記憶の彼方へ

カラーとモノクロの写真と一緒に 日頃のなにげないエピソードやホッとするコトバを♪

ガリ版

2010年02月22日 20時16分32秒 | Weblog
活版印刷を調べていたらガリ版が出てきた。

世代がバレるが、私が小学生の時の文集作りは必ずガリ版だった。
比較的絵を描くことが得意だった私は文集の表紙を担当することが多かった。
表ではなく裏表紙だったときは悔しい気分を味わった。
そのイラストもガリ版だ。強く擦るとロウ原紙が破れる。加減が難しい。一文字一文字ていねいに鉄筆で紙を引き摺る感じが好きだった。
なんとか書き上がると、ローラーを転がしてにインクを均等につける。たいてい私は手はもちろんのこと、上着にまでインクをつける。このインク、ちょっとねっとりしていてクリーミーな感じ。匂いは石油臭かったと思う。匂いに敏感な私は息を止めてガリ版を刷った。印刷するのは最近見なくなったわら半紙。小学校の印刷物には白い紙なんて滅多に登場しなかった。
出来上がった文集は書いたひとの性格がにじみ出ていて味わい深い。
当時は友人の筆跡をわかっていたから名前を見なくても誰が書いたかが判った。
いまはほとんどが機械的な印刷で仕上がったものばかり。誰が書いても同じフォントだ。区別がつかない。
小学生にガリ版を体験させてあげたい。結構集中力と忍耐力がつきそうだけど。


fine ART photographer Masumi
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こだわり

2010年02月22日 19時42分56秒 | Weblog
北大路魯山人は生涯焼き物を20万点も残した。

師匠をもたず生まれ持った「間」と恵まれたセンス引き立つ作品が多いようだ。
実際に作品を見たことはなかった。漫画のおいしんぼでも有名だが、大人になってからは一切漫画は読まなくなったので良く知らない。
昨日の日曜美術館の再放送で見た彼の作品、「黒織部の沓茶碗」。見た目はどっしりとして武骨なイメージだ。柄になっている2つの模様が魯山人の目ではないかと解釈していたがよく見るとこちらを見据えているようにもみえる。
実際に抹茶をたててもらうと艶のある黒い器に抹茶の緑が鮮やかに引き立つ。黒い抹茶碗が欲しくなった

かつて京都へYちゃんと行った時、鹿ケ谷さびえの抹茶体験にトライした。茶道を教わるが、なかなか厳しいお姉さんだった。なぜか私はへまばかり。しかし抹茶自体は好きになった。早速帰りに抹茶の粉と茶せんをお土産に買った。だが肝心の器がない清水焼を見たがピンと来るものがない。旅行から戻ってから近くのデパートで探し回ったが見つからなかった。高すぎても使いずらいし、安くても雰囲気でない。そんな時、陶芸体験教室が隣の駅前でやっていることを知った。早速申し込み次の週末から通い始めた。当時は自分の好きな作品ひとつに対して完成までで5千円だった。安いと思う。
参加者はわりといて、平皿や花器などを作る中珍しいとこではワインクーラーを作っている主婦の方もいた。かなりこだわりのある人のようだ。その中で私は抹茶碗を作った。轆轤(ろくろ)ではなく手捻りなので子供の頃の粘土遊びみたいだった。与えられた土が余るので2つ作った。先生からは、はじめて陶芸をしたとは思えないと褒められた。だが茶碗の底になる、糸切りには手こずったのを覚えている。塗りには凝らなかった。色は限りなくいらない。あくまでもシンプルにしたかったからだ。絵付けをしないなら、うわぐすりをわざと滴らせるといいと先生に言われ、わざと多めに薬を塗ってわざとらしくない程度に作った。出来た作品は自然な色に仕上がった。何も足さない、何も引かない色。魯山人の黒織部のような威厳さはかけらもないが気軽に使えそうだ。手作りだから愛着もある。
体験教室だけで終わってしまったが、今度はぐい飲み茶碗を作ってみたい。
というのはガラスの器より焼き物の器のほうが数倍も美味しいお酒がいただけると飲んべえのIさんが言っていたからだ。まあ見た目にはガラスの器のほうが好きなんだけど。

魯山人のようなこだわり様には足元にも及ばないが、店にないものは自分で作るしかないのだ。
今朝見たメトロミニッツに掲載されていたワークショップ特集の中に興味をそそるものを発見。ひとつは活版印刷で作る名刺、もうひとつは手作りの靴。どっちもやってみたい



fine ART photographer Masumi
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