先回、取り上げた「ワン・ピース特別企画展」は、無事、戦争記念館で開催されることになったようです。今回の騒動で広く一般の話題になり、かえって宣伝になったかもしれませんね。
さて先日、最近の日韓関係を象徴するような出来事がありました。この7月23日、韓国の国立バレエ団は2015年の初演演目として予定していた「蝶々夫人」を取り消して、ジゼルに変更すると発表しました。発表以来、わずか3週間後の突然の出来事。当地のラジオや新聞でも詳細に取り上げられました。
イタリアの作曲家プッチーニによる長崎を舞台にしたオペラ「蝶々夫人」。世界で最も有名な作品の一つで、オペラを知らない人でも、題名は聞いたことがあるでしょう。さて、オーストリアのバレエ団の芸術監督が、一人の韓国人バレリーナのためにこのオペラをバレエ作品に仕立てました。
バレエ作品を作られたオーストリア インスブルックバレエ団、エンリーケ・ガサ・バルガー芸術監督。ごらんのとおり問答無用のイケメンです
一人のバレリーナとは、韓国を代表する世界的バレリーナ。カン・スジン(강수진)。バレエに興味のない人でも、草刈民代、熊川哲也、吉田都、森下洋子、西島千博といった人々はご存じでしょう。カン・スジンは1967年生まれ。12歳とバレリーナとしては遅い年齢からバレエを始め、わずか6年後の1985年のローザンヌ国際バレエコンクールで優勝し、若手バレエダンサーの頂点に立ちます。その後、ドイツ、シュットガルトバレエ団に最年少で入団。97年からは同バレエ団の首席バレリーナとして活躍され、2014年2月から母国韓国の国立バレエ団団長に就任されています。
紹介するのがためらわれるのですが、それでも紹介しましょう。社会に衝撃を与え、バレリーナ、カン・スジンを一躍、有名にした写真です。幾度の大けがをへて、今なお現役最高齢のバレリーナーとして日々の鍛錬を絶やさないカン・スジン氏の生き方は人々に強い感銘を与えました。
7月2日。ソウル公演を前にした記者会見でのカン・スジン団長。右はバレリーノ、カルロス・コントレラス・ラミレズ。「両手に花」「花より男子」とはまさにこのこと
バルガー芸術監督によってバレエ作品化された「蝶々夫人」は昨年、オーストリアで初演され、大きな成功を収めました。韓国でも7月4日から3日間、芸術の殿堂で初演され、3つの公演すべてが満席。急遽、臨時席が準備されるほど。2016年の引退を表明しているカン・スジン氏にとっては、現役最後の新作になる可能性もあり、本作にかける氏の意気込みもたいへんなものだったでしょう。
写真はネット上で収集させて頂いた舞台の様子。バルガー監督の斬新な演出が光りますが、なんといっても、見どころは、カン・スジンのバレエです。バレリーナとして祖国の舞台に立つのはこれが最後になる可能性もあり、同氏にとってはバレリーナ人生の集大成的な、畢生のバレエだったと思います。
問題は公演に対する世間の評価です。韓国経済新聞に掲載された記事が世間の反応を集約しているように思われるので、内容をまとめてみましょう。記事の題名は「共感不足の日本カラー濃厚な舞台」(공감부족한 왜색 짙은 부대)というものです。
●結論から言うと、国立バレエ団が税金をつぎこんで、この作品を舞台に上げる必要はなさそうだ。倭色(日本カラーの意味)が非常に濃厚で、何より作品自体も共感を与えることができなかった。
●舞台にはヨーロッパ人が東洋に持っている幻想と歪曲された視覚がそのまま現われた。オリエンタリズムが極大化された舞台だった。日本の現代舞踊である舞踏と日本式の衣装、下駄、障子の木造家屋、日本の伝統太鼓、平仮名だらけの映像、舞台に舞い散る桜の花など、日本色の濃い材料が登場する。それで、このような素材が東洋文化の本質を見せてくれるためではなく、ヨーロッパ人の好奇心を満たすために活用された感じがした。この作品が韓国の観客と、どれほど情緒的な共感帯を形成することができるか疑問だ。
●日本色が濃厚だという事実で批判されることはもちろん危険でありうる。芸術は国境を越えて存在する。しかし大韓民国を代表する芸術団体である国立バレエ団がこの作品を公演しなければならないとしたら話は別だ。韓国の伝統文化の中にもバレエとして舞台化するに値する素材が無尽蔵にある。去る5月、国立バレエ団の「韓国・セルビア修交25周年記念ガラ公演」の時も最も大きな拍手を浴びたのは高句麗の好童王子と楽浪国の王女の話を扱った好童王子だった。カン団長は「芸術家には作品以外のことで起こる事は無関係だ」と言ったが、彼女は芸術家以前に税金をもらって仕事をする芸術団体の長ではないか。
日本にお住みの方なら、「ずいぶん、ひどいことを言うな」と思われるかもしれません。でも韓国に長く住んでいる者にとって、この程度は想定の範囲内です。
「蝶々夫人」は長崎を舞台にしたオペラであり、それをバレエ化する以上は、日本的な雰囲気や(西洋人視線の)オリエンタリズムをある程度、反映したものにならざるえません。実のところ、昨今の日韓関係の折、このような反応は、観覧し批評する側も、舞台で演じる側も、最初から想定していたことでした。
ところが、いざ幕が上がり、韓国を代表するトップバレリーナーが一様に着物とおぼしき衣装を着けて日本人女性を演じる姿を目の当たりにすると、「これは違うだろ!」と思われる方が多かったようです。韓国で長く住んできた私としては、一部の年配の方々の対日感情として理解できないこともありません。ただ、40代未満の若い方や海外生活の長い方なら、一つの芸術表現として、わだかまりなく受容できたと思います。
それから、けっして安いとはいえないチケットを買って、わざわざ「蝶々夫人」を鑑賞するために芸術の殿堂まで足を運ぶような方なら、「蝶々夫人」のストーリーについてある程度の予備知識は持たれていたと思うのです。バレエ作品化にあたり、バルガー芸術監督が「蝶々夫人」ではなく、ほかのオペラ作品を選んでいたら、評価はかなり違ったものになっていたでしょう。
冒頭に申し上げたように、「蝶々夫人」は来年の初演項目から突如、取り消されました。今後、韓国内で「蝶々夫人」が公演できるのはいつになるか?あるいは、今後、カン・スジンによる同作品を鑑賞することができるかどうか?分りませんが、ワン・ピース特別企画展のケースもあり、社会の良識にゆだねたいと思います。残念なことに、私は舞台を見逃してしまいましたが、DVD等が発売されるのであれば、ぜひ購入してじっくり鑑賞してみたいです。
ワン・ピース、そして今回の蝶々夫人と、立て続けに2回、日本との関係が原因で、公演が中止に追い込まれました。新聞やラジオで活躍する専門家といった実名系は微妙かつ慎重な言い回しに終始し、一方で、ツイッターや各種オンラインに代表される無記名系では、勇ましい議論が目立ちました。
期せずして今回の騒動の中心人物となってしまったカン・スジン氏は多くを語りませんが、ドイツでの生活が長い同氏、そして関係者の方々の心中は察するに余りあります。カン・スジン氏を団長とする国立バレエ団はまだ発足したばかりですが、今後のご発展とご活躍を祈願したいと思います。
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