北岳山麓合唱団

ソウルジャパンクラブ(SJC)の男声合唱団です。毎週火曜日、東部二村洞で韓国の歌と日本の歌を練習しています。

冬将軍の到来

2013年09月28日 22時09分11秒 | ソウルライフ

ソウルの朝夕はめっきりひんやりしてきました。短い秋が終われば、いよいよ冬将軍の到来です。

気象庁の発表によれば、来週の木曜日(10月3日)から大きく温度が下がり、金曜日(10月4日)の予想最低気温はなんと10度!

風邪などひかれるよう、ぐれぐれもご留意願います。

1.自宅前のプラタナス。この木々の緑も、あと一月たらずで落葉です。

2.ホテルで昼食。がんばった自分へのご褒美、と言いたいところですが…

 


「半沢直樹」の大ヒット

2013年09月28日 16時01分19秒 | 韓国

TBSドラマ「半沢直樹」の大ヒットは韓国でも話題になっています。

「やられたら、やりかえす」(당하면 당한 만큼 갚아주겠어!)「倍返しだ」(배로 갚아주겠어!)といったせりふや、多くの日本人の目をくぎづけにした理由が興味ぶかいのでしょう。

2011年のヒット作「家政婦のミタ」は、現在、チェ・ジウさんの主演で「怪しい家政婦」(수상한 가정부)として放映されています。韓国での放送にあわせて若干の変更を加えた以外はほぼ原作通りとのことですが、この作品が韓国でどう受け入れられるでしょうか?

 

韓流ドラマに対する関心も下火になったと聞いていますが、今の韓国で高視聴率を上げているドラマは、韓国でマクチャンドラマ(막장 드라마)と呼ばれている一連の作品です。「マクチャン」とは、トンネル、坑道等の突き当たりの部分を指す建設用語ですが、ここでは、「人生、行きつくところまで行った」「どうしようもないところまで行きついた」という意味で使われています。

「マクチャンドラマ」が具体的にどういう作品を差すのか?韓国でも議論があるのですが、Wikipediaではこう説明されています。

マクチャンドラマとは、複雑にこじれた人間関係、現実にはありえない状況設定、非常に刺激的なシーンを利用してストーリーを展開していくドラマを意味する。マクチャンドラマの中では、社会的論議を引き起こすドラマもあり、実際、養子として向かえた子供を捨て子として描いたドラマ「花の仙女様」は、早期終了を要求する大規模デモとなって作家が降板する事態となった。試聴者はマクチャンドラマに対して否定的な評価を下すものの、これらのドラマのほとんどは高い視聴率である場合が多い。

私もさほど韓国ドラマに詳しい訳ではないのですが、要は、離婚、家族崩壊、絶望、不倫、自殺、殺人といった状況でストーリが展開していくドラマのことです。

 

インターネットで朝鮮日報の日本語版を読まれている方はご存知だと思いますが、感情をコントロールできず、すぐ'カッ'となる('욱'하는)大人や子供の増加が韓国で大きな社会問題となっています。

日本でも「すぐキレてしまう」人の増加が問題視されていますが、マクチャンドラマがヒットしてしまう今の韓国の社会背景について考えてしまいました。

 

最後にソウル在住の方のために、ワンポイント韓国語会話。

あまりいい言葉ではありませんが、週刊誌等で「メチャクチャ〇〇」とか、日常会話の中で「もう、メチャクチャですね」という表現します。「最低の〇〇」とか、「もう最低ですね」と言ってしまうと、表現がキツくなって、相手を傷つける。その点、カタカナで「メチャクチャ〇〇」と書くと、表現が軽くなり、ユーモアのセンスを付加できます。

このカタカナで書く「メチャクチャ」にピッタリ当てはまる韓国語表現が、マクチャン(막장)です。たとえば、

メチャクチャ人生 ⇒ マクチャン インセン (막장 인생)

もう、メチャクチャですね! ⇒ イジェ マクジャギネヨ (이제 막장이네요!)

