井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

栄光と凡夫の青春

2019年05月08日 | 親子関係からくるトラウマ

ヌレエフの再来と言われるセルゲイ・ポルーニンの、ドキュメントを見た。
バレエダンサーとしてのその飛翔にも近い跳躍力と優美な動きに
感嘆したのだが、その栄光と引き換えに彼が払った代償も
大きい。

ステージに立つ前に、心臓の薬、鎮痛剤、強壮剤を喉に流し込む
彼の姿は、いずれ滅びの時を予感させ痛ましいのだが、
それは凡夫のつまらない感想で、身を贄にミューズに捧げ
刹那の動きで永遠を刻むその至福を誰が阻止出来よう。

その天才ダンサー、セルゲイ・ポルーニンはいつしか
英才教育を施した母を憎むようになる。
朝から晩まで、ダンスの練習を強要、踊り続けた自分に
青春がなかった、と恨むのだ。

その母には母の思いがあり、生まれ落ちた時から股関節が
並外れて柔らかい我が子に、母親の直感でダンサーとしての
資質を感じ、すべてを息子に捧げ一流のダンサーに仕立てあげるべく
働き通し、夫は海外に出稼ぎに出てこちらも息子一筋に
生きる。

だが、そういう生活形態が夫婦の離婚という帰結で終わり、
家族がいつか一緒に暮らせる日が来ることを支えに故郷ロシアを
少年の頃離れ、ロンドンで頑張っていたセルゲイの
心を折ってしまい、ロイヤルバレー団のプリンシパルの地位を棄てさせるに
至る。

セルゲイが持てなかった凡庸の徒の青春期など、彼が思うほど
輝かしいものでありはしない。彼が得た、目もくらむ名声と
なかんずくステージで得る一瞬の、しかし永遠に通じる恍惚に比べれば、
白鳥がカエルを羨むようなものである。
青春期を人並みに楽しんだ凡夫たちは、いずれ名もなき
墓の一群にまぎれるだけだが、セルゲイの飛翔は星を
つかみ、そのまばゆい残像は長く残る。

母は母の思いがあり、自分が放任主義で親に育てられたことを
怨みに思っている。何事か一筋に幼年期から打ち込んでさえ
いたら、世間から頭一つ抜け出た存在になり得たのに、
という思いでもあろうか。

こうして父も母も、そして祖父祖母もすべてをセルゲイに捧げるのだが、
そのことが一家をバラバラにすることになり、セルゲイはそれを怨み、
公演に家族を呼び寄せることはなかった。

がドキュメント映画の最終章で、セルゲイは父母、祖父母を初めて
公演に招き抱擁する。

私など、親が私の乏しい才能の切れ端でも見抜いてくれて一筋の
道を進むよう導いていてくれたら、つまらない並の青春期など
棄ててもよかった、と思うのだがいざそうなっていたら
親を謗るのかも知れない。私は国語の成績だけは図抜けてよかったのだが
親は「日本語など日本人なら出来て当たり前」というような人たちだった。
体を用いる領域ではないので、そういう意味での些細な”逆境”は
物書きとしてはかえってよかったのかもしれない。

セルゲイの父母、特に母親はその跳躍としなやかにたわむ身体とで
神を見せる息子を世間に捧げるために生まれた巫女であったかもしれない。
もしセルゲイの母が英才教育をセルゲイに強いていなければ、
世界はセルゲイを見ることが出来なかった。
あるいは前世の約束事で母親が”悪役”を買って出たかとも
思うのだが、それはお互い死後に解かることである。

私がもし幼児期からやり直すことが出来るなら、自身で
英才教育を強いる。人が一心に一筋に生き貫くなら、どの領域であれ、
神の道に通じる。

 


母を憎むあなたへ 4

2017年10月16日 | 親子関係からくるトラウマ

このスレッドを必要な人がまだ、いらっしゃるようなので
新たにアップしておきます。

過去記事も添えておきます。私の文章より、そこに寄せられた
それぞれの体験や思いのほうが、参考になるかもしれません。
「非公開」とタイトル欄に入れてくだされば、私だけが
読んであなたの苦しみも悲しみも、受け止め少しでも共有させて
頂きます。

