井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

言い訳としての反日

2013年10月21日 | 歴史・政治

この間、韓国の歴史教科書で正直な記載をするのが現れたことを
書いた。

これもとりわけ新しい話ではないのだが、でも割に最近・・・・
ある韓国人が日帝時代の教科書を発見して、混乱するわけですよ。
なぜならそこに、ハングルが書かれてあったので。
何しろ日帝時代の反日キャッチフレーズの1つが「日帝は我々から言葉を奪い、名前まで奪い」だったのだから。

言葉も名前も奪ってなどいず、ハングル普及は日本だし、創氏改名も自由意志だったが、いまだに日本人の中にさえ「名を奪い言葉を奪い」を信じている人達がいる。
いったん教わったことを、ことあらためて学習し直す大人もさして多くはないだろうから、
結局は教育の問題に帰することなのだろう。

しかしながら、韓国人は比較的冷静だったようで、「我々が教わった国史が間違っているのかも」とか。更に驚いたことには「極端に少なかった識字率を上げたのは日帝だった」という反応が多いそうで何よりだと思う。

こうして1つずつ気づいてもらって行けば、後は一瀉千里に真実が明らかにされる
日が来るかもしれない・・・・と思うのは楽観的過ぎるだろうか。

米国在住の韓国人は、現在も従軍慰安婦の像を作るのに熱心である。
これ、ふと思うのだが・・・・。韓国で調査すると、韓国を出て海外に住みたい、
言葉をあられもなく変えてしまえば、韓国を捨てたい希望を持つ国民が
意外に大変多く、面倒なのでデータは探さないが、韓国高官の子弟数名が、
徴兵逃れで国籍をさくさくと変えて批判を浴びている。

という事情を見るにつけ、海外における韓国人たちの反日運動は
祖国を「捨てた」ことに対するエクスキュース作りであろうかとも
思えるのだ。何しろ国是が反日の国であるから、反日さえやっておけば、
愛国心の証なので、韓国に残っている親戚を冷たい目で見ないでね、とか
たまに韓国に帰省しても、兵役を逃れてうまいことやってると思わないでよね、
とか、そういうことにどうも反日が使われているのではないかと、思わぬでもないのだ。
穿ち過ぎだろか。異常なくらい熱心なのでねえ・・・・。

話題は変わるが、日本文化と歴史に詳しくていらっしゃるので「ねずさんのひとりごと」だったかな? そういう名のブログタイトルを時々、拝見させていただくのだが、さっき
「外来種の、せいたかあわだちそうに席捲されていた日本の草花たちが戻って来つつある。せいたかあわだちそうが自滅を始めたからである」という記事を、何か象徴的な意味合いで読ませていただいたのだが、その記述の中で日本の花の色が中間色である、という記述があり、そうだよなあ、と思った。撫子であるとか矢車草であるとか、ほのかで花弁も小さい。

私は熱帯、亜熱帯が好きで、従って花もずっと原色のそれに心惹かれて来たのだが、
最近である、和の花の佇まいを何とも好もしく思うようになったのは、年齢のせいなのだろうか。自己主張なく、微風にそよぐ草花がいい。

 政治の場で中間色はやられっぱなしであろうから、日本的なるものは極力抑えて臨むのが正しい流儀だが。