goo blog サービス終了のお知らせ 

井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

里見浩太朗さんと渡哲也さん

2019年03月25日 | ドラマ

「徹子の部屋」に里見浩太朗さんが出ていらして、
なつかしく拝見した。
「外科医 有森冴子」シリーズの一話に、ゲストで
お出まし願い、脚本を執筆する前に帝国ホテルの

ラウンジでお会いした。

新たに組むベテランの役者さんと組む場合は、その方の
既成のイメージから僅かでも外に出ることを考える。
私は、里見さんに少し「汚し」をかけたく
職業設定をボイラーマンにしようと目論んでいた。
ボイラーマンを「汚し」というのは不穏当だが、
裏方の仕事で、衣装も作業で汚れがちの、という意味である。
東映時代劇の表舞台で華々しかった方に、油で汚れた
作業服を着て頂きたかったのだ。
それを言ったら「体育の教師がいいです」と即答で、
私がいえ、ボイラーマンでぜひ、と粘らなかったのは
物語の必然としてボイラーマンがあったわけではなく、
里見さんには珍しい現代もので、それも市井に生きる
名もない庶民という役どころで十分、新しかった
からだ。

書く仕事を始めてから会うスターさんには平常心で
接するのだが、書き始める遥か以前から銀幕の
星として仰ぎ見ていた人たちに会うときは、いささかの
緊張が伴い、それは渡哲也さんにお目にかかった
時もそうだった。やはり帝国ホテルのラウンジである。
「今回、渡さんには歌いながら子供と一緒に踊って頂きたいです」
と申し上げたら、渡さんはちょっとびっくりした
顔をなさったが、「はい踊ります」という返事だった。

「夏休みのサンタさん」という作品で、子供絡みの
シーンが多かったのだ。子供の見る夢として
渡さんと子供の、ちょっとしたミュージカルを
脚本中に書き、作曲家に先にメロディーを書いてもらい、
後で、私が童謡的な詞をはめた。

ところが撮影当日、スタジオには振付師が待機していたのだが、
直前になって「踊れない」とおっしゃり、歌だけのシーンに
なった。それまで築き上げて来た渡哲也的イメージに対して
抵抗がおありになったのかもしれない。

それでもドラマそのものが渡さんがこれまで絶えてお演りになった
ことのない役柄で書いたので、渡さんは「新しい面を見せた」として
何かの賞を得られ、こちらとしては新基軸で書いた
甲斐があり視聴率も23%と上々だった。
小説を角川書店から出したのだが、その文章の一節が
高校の入試問題に採用され、これは事前には本人に知らされず、
事後承諾である。入試問題なので、当然のことだろう。
ただ、私が作詞して武満徹さんに曲をつけて頂いた
合唱曲「島へ」が高校の音楽の教科書に載った時も、当時の文科省から
だったか? 事後報告で、ちょっと割り切れなかった。
事前に許諾を求められたとしても、お断りはしないが、
おそらく誰も断ることはしない、ということを前提の
偉そうな(お役所文書を私がそう感じたに過ぎないが)
文面にひっかかったのだった。

NHKからの再放送依頼も、担当者によりけりだが事後承諾めいていて時々
カチンと来ることがある。一回偉そうな調子の電話に「許諾しません」と
言いかけたことがある。私に許可を得る前に放送日が
決まっていたからだ。しかし、ノーと言おうとして止めた。
作品には監督はじめとしたスタッフから音楽家から役者まで
100人もの人たちが関わっている。私の一存で
再び日の目を浴びる作品を埋もれさせることは出来ない。

という意味で、薬物を理由にお蔵入りになる作品に対して
複雑な思いがある。私の考えでは、観客が自らの意思で
お金を払って見る映画は無問題。テレビでオンエアされる
作品は嫌でも目に入って来るので、オンエア中止は
やむを得ず。ただ、事件を起こす以前の過去の作品群封印は
過度に過ぎるのではあるまいか。そう思っている。
DVD化された作品は、買うほうが承知で見るのだし。






俳優座

2018年10月17日 | ドラマ

旧知の劇作家・演出家である池田政之さんの作・演出「やっとことっちゃ うんとこな」を見に、六本木の俳優座劇場へ。

これも旧知である俳優の川端槇ニさんが主宰する劇団NLTの公演です。

私はプロとして見物客としてはすれっからしで、めったに素直に笑ったり
泣いたりできないのですが、この作品は抱腹絶倒でした。掛け値なしの上出来喜劇。
川端さんの老女形の、よれよれしたそれでも女形の誇りを胸に秘めて
毅然とした哀愁とおかしみ・・・・・絶品でした。