思いの丈を書くことで、いくらか開放があります。
親からの虐待は精神的なものを含めて、理屈では
判断できないものなので、理性で抑えず憎しみも悲しみも
そのまま、飾らずありのままお書きください。

親を憎むということは、体験のない人たちからは批判され裁かれ、セカンドレイプを
受けます。だから、滅多な人に打ち明けないほうがよいです。

そして、自分を責めないでくださいね。

あなたの親は、犯罪者なのです。

あなたは被害者です。

親から受けた仕打ちから、我が子虐待に走っている人も同じく。

まず自分を許してあげてください。

 

 

母を憎むあなたへ 1

母を憎むあなたへ 2

母を憎むあなたへ 3


母を憎むあなたへ 3

2016年04月25日 | 親子関係からくるトラウマ

言葉の暴力も含めて、母親から幼児期から少女期にかけ、そして
大人になってからも受け続けた虐待について、体験をいまだ
コメント欄に頂いています。

公開を望まないコメントばかりなので、お応えも致しづらくただ漠然と
お返事を差し上げているだけですが・・・・

これが虐待、と定義できるごときキーワードを幾つか拾えたので、私なりの
考察も含め、整理してみます。

被虐待者の特徴。おとなになってからも。

■心が重く晴れ晴れとせず、この世を生きづらく感じる。

■実は腹から笑ったことがない。(本人、自覚していないことが多い。
何らかのきっかけで、一瞬母親からの影響を脱した瞬間、
笑って、その笑いが純粋であることに気づいて、自分でびっくりする
ケースが有る)

■親から否定され続けてきた結果、自己肯定感が低い。

■親の虐待という現実から目を背けて来た結果、他の現実とも直面できず、
どこか現実感が希薄な生を生きさせられている。

■不安定で悪しく女性的な母親の、感情のはけ口に使われてきた。

■とりあえず世間的な基準から見れば、大事に育てられたのに、
何かしら、まっとうな愛情を得たことがない・・・・という心の飢餓感がある。

■愛し愛される伴侶と巡りあったら、その飢餓感が癒やされる、と
信じていたが、いざ巡りあってもそれはそれ、満たされながら
親への飢餓感はそのまま残っている。相手が親としての包容力を
持てる人なら、多少は補えることもある。

■ある人間を一見正当に批判する時、対象は男女問わずだが、女性に対してより批判がきつく、その批判には個人的憎悪さえ伴うことがあり、これはその女性に母親を重ねている。

■男児の場合は女性の肉体に、長じても嫌悪感を抱くことがある。「あの、アマの腹の中にいたかと思うだけで、吐きそうなくらい気持ちが悪い」と顔を歪めた、ある50歳代の知識人の方の告白を聴いたこともある。

・・・・・・・・・・とりあえず、現時点ではこんなところです。全ての要件が
被虐待者にあてはまるというわけではなく、特徴を何種類か
抜き出してみただけのことなのですが。

スピ系ヒーリングに走り、インナーチャイルドの癒やしを試みる
人も多いのですが、上手くいったためしを知りません。
それほど根深いのです。またヒーラー自身が被虐待者でないと、
気持ちが解らず、ごく浅い理解しか持てないので、かえって
「誰にも理解してもらえない」というトラウマを持つことさえあります。
自らが虐待された体験を持たぬまま、薄っぺらく「許し」などを
説くので、許せないそのことに葛藤が更に生じたりします。

自分が虐待してきたのではないか、というお母さんからの
書き込みを頂戴することもありますが、いずれも虐待などと
いうレベルではありません。たとえ手を上げようと根底に
愛のある無しが分かれ目なのであり、また反省し自らを
省みる親は、虐待などしません。
虐待親の顕著な特徴の一つは、「私は悪くない」と思い込んで
いることです。「あなたが、いい子ではなかったじゃないの」
「私の至らないことばかり批判する。よくしてやったことには
全く触れず」

いい子も何も、ただその子が胎内にいただけで、
またこの世に存在していただけで、勘に障って
自分が叩いたり、言葉の暴力で傷つけ続けたり、
無視したりしていたことには、思いが至らないのです。

