人の名を覚えるのが不得手で、今すぐ名前が出て来ないのだけど、
体操の若手が活躍していて、宙でいったい何回転しているのか、
驚きながら拍手していて、そのあと鳴り響く君が代と、上がる日の丸を
心地よく眺めている。
「正論」にも君が代論の一端は書いたが、コメント欄にも君が代についてコメントを戴いたので、少しだけ書いてみる。
君が代が好戦歌であるとか、侵略歌であるというのは言いがかりであって、
君が代の君が、天皇だという思い込みも近年のことである。
思い込みでも、天皇陛下は日本の象徴なのであるから、君=日本ということで、
日本の永遠の栄えと平穏を祈るに、なんの不都合があるだろう。
もともとは古今集の「賀」の歌で詠み人しらず。
『わが君は千代にましませ、さざれ石のいはほとなりて、苔のむすまで』
(訳)『私の敬愛する人よ、長い長い歳月に、小石が巨岩となって、さらにその表面を苔が覆うようになるまでの悠久の歳月をどうか息災でいて下さい』
要するに愛しい人の息災を願う歌であり、もともと天皇と特定されていたわけではない。
いや、その時々の施政者のことである、と気むずかしくいう人もいるが、私はそこは、いいかげんでどうでもよろしい。歌うほうがどういう思いで歌うかどうかであると思っている。
以下は我流の解釈なので、軽く読み流して欲しいが、そもそも君が代の君を、天皇であれなんであれ、「人」と限定すると、千年も八千年も元気で生きていてくれと言うはずもなく、千代八千代は八という末広がりの数字を置いて、要するに悠久、無限∞を表しているのではないか。
となると「君」はむしろ神であり、更に思考を壮大に広げるなら宇宙の真理でもあろうか。平安の無名の詠み人の意識は知りようもないが、誰を大切な「君」と思ったかは知らぬが、その相手に魂の不滅を託してとこしえに栄えてあれと歌ったような気もしないでもないのだ。
「正論」に各国の国歌の詞をいくつか例を引いたが、血なまぐさいし、兵という言葉も血という言葉さえあって、戦いの歌が多いのである。それらに引き比べ、君が代の内容のなんという、のどかな、まったり感。曲調も、宮内省雅楽課の方の作曲だそうで、万葉風にのどかである。
他国の国歌は歌詞もそうであるが、いかにも戦意高揚という趣の勇壮な曲調が多いのだ。なにゆえ、この穏やかな君が代を目の敵にするのか、私などはわからない。戦意称揚歌を国歌として持つ国の人々でさえ、何も言わぬのに、こののどかな日本の国歌をあげつらう日本人がいるのは、寂しいことである。
戦争体験国が国歌を持ってならぬなら、相当数の国家が国歌を失う。