井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

命 天国のママへ

2013年10月19日 | ドラマ

最新ドラマに関して、新情報が出たのでお知らせします。

http://www.tbs.co.jp/hot-jyouhou/201310181218.html

私は見ていませんが、予告映像もTBSで流れ始めているようですね。

サブタイトル「天国のママへ」は局の命名ですが、ドラマの世界が分かりやすいかもしれません。「母」はドラマのもうひとりの主役です。


勅使

2013年10月19日 | ドラマ

石畳に響く浅沓(あさぐつ)の音に振り返れば、衣冠束帯に身を包んだ天皇陛下からの勅使の一行で、彼らが担ぐ御幣物(供物)を収めたつづらは、金の菊の御紋を浮かべた絹に覆われていて、時間が一気に平安朝に戻った思いで、私の中にある日本人の血が何かに感応してざわめき立つようであった。

昨日靖国神社秋の例大祭にお招きをいただき、初めて参上した。数日前の台風に拭き清められてまだ大気は清浄で、秋の日差しが美しい。

それにしても、衣冠束帯は何と日本男子に映えるのだろう。皆が皆凛々しい美男子に見える。よく見れば違うのだけれど、と余計なことは言わなくていいのだが。
粛々と歩む神官たちの姿に、伊勢神宮の式年遷宮のさまは、さこそと忍ばれた。もろもろ毀れつつある日本だが、神道の儀式、約束事ある限り、それが守られる限り日本は残ると思った。

皇室の弥栄と、その内なる神事の守られて存続することを祈念する。

帰り、遊就館に立ち寄りここを訪れ、国へ親へあるいは幼き妹への思いが綴られた遺書を目にするといつも涙を禁じ得ない。その日は西洋人の姿が多かった。中国語も耳にした。
妙な話だが、儀式に参列の間、ここが爆破される可能性のあることが頭をよぎっていた。
しかし何事も無く無事、不穏の徒も見かけなかった。

「なんで日本人が参るのをとかく言われなくてはならないのだか」と行きのタクシーの運転手が嘆いた。安倍さんの不参内のことである。
「戦犯が祀られてるって言ったってねえ。負けたからこそで、勝ってれば戦犯じゃない。戦争すりゃあどの国のも戦犯はいる。なんで日本だけが」

と、普通一般の日本人の思いはこうだろう。靖国の中で、平和が祈念されていることなど中韓の彼らは知りもしないし、知ろうともしない。

いずれどの国に何を言われようと、決然として首相が参拝しなければならない時はあるだろう。言われたところで結局何がどう変わるというものでも実は無いと思う。短期、かの国々がヒステリックに何か喚き立て、それに付随する行動があるかもしれぬが、永遠に続くわけでもない。世界に幼稚を示すだけのことである。安倍さんも長期政権を目指しての安全運転へ早々とギアを入れ替え、物足りず思う人もたくさんいるだろうが、私も心情的には時々そう思う。
靖国だけには実のところいらして欲しかった。諸般の事情は汲み取りながら、無理に来る時期ではないと表には言いつつ、しかし安倍さんの今後の政治における精神性の基幹であろうから、そこは守りぬいて欲しかった、と実は思う。それは韓国や中国の理不尽な言いがかりをいかに、はねつける気概を見せるかどうかということにもかかって来るのだから。
その気概にややもすると首を傾げることもあるゆえに、今この時期に無理に行かなくてよいと言いつつ、矛盾したことを言ってしまった。