中には、母親に捨てられた状態で祖母に育てられ実はその祖母が
精神的虐待者であったことに気づいた人もいます。そして
後にその祖母とともに母親に引き取られるのですが、今度は
母親から虐待を受けるという二重の被虐体験で、心がねじれた
人もいます。

虐待というと、死に至らしめるような、報道に見る派手なものを
想像するせいか、日常に潜む虐待を虐待と認識しない
親子も多いのです。親は尚更、自分が虐待していることに
気づきません。

そして、親がその子の一生を壊し続けます。

普通、何も考えなくても子には親が持つ自然な愛があります。
だから少々間違ったしつけであっても、手を上げても、無問題なのです。
子供は実に正確に親の心を反映するので。
だから虐待親のほうも、心に病理を抱えています。
概ね、虐待は気づくまで親から子へ、子からまた次の
子へと虐待の連鎖が続きます。

親を許す必要はありません。というより、ほぼ不可能です。
生涯懸命に努力しても、親との和解、親への許しが
不可能であることに、晩年静かに思い知る人も多いのです。
それよりは、まず親を愛せない、親を憎み続ける自分を
許してしまいましょう。

憎しみを向けるには、また人に打ち明けるには親が高齢になり過ぎ、
また肉体的に弱り、それでも許せずなまなましいほどの憎しみから
抜けだせないでいる自分を責める人もいますが、必要ありません。
それだけ酷いことをあなたの親はあなたにしたのです。
許せない自分を許してあげましょう。晩年に至るまで、親に
あなたの人生を台無しにされることはありません。

そして周りに虐待の体験を話す人がいたら、批判がましいことは言わず、
またアドバイスも要らず、黙って聴いてあげるだけでよろしいのです。
そういうことをあなたに告白するというのは、あなたに心を許した証ですが、
そのあなたから批判する、あるいお説教するという形で突き放されると、
その人はより傷つきます。黙って頷いていればそれだけで、十分です。
また告白する被虐体験者は、相手をじっくり見極めて行わないと、
まずもって、あなたは世間の常識的反応に更に傷ついていまいます。

世の中の大抵の人達は、子が親を激しく憎み続けるという現実を
受け入れがたいので、何かしら告白者を批判、否定しがちなので、
それは、そう受け止めるほうが実は健全なのですが、相手は
心の根深いところで病んでいる人たちなので、親子関係における
「健康者」の言葉は通じません。親子であっても、あたかも
仇敵同士であるかのような、合わなさを味わう人達がいることは
体験者でないと解りません。

面白いことに、被虐待者の告白に理解を示すのが男のほうに多いのです。
女性が概ね否定、批判します。

あと表層意識で親を許したと思い込んでいても、深層意識にしっかり
傷が残っていることもあり、それがその人に日常に、ひいては
人生全体に影響を与えていることもあるので、要注意です。親子関係の
トラウマは非常に根っこが深いのが常です。

コメント欄に書き込まれるのは、母と娘との関係が圧倒的に多く、父親や
兄から受けた性的虐待(これも多い)については書き込まれません。
タイトルを「母を憎む」としたせいでしょうか。
むろん、父親や兄からの虐待を書いてくださっても結構です。
私は黙って聽かせて頂きます。

本当は、虐待された親なり、兄弟なりに直接ぶちまけて罵り
泣きわめくのがいいのですが、それは概ね出来ません。
次善の策で、手紙を書いても心の開放の一助にはなり、
手紙は焼いて捨てていいのですが・・・・そういう形でも
虐待と向き合うのがつら過ぎて出来ない人も多いのです。

というわけで、コメント欄に長文でもいいし、何度でもいいので
思いの丈、吐き出してください、受け止めますと提案しています。
《非公開で》、とタイトル欄にきちんと言葉で指定してください。時折、
判断に迷うことがあります。

公開という形で書いて、自分だけではないという体験の共有も
解放の一助にはなると思いますが、公開非公開はどうぞ
お心のままに。

 


