社員のおしゃべり

日々の生活の中でのできごと

何だか辛いよねえ・・・

2014-08-12 09:47:04 | 日々の生活で・・・
 宝塚で学生生活を送っていたころのこと、下宿の大家さん(おばさま:おばさんでは不似合いな表現になりそうな上品な方だった)が「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」と必ず声をかけて下さっていた。 そして島で3年間お世話になった下宿先の大家さん(ご夫婦でずっと教員の受け入れをしておられた)も同様に「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」と必ず声をかけて下さっていた。 今思うととても自然なことのなのだけれど、とてもありがたかった。 

 私はマンションやアパートに一人住まいをした経験はない。 世間ではよく「OLの一人暮らし・・・」などと言うが、私には耐えられないだろうなあと思う。 根がさびしがり屋。だからなのだろう・・・「人間みんなさびしがり屋なのだ」と思ってしまう。 あれこれといろんな形で交流があるから日々過ごせるのではないかと・・・。

 そうした中、年々独居老人、孤独死も増えている。 そして驚いたのは親がいない子供、親と一緒に生活できない子供が年々増えているのだとか・・・。 以前マザー・テレサの本を読んだ時に「家族の中の孤独」について書いてあった。 集団の中での孤独は辛い・・・と。 集団を家族に喩えているが、さまざまな場面での集団がある。 小さな単位で家族であり、成長するにつれて、その集団は学級、会社・・・自治体・・・国・・・。 

 以前実家の母が亡くなってからと言うもの、年末年始、そしてゴールデンウイーク、そしてお盆が大嫌いだった。 なぜかと言うと、その時期には親元に帰省し賑やかに集う場面を思うからだ。 私には生まれ育った家庭と、もうひとつの家庭があるにも関わらずである。 

 そう・・・根がさびしがり屋・・・。 でも今では父も他界し、自身の家庭で賑やかに過ごせる幸せを大事にしなければと思っている。 娘達が「実家」で羽を伸ばし、集えるようにと願う昨今である。

 こんな私だから思うのだろうか。 一人でご飯を食べて、一人で終日過ごす。 日によっては誰とも話さない日があると聞いた。 たしかにそんなことも起こりうる。 仕事をする過程で、社会とのつながりがあり、人とのかかわりがあるうちはいい。 でも身体が思うようにならなくなって、仕事をリタイアしたら社会とのつながりが途切れてしまう・・・。 ああ切ないなあ・・・。 

 そして生まれたときから孤独を背負わされている子供が増えているとは・・・。 昔、私が子供のころには私生児と言うのは多かったかもしれない・・・などと思っていたが、一体どうしたと言うのか。 もの凄く残酷なことが子供に強いられているようでこれもまた切ない・・・。

 あああ 一体どうなっているんだろうか。 残酷なことだ。

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