた如く狭い民族主義的な意味合いではなく、もっと
おおらかな神性を感知出来る場所である。

20年に一度の儀式もいろいろに解説されるけど、私は神道特有の、
禊だと捉えている。神のおわす場所の、そして神自身の、絶えざる
再生の象徴であろうと感じている。

人も事象も、一処に定着して動かなくなったところから、成長が止まり
淀む。常に流れ流れて、絶えざる清新を目指すところにどうやら宇宙の
実相がある。
絶えざる変化を自身にも。そう思う。

絶えざる動きの中にこそ成長がある。

もし時間にゆとりがあれば、別宮さんである伊雑宮にも足を運ばれたい。
こちらでは写真撮影をなさると、不可思議な存在が映り込むかもしれない。
霊格低いそれではなく、高い位置におわす方々なので、だいじょうぶである。
私が写した写真には慈母観音がいらした。界隈が雨雲で薄暗いのに
そこだけ陽がスポットライトのように、うらうらと射している不思議も
体験させていただき、ふだんは唯物主義でそういう現象はいっさい
信じない同行の方が、こればかりは不可思議の感に打たれていらした。
私はこちらは、ごく個人的にゆかりの深い場所であると感じているが、それゆえの
不思議な現象であったのかもしれない。霊的感受性がなくもないが、さほどあるほうでもないので、わからない。

伊勢神宮では本殿前に佇むとゆかりの人の場合には、垂れた薄布が
風で上がり、拝めると聞かされていたが、私が佇んでいる間じゅう
布はずっとめくれ上がっていて、何とはなしにほっとしたのだが、薄い薄い布であるので
僅かの風さえあれば、常時上がっているものかもしれない。
訪れた方に訊いたことがないので、これもわからない。

今回の式年遷宮で現地を訪れた人々も「風」ということを口になさっていたようで、
風はすなわち神の「気配」であろう。神の息吹きでもあろう。

テレビの画面でイージーに拝しただけであるが、日本にはいまだ神おわす、
そう感じた。

秋篠宮文仁殿下も清子様も霊格高くいらして、ありがたかった。

今年は出雲大社60年に1度の大遷座と伊勢神宮の式年遷宮とが重なり合った。
日本は何か変わるような期待も抱く。
昨日は東京にも二重の虹がかかったと聞く。不徳の身で、私は拝しては
いないけれど。

今日が新たな20年の始まりである。
日本列島の上空に、大きく浄化の虹の輝くことを祈念しつつ記す。


9 コメント

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東京 (よっしー)
2013-10-03 18:15:52
昨日東京に出た虹はとても大きかったそうですね。
スカイツリーを中心にしてくるりっときれいな半円を描いた写真を
ネットで見つけましたが、
あの大きなスカイツリーがマッチ棒のように小さく小さく、ついていたコメント
「こんなでかい虹初めて見た!」も、素直に頷けました。
他に熊本でも虹が出たり、いろいろと吉兆のような事象があるみたいです。
遷宮はネットの実況で拝見しました。
これから日の本がどんどん良くなりますように、と願わずにはいられませんでした。

先日の記事で御自分の寿命が次の遷宮の少しあとまで位・・・と書かれていらっしゃいましたが
その頃から悠仁殿下の立太子、ご結婚、お子様誕生、そして即位とお祝い事が目白押しの筈ですので
ぜひ長生きして、お祝いの記事を書いて頂きたいです(笑
よろしくお願いします。
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行ってみたいです (ナデシコ)
2013-10-03 20:17:40
伊勢神宮…行ってみたいです!!

出雲大社と厳島神社は行ったことがあるのですが。本当に子どもだったので、お恥ずかしながら深くなにも考えずにおまいりしました。
「古事記」をよんだり、これからもコツコツと知識を深めていきたいです。
先生の書かれたもの、早く手に入れて読ませていただかなくては~!
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吉兆と正論 (くおん)
2013-10-03 21:39:45
昨日の虹の話題に、何か救われたというか、これまでも幾度も国の危機的状況を乗り越えてきたこの国は、きっと永遠なのだ・・・そう信じる気持ち、日本を諦めないという気持ちでいよう、そんな事を思いました。

内宮の遷御の儀を終え、また新たな20年ですね。秋篠宮殿下と黒田清子様の姿、実はまだ、拝見できてないのですが、虹は吉兆なのでしょうね。
ご皇室と日本が永遠でありますよう祈ります。

やっと本日(地方は遅い。。。)、正論受け取りました。
ひとつひとつ各論点が明確で、痛快に反論されていましたね。それだけでなく、はだしのゲン騒動から、ますます浮き彫りになった戦後日本の病理を解説されていて、今回の寄稿分で一通り網羅できる構成、読んでいて胸のすく思いでした。
多くの方に読んでいただきたいし、今回閲覧制限反対運動に加担された親御さん全てに読んで頂きたい、切に願います。