母を憎むあなたへ 2

2016年04月24日 | 親子関係からくるトラウマ

非公開指定でコメントを読ませて頂き、お返事を書いたのですが、狭いコメント欄に
書き込むには長文過ぎて、こちらでお返事させて頂くことに致しました。
コメ欄の気安さで、さして推敲もしない打ちっぱなしの雑な文章で
あること、予めお詫びしておきます。

 

04-23 23:02:24 非公開の方へ

 

中絶をしたかったのに、ということですね。お母さんの発言。

中絶したかったのに出来なかったから、しょうがなくあなたを産んだ。

 

これは相当に人な発言です。(お母さんサイドで考えればその感情を全く理解できないこともないのですが、決して、まして子供に言ってはならない言葉があります)

中絶といえば、言葉のニュアンスがまだしも柔らかくなりますが、
行為としての実質は「あなたを殺したかったのに、時機を過ぎてて
殺せなかったのよ」という意味です。

胎内にあるか外にあるかだけの違いであり、生命であることに
変わりはありません。

世の中には中絶せざるを得ない、強姦などの状況もありますが
あなたのお母さんの場合は、妊娠してはいけない体での、
単なる不注意妊娠です。少なくとも2度めは。
自分と相手(お父さん)の婚前交渉時の
2人の共同不始末を、罪もない娘にぶつけるんじゃありませんよ、
とあなたのご両親には言って差し上げたいのです。
今でもいいから、せめて御ふたりとも床に手をついて
謝りなさい、と。それだけ酷いことをあなたのご両親は
あなたに対してしたのです。

 

お母さんは成熟した大人としては、常識を逸脱していらっしゃる発言です。ひょっとしたら、自らを苦しめたあなたにそういう形で(無意識の)復讐をしたような気もします。それはそれで人として最低です。

 

あなたは十分にお母さんに対して怒る資格があります。あなたには、いっさい非はありません。

 

お父さんも最低です。大体、避妊をせず2度も望まぬ、してはならぬ妊娠をさせた自分は何なのか。叩くなら自分を叩きなさい。

 

・・・・・と、人様の親をそしるようなことを敢えて申し上げました。どんな親でもあなたにとっては親なのですから、申し訳ありません。ただ状況を正確に掴んで欲しかったのです。自らを許すために。

胎内にあるときから、幼児期・・・・と口には出さずとも否定的な思念を浴びせかけられ続けてきた子は「自分が悪い」と思い込みます。毎日その思念を
刷り込まれ成長します。

 

優しい普通の人達の心にも、時と場合によって、悪魔は棲みます。

 

親戚の人たちも悪魔です。

悪気はなく、ただその発言が子供にどういう心理的負担を与えるのか無知なのです。他は善良な人たちなのでしょう。

それに、ひょっとしたら親戚には美談として伝わっているのかもしれません。命をかけてあなたを産んだ、とあたかもそれが親としての愛情だったのだと。実は婚前の、欲望に流された挙句の避妊無しの衝動性交、堕ろしたかったのに、時機を逸していた、という事実は伝えられてないのかもしれません。
もしそうなら自己正当化しつつ、あなたを悪者にしていますね。

あるいは、人としての良心とエゴとの間で揺れ動いているうちに、時機を逃したのかもしれません。

 

後者ならまだ救いがありますが、ただいずれにしても、子供には絶対言ってはいけない事。

 

妊娠してはならないのに、お父さんもお母さんもその場の欲望に流されて、あなたが出来たわけでしょう?自分たちの責任ではないですか。それも、避妊抜きの欲望発散で、2度までも。それを棚に上げ、娘に手を挙げるとはゲスですよ。

 

・・・・・と敢えてまた言ってます。あなたに自分自身を開放して頂きたいので。

 

心因性に関する適切な本があるかどうか知りません。

探せばあると思いますが。

あるいは、心のケアに読む本ですか? それなら親による虐待、とりわけ母親が娘へのそれを綴った本が出ていると思います。それらの人たちと体験を共有することもいいでしょう。

 