現代の劇中劇に歌舞伎を入れ込んだ意欲作でもあります。

知己が関わっているからということではなく、自信を持って
お薦めします。

https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=48001

劇団NLTは文学座の、その中国寄り路線に反発したメンバーが
脱退して作った劇団です。
三島由紀夫、賀原夏子、丹阿弥谷津子氏、矢代静一氏らが
メンバーで、この時期の三島作「サド侯爵夫人」を私は見ていて
これは演劇史に残るであろう名品でした。文学座・杉村春子さんの
「欲望という名の電車」と共に、一つの演劇場の奇跡として
私の脳裏にはあります。もう一つひとまとめに奇跡を上げるとすれば
美輪明宏さんの「双頭の鷲」「黒蜥蜴」「毛皮のマリー」の
3作品でしょうか。

「サド公爵夫人」は公爵に関わる女たちだけで延々と公爵について語り
公爵は現れないまま、公爵像が自ずと浮かび上がる、という
構成で巧みです。

NLTはまた作品の上演路線への意見の食い違いから三島さんらが
離脱「浪漫劇場」を作るのですが、三島さんの自決で
空中分解しました。

NLTは賀原さんの秘蔵っ子だった川端さんが引き継ぎ、50年の
命脈を保っています。離合集散の激しい演劇界で凄いことです。

コメディ専門の貴重な劇団です。

 


観世能楽堂「人でなしの恋」

2018年10月15日 | ドラマ

銀座の観世能楽堂で、人形師であり着物作家であるホリ・ヒロシさんの
40周年記念公演を見てきました。

江戸川乱歩原作「人でなしの恋」は、人形と三田さんとが入れ替わり
立ち代わりしながらのあやかしの舞台でした。

三田さん、圧巻。

喉の大手術をなさってから、声が出ない、滑舌が・・としきりに
気になさっていたのですが、完全復活でした。


見る側の知性

2018年08月09日 | ドラマ

深夜のテレビを何気なくつけたら、始まったのが「ヤング・ポープ 美しき反逆児」というドラマ。無聊をかこっていた時なので、見始めたら何やら物凄まじいまでの
グレードの高さ、作りての志の高さ。

見浸っているうち、「続く」の文字に愕然。実はこれが連ドラの一話なのだとその時に
知ってまた愕然。

その重厚さから映画だとばかり思い込んでいたのだ。それに、見るものにこれだけ知性と知識を要求する作品は映画だってめったにありはしない。
もっとも知識に関しては、キリスト教圏の人々はすでに承知のことばかり。
日本人にとっては、じゃっかんのカトリックに関する知識が必要であろう。

全10話。レーゼドラマに近い会話劇で、これといっためぼしい出来事は
最小限に、神とはなにかというテーゼと、教会という組織が必要悪として持つ澱みとの拮抗が深い言葉のやりとりで描かれる。若く美しい法王の長台詞も文学の
一部を切り取った如き趣き。

バチカンでの撮影がどこまで許可されたのか分からないが、よく撮っている。
もし、全編バチカンが許諾したとしたら何とまあ、懐の深いこと。
ドラマに興味を持っていたヨハネ・パウロ二世聖下の頃ならいざ知らず。

ちなみに、ローマ教皇への尊称は聖下、枢機卿へは猊下である。
ダライ・ラマ法王への敬称は猊下であるが、どちらが上ということはなく
一般にはファジーな使い分けであろうが、ローマ法王に関しては
聖下という言葉は覚えていたほうがいいだろう。

原題「THE YOUNG POPE」の残り9話分は会員になっている有料サイトで
2日間を費やして連続で見た。見終わって画面に拍手することはめったに
ないのだが、この作品には、した。

こんな知的水準の高い作品がアメリカの衛星放送で流され、しかも
シーズン2が制作されるということは、それなりの評価を受けたのだろう。
愕然とするのは、日本と比べてのことだ。

シーズン1の若き法王はジュード・ローが演じ、倨傲と敬虔、野卑と品格、
矛盾に満ちた法王像を繊細に大胆に表現して見事。長い長いセリフも、
自家薬籠中のものとして流麗。

修道院に棄てられた孤児であるアメリカ人の若者が、法王として
コンクラーベで選ばれるという突拍子もない設定だが、
上手に描いているので不自然ではない。

日本にこの知的グレードの高いドラマが理解出来、楽しめる層がいないとは
思わない。だが、そこを目掛けて放つ制作陣がいず、局がない。

ヤング・ポープにいっさいの視聴者への媚や、低レベルの視聴者に
向けてのくだくだしいサービスもないが、かといって娯楽性が
ないわけではない。その質の高い娯楽を楽しめるかどうか見る側が
問われているだけだ。

 

'The Young Pope', first trailer

 

海外ドラマ『ヤング・ポープ 美しき異端児』(予告) ジュード・ロウ×ダイアン・キートン競演

 

 