論文の中で一貫して示された、未来を担う子供たちへの暖かい目線が井沢先生ならでは。
ドラマを見たあとのような感動を覚えて読み終わった次第です。

この論文を読むと、きっと親御さんも子供達も、日本に生まれたことへの感謝と誇りを取り戻せる、そんな力のこもった論文でした。ありがとうございました。

ゲンの言い回し風に、「安倍ちゃんの・・・世界全てが極右国家じゃわい!」と啖呵を切っておられるところは、思わず笑ってしまいました。あれいいですね(笑)
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欲が消える (民草)
2013-10-03 21:47:48
何年か前にお伊勢様に御参り致しました。
奥に入るに連れて、老若男女の皆様が言葉少なになられ、私自身も雑念が消えていきました。
建築物の威容で圧倒するわけでもなく、儀式の華やかさで酔わすわけでもなく、在るがままの自然と簡素ながら細やかな気遣いのある御宮。
これ等を見て心波立つ人は少ないでしょう。
一時でも、つまらない欲から抜け出せた時間でした。
550億円もの巨費が総て寄付で賄われると言う事も是非、世の中に知って戴きたいです。
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Unknown (achabi)
2013-10-03 21:54:57
私は、生まれて間もない頃に、親の意向で創価に入信させられ今に至ってます。疑う気持ちすら持ち合わせず、物心ついた頃から活動に参加してました。
小学生の頃に訪れた日光東照宮では、参拝する際の拝礼には、足元の小石を拾う真似をし、地元のお祭さえ、当然不参加。子供だったら一番の楽しみのクリスマスケーキさえ食べられませんでした。
総本山である静岡の大石寺にも、新旧両方何度も行きました。
新しい大石寺、莫大な寄付金を使い建てたものである為、確かに立派です。でも、今思えば、その様相は、平壌の一部だけに立ち並ぶコンクリートの街並みにそっくりです。
拝殿でさえ、厳かな気持ちに浸った記憶は有りませんでした。
あれ?おかしくない?と思い始め、創価から脱退したのは平成元年です。
前置きかわ長くなりましたm(__)m。

伊勢神宮の式年遷宮を、今回初めて厳粛な気持ちで受け止めている自分がいます。
宗教を越えた場所があると……知らなくてはならない・勿体ない日本があったのだと感じてます。
私も、脈々と受け継がれて来た神の地に赴き、空気・風・気配を感じてみたくなりました。(日本人として日本に生まれて来て良かった)と心から思える気がします。次の式年遷宮の年に必ず行こう!。私のこれからの人生の目標にしました。
悠仁親王ご誕生の時の吉兆虹と同じ力を持つ虹であることを祈りつつ。
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 (井沢満)
2013-10-03 22:39:17
よっしーさん

>その頃から悠仁殿下の立太子、ご結婚、お子様誕生、そして即位とお祝い事が目白押しの筈ですので
ぜひ長生きして、お祝いの記事を書いて頂きたいです

うーーん? 秋篠宮文仁殿下が摂政にまわられるかどうか? そこら辺で状況が変わりそうですよねえ?悠仁さまのご成人のさまは廃することが出来そうです。
さぞ美しい日本の面差しの、皇太子におなりでしょう。

ナデシコさん

私は出雲大社がまだなんですが、あちこちお参りしても、伊勢神宮は別格です。

くおんさん

「正論」を読んでくださって、ありがとうございます。この機会に浅くながら問題点を網羅しておきたいと思い、注文枚数の2倍を超えてしまったわけです・・・。

安倍さんもいろいろありますが・・・実のところあり過ぎますが・・・伊勢神宮「遷御の儀」に立ち会われた事自体が一つの決意表明であろうとは思っています。禊にもなったのではないでしょうか。

民草さま

一度伊雑宮のほうにもお越しください。
伊勢神宮のように凛と張り詰めた清らかさではなく、ひなびた暖かな空気がまったりと、漂っている神域で、自分の魂の田舎に戻ってきたような心地がするところでした。


achabiさん

正直にありがとうございます。
伊勢神宮や神道を狭い宗教枠で捉えると
見失うものがあります。一つの「精神性」であるというほうが実体に近いでしょうね。

宗教というのが何か、という原点で考えると宗教問題はシンプルになります。
なに教であれ、教祖がいてその下に色々役職ができ、そして絶対的につきまとうのが集金システムです。

でももともとは教祖となる人がおのれ一人の
魂が感知したところからすべてです。それが組織化されるところから、何か別のものに変貌していくのでしょう。

伊勢神宮という澄んだ気の中に佇むと、もはや宗教などという狭い枠を超えて、何かを受け取りますよ。

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Unknown (しらさぎ)
2013-10-03 22:46:51
近畿地区在住なので 子供の頃から何度もお参りさせていただいています。
あの清浄な空間の中に入ると 心の中の煤が取り除かれるようで、いつも帰りは心身が軽くなったように感じます。

そんなわけで思い立ったその日に・・ということもあり比較的、気軽に参拝していたのですが
TVで年配のご夫婦がきちんとスーツを着てらっしゃるのを見て 自分に欠けていたものに気が付きました。

健康上の理由や小さい子供がいたりで 動きやすい服装でないとツラい、という場合ももちろんありますので無理をする必要はないと思いますが
やはり特別な場所に行くという気持ちを忘れてはいけないなと思いました。
もし我が家の男子たちがTシャツのまま出ようとしたら
「同じ伸縮素材の服でも、せめて襟のあるものに変えて~」って言おうと思います。
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TPO (井沢満)
2013-10-04 00:05:45
しらさきさん

やはり「身を改める」というのが必要でしょうね。
靖国神社の秋の例大祭もダークスーツという指定があり、一瞬行くのを止めようと思ったくらい、私はネクタイが不得手なのですが・・・・

それでも威儀を正すのは必要でしょう、相手への礼儀もありますね。まして相手は神様なわけですから。

カジュアルでも襟付き、いいですね。
ジーンズは避けるべきでしょう。
スラム街のファッションでそれはそれで
いいですが場所がらというものがあります。

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Unknown (ららら♪)
2013-10-04 16:59:18
お参りされた方でしょうか、
画面の中に、和服の女性たちを見かけました。

正装している方もあれば、カジュアルな方もあり、
ここは浄きところと思えば、
みだしなみも整えることとなりますね。


>宗教などという枠を超えて
そうですね。
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