おそらくあなたはこれまで、お母さんがよもや自分を言葉の暴力で虐待していたのだ、という自覚がなかったのではないでしょうか。悪いだけの思い出でもなく、楽しい思い出もくださったのでしょうし・

お父さんもお母さんに加担しての、児童虐待だと私は思います。恥を知れと申し上げたい。

男親としては最低です。本来娘を守るべき立場にありながら、手を上げるとは。

 

・・・・・とこれも、ご両親に対してあなたの憎しみをかき立てるために、申し上げているわけではありません。

あなたは、いっさい悪くありません。とそれを、お伝えするのが目的です。
お父さんとも、たぶん悪い思い出ばかりではないでしょう。

 

自分でさほど自分を責めている自覚はあるいはないかもしれませんが、胎内から幼少期にかけて浴びせかけられた悪しき感情を、鋭敏な感性の時の子供はしっかり受け止め、自分が悪かったのだと思い込んでいます。いまだあなたの「内なる子」は、そうやって自分を責め続けています。表面意識ではそうでなくても(怒っていても)、潜在意識下では自らを責め続けています。その潜在意識を自覚することが、解放への第一歩かと思われます。

 

自我がまだ確立していない時期の子供は、120%親をかばうのです。
どんなに叩かれても、お母さんは悪くない、ぼくがいけないんだ、と
言います。

 

末尾に、あなたの現在のご病気が親や親戚からの言葉の(無意識)虐待による心因性に由来するものかどうか、私には解りません。

ただ、心にある傷を客観的に見て、自分を解放してあげることは、今とても大事なことでしょう。

 

どうぞ、自分を可愛がってあげてください。

以前書いた朝ドラで、加藤治子さんに母親を、いしだあゆみさんに
娘役をやって頂いたことがあるのですが、その中の母親のセリフ、

「親に捨てられた子は、自分で自分を育てりゃいいいのよ」

なぜお母さん、私を育ててくれなかったの、という娘の
セリフがその前にあったのかもしれません。その記憶はないのですが、
このセリフだけは、いしださんが「ドキッとした」と言ってくださったこともあり、
覚えています。

 

 

母を憎むあなたへ 1 はこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/68c83bc567a6a80d13616f0c2f3a968a


母を憎むあなたへ 1

2016年04月10日 | 親子関係からくるトラウマ

世の中に母親を憎む人は案外多いものです。

長引く蕁麻疹を治したくて、今漢方の先生のところに通っていて
随分良い方向に向かっているのですが、この先生は
疾患も「心因性が多い」と主張していらして、お話を
うかがっていると、西洋医学でも最近は心因性のは
病気があることが指摘されていますが、西洋医学が
思っている以上に心因性、心に原因のある病気が
多くはないだろうか、と思います。

霊感もある先生で、私の心の状態は面談2分程度で
さっくり指摘され、実にその通りで大変興味深くそれからの
お話を伺ったのでした。

心因性の病気の大きな原因の一つに、幼児期における母親との
関係性があるそうで、これは私も長年の見聞から
首肯します。

肉体的な暴力を受けなくても、母親による言葉や態度による虐待は、
その子の一生に、暴力を振るい続け精神的、肉体的に
痛め続けます。そして本人も当の母親も、そのことに気づいていない
ケースも多いのです。

また母親自身が、虐待したという自覚がないことがほとんどです。
肉体的暴力があってすら、「しつけ」と自分をごまかしています。

これは信じようと信じまいとのレベルでしかありませんが、
前世で仇敵同士が親子になって、カルマの解消を試みる
こともありそうです。

怪しげレベルの話はともかくとして、子供の頃親により受けた傷は、
大人になっても癒えません。
インナーチャイルドと言いますが、60歳になったところで、
心の奥底で母親に傷つけられ、泣いている子どもは
2歳、3歳、4歳・・・・・・のままなのです。

理性で処理しても、心の奥に隠れている「内なる子」は
いくつになっても、泣き続け救いを求め続けています。
幼児にとって母親は全宇宙です。その宇宙から拒絶され、
ないがしろにされた子は、生涯自分を許しません。
生まれてきた自分を受け入れられません。
幼い子は母親にいたぶられても、自分が悪い子だから
と思い込み、それは成長しても心の奥底(おうてい)では変わりません。