私がひときわ興深く感じ入ったのは、ヨハネ・パウロ二世への謁見が思いがけず叶い、握手と短いながら言葉を交わしていただいたこと、バチカン内の一般が立ち入れない場所も厠に至るまで、神父の案内で見せて頂いたことからでもあろう。
ドラマで描かれるサン・ピエトロ広場での熱狂も肌で知っている。

この間ローマに赴いた折むろんバチカンも訪れたのだが、人の行列の長さに臆して立ち入ることは諦めた。よくあんな世界中から人が押し寄せると場所の、奥まったところまで入れたものだと今更ながら、その僥倖をありがたく思う。
僥倖といえば皇居内部も2度歩かせて頂いたし、ダライ・ラマ猊下の亡命政府にある寺院でのチベット仏教での法要にも参列させて頂いた。幸運な一人であろう。

 

*無聊を託つ(ぶりょうをかこつ)
手持ち無沙汰で退屈なさま。また、そんな状況を嘆くこと。

*自家薬籠中(じかやくろうちゅう)
自分の薬箱の中にある薬のように、 思うままに使える物、または人。

 

誤変換他、後ほど。


ローマからの便り

2018年06月24日 | ドラマ

イタリアのプロデユーサー、Claudio氏から公演日当日の動画を送って来ました。
私自身は、開演時間すら知らされず劇場差し回しの、内装が凝った最新ベンツに
言われるまま乗り込み、劇場前の人の多さに驚きつつ、運転手の青年に
恭しく手を取られ車を降りたらいきなり歓声と凄まじいフラッシュ、
テレビカメラで、狐につままれたようだったのですが、
今こうして、全体を俯瞰で捉えたような動画を観ると、
敏腕プロデユーサーClaudioの描いたシナリオにまんまと
私も乗せられ、宣伝のための一つのコマとして、彼の手のひらで
転がされていたのだ・・・・と解ります。
いえ、不快を表明しているわけではなく、褒め言葉です。開演前のパーフォーマンスを仕掛けに仕掛けて人々を煽るやり口で、ほとほと感心しているのです。
この動画自体が最初からの青図通り、構成が成り立っていて、
手際の良いこと。
 

Georgie il musical al Teatro Sistina

 

今観るとまず、私の滞在ホテルから劇場に到着する時間を測っていて、私を乗せたベンツが現れると即座にそれを正面から捉えるべくカメラをスタンバイさせていたことが、解ります。あの群衆の中、カメラは最初から位置を確保、準備してないと撮れない構図です。
彼の脳裏には宣伝媒体としての動画作りのコンテが、きちんとあったのだと思います。

なにゆえに、イタリア全土からコスプレ族が集結したのか解らなかったのですが、これもおそらくClaudio氏の仕込み。それによりマスコミに働きかけ、芝居とは別要素をも加味して動かしたな、と睨んでいます。

物語がシドニーに汽車が開通した1985年頃の話なのですが、それから
舞台はロンドンへと移り、当時のイギリス王室をも含む上流社交界が背景になるので
コスチューム・プレイの要素が大きいのです。
そこに着眼、コスプレ族を煽ったかなあ、と想像しています。コスプレ族の人数自体は
さほどのことでもなかったのですが、その場の盛り上げには有効でした。

ひとしきり彼らと私の写真を写しつつ、そして市内のみならずミラノや、
遠くはシチリア島から駆けつけてくださった
ファンの方たちと私を交流させつつ、いよいよスターたちが登場という段取りなのですが、スターたちは扮装のまま、馬に引かせた馬車で表に登場させ、ひときわ高い歓声、という構成です。ロビーでサインやらファンの方たちとの2ショット撮影に追われていて(次から次、子供からいい年齢の男性まで含め半端ない数だったのです)、馬車の演出は、動画を見て初めて知ったようなしだいです。
馬まで登場させて、すでに芝居のオープニングなのです。悪役は
私と視線が合ってもニコリともせず、参集の人々に手下に銃を向けさせ威嚇します。

動画の当初、ロビーで踊ったり仮面をかぶった人たちはコスプレ族で、登場人物ではありません。出演者は馬車で登場した人たち。馬車以降が出演のスターさんたちです。
ローマは夜8時になってもまだ明るく、開演時間が遅いので終焉も午前0時
近くだったのですが、楽屋を訪ねてロビーに出ると出待ちの人たちが30人ほども
待ち構えていました。

コツコツと上演を重ね、ついにイタリアのミュージカルの殿堂と称される
システィナ劇場に持ってきたClaud氏の辣腕に脱帽。
公演の翌日、当夜の様子と私がイタリアのテレビで流されると聞かされたのですが、見ていません。それにしても、原作者としての私の訪問だけでは、
イタリアのテレビが流すほどのことではなかったでしょう。
そう言えば、イタリアのネットニュースの人も来ていました。
ひとえに、プロデューサーのこまやかで、かつ大胆な手さばきに帰することです。

 

誤変換他、後ほど