仕事に体調に恋愛に結婚に、母親の「暴力」は影響を
ふるい続けます。

不幸なことに、母親による傷を訴えても世間は聞き入れません。
いい大人が、何を、とかあるいは「誰でも親とはうまくいかない」など
問題の矮小化をされ、精神的セカンドレイプを受けてしまいます。
世間の一般的な感覚は、親が子を憎むわけはない、子が
親を憎むわけがない、というものです。
報道で知っていてもそれは特殊事例だと思い込み、実は身辺に
程度の差こそあれ、親の虐待に傷を受けている人たちは多いのです。
ところが一般的な人々は、それを受け入れると何かしら自分の
価値観が揺らぐと思われるのか、奇妙なくらい強固に被害者である
かつての子たちの訴えを退けます。
そしてついには黙りこんだまま、幼い子は肉体だけ老いて行き、
母親を許せない自分を責めたままこの世を去ります。
何か、しっくり行かなかった人生の全てを自らの責任として。
そう、その頃は亡き母親の年齢を越していることも多く、
よもや今更母親のせいで、自分の中の何かが歪められ、
そのために、人生にどこかしらひずみが来たことを、自覚ないまま
この世を去ります。


即座に分かり合えるのは、同じ体験者同士ですが、これは
どういうものか、同病同士分かり合っても癒やしにはならないのです。
第三者が、あなたのせいではない、自分を責めることはないんだよ、
と受け入れてくれた時に、少しずつ癒やしが始まります。

伴侶がそういう体験をふと漏らした時、どうぞ批判無しで黙って
耳を傾けてください。そして一言「あなたが、きみが、悪かったのではない」と
言ってあげてください。その瞬間にゆるやかではありますが、癒やしが始まります。
他者の理解の中でも、とりわけもっとも身近な他人の受け入れが、孤独と自己拒絶の淵からパートナーを救い上げます。どうぞ、そうなさってください。

親との関係でトラウマを持つ人は、親を許す努力は必要ありません。
おそらくそれは、一生不可能で新たな自分への責めの材料にしか
なりません。許せれば最高ですが、おおむね無理だと思います。
傷つき心から血を流しているのは、今のあなたではなく、
数十年前の親しか頼れなかった精神的孤児としてのあなたなのですから。まず、自分を許してあげてください。あなたに非はありません。

親に冷たい言葉を浴びせられたのは、鋭い言葉の刃で
心臓を刺し貫かれたのは、また叩かれたのは、タバコの
火を押し付けられたのは、あなたが悪い子だったからではありません。
悪いのは親のほうです。その親もまた、親の愛を知らず子イジメの
連鎖が続くのですが。

妊娠中に堕胎を考えた母親の子は、一生をかけても母親に
復讐する、と聞いたことがあります。
お腹の中にいても、人の声は聞こえているわけだし、肉体的に
密着してつながっている母親の思念を、胎児が受け止めていると
いう考え方じたいはさして奇異でもないでしょう。

とても具体的な例をつぶさに見たことがあり、私は上記の説を
半ばはあり得ると思っています。その人が妊娠中に中絶を
考えたことも知っているし、そしてその子が長じてから
母親に壮絶なまでの復讐をして、これでもかと叩きのめしたその有様も
まざまざ、見ています。そして、母子ともにそのことには
気づいていないのです。

また幼児期に母親から肉体的な暴力を受けた子に、まだ
幼い頃に会ったことがありますが、その子はしだいに
心を不安定に壊していき、間もなく成人になるのですが、
そのうち母親を殺めるのではないか、
と身近の人に言わせるような不安定な状態になっています。

母恋いが反転すれば、この上ない悲しみとなり、悲しみは強い
憎しみに再反転します。

母親(あるいは父親)により傷を受け、苦しんでいる方、
私でよければ聞かせて頂きます。コメ欄に「公開しないでください」と
表題に入れ、思う存分書いて怒り、そして泣いてください。

あなたが、悪いのではありません。

あなたを愛し、100%受け入れてくれる人が
どこかにいます。