メチャクチャゴルフ ⇒ マクジャンゴルフ (막장 골프)

メチャクチャな生活 ⇒ マクジャンセンファル (막장 생활)

「トンデモない」といった軽いノリなので、便利な表現ですが、あまり乱発すると、滅茶苦茶な韓国語になりますよ!

 

今の韓国社会はメチャクチャがあふれているのか?特にネット社会でこの表現をよく見ます。メチャクチャな家庭、メチャクチャなカップル、メチャクチャな主張、メチャクチャな新聞、メチャクチャな学校、メチャクチャな経済、メチャクチャな国会、等々。かって韓国の人はもっとストレートで、直截的な表現を好みました。でも、メチャクチャという表現を多用するところを見ると、それだけ韓国の人に心の余裕が出てきたのかも知れませんね

 

韓国版「家政婦のミタ」。現在、SBSで放映中です。

番組ホームページ

http://wizard2.sbs.co.kr/sw11/template/swtpl_iframetype.jsp?vVodId=V0000380536&vProgId=100

0910&vMenuId=1019437


コンサートに向けて

2013年09月24日 23時35分49秒 | 合唱

本日、9月24日はパン先生の練習日。

参加者はセカンドテナー、西ヶ谷さん、バリトン、山本さん、影近さん、バス、柴田さん、私の5名。

練習はワーグナーの「巡礼の歌」から。秋夕の連休にみっちり楽譜をさらって練習に臨んだおかげで、今日は皆様に迷惑をかけず、最後まで歌いきることができました。

12月7日のクリスマスコンサートまであと2ヶ月。その間に、韓国語の「君の声」と、ドイツ語の「巡礼の歌」を仕上げないといけません。ドイツ語の発音や、拍子の取り方等、曲想の表現等、問題点はありますが、本番に向けて頑張りたいと思います。

本年は皆様、ご多忙で例年になく出席率が悪かったのですが、10月から月2回の割合で土曜練習を開始します。

皆様の積極的なご参加を期待しております。

 


喧騒と静寂

2013年09月22日 13時18分31秒 | ソウルライフ

長かった旧盆のお休みもこの週末で最後。静まり返った江南を飛び出し、タクシーに飛び乗って、週末の三清洞(サムチョンドン)に出かけました。

スイスイ飛ばせたのも、つかの間。三清洞に近づくにつれ、大渋滞に巻き込まれました。どこからこんなに集まるのでしょう。

安国駅から三清洞に抜ける通り。もはや原宿の竹下通りと変わりません。今どき、明洞(ミョンドン)に行くのは、日本人と中国人だけ。韓国の人は、三清洞か、新沙洞(シンサドン)の街路樹通り(カロスキル)でしょう。

三清洞に出かけたのは、夕食を取るため。帰国した島根の友人からメールがあり、韓国時代の思い出話をしているうちに、魚のクッパを食べようという話に。以前もこのプログでご紹介した、このお店です。ちなみに、クッ(국)とはスープのこと。パ(밥)はご飯。つまりクッパで、スープご飯という意味になります。

具だくさんのクッパ。骨つきの魚をスープが白濁色になるまで煮込みます。非常な美味です。

おいしそうな料理を前に、馴染みの店員さんに撮影してもらいました。

人の行く裏に道あり花の山。三清洞の妙味は、喧騒の大通りではなく、裏通りにあります。

韓国ではスターバックスといったコーヒーショップが大ブームですが、裏通りでは、健康カフェが静かなブームになっています。

写真はウメを漬け込んだ、かき氷。梅のエキスが効いていて、心身共に「シャキーン」という感じ。

日本の原宿あたりで開店してみても、当たるかも....。

人ごみと喧騒の三清洞に別れを告げ、さらなる奥の細道に。わずか数百メートル、奥に入っただけなのに、そこは時間も止まる別世界。

昔ながらの大衆食堂

昔懐かしい銭湯。散歩の疲れに、ちょっとひと風呂と思いきや、入り口には日本語の案内が!

時間がゆっくり流れていく。三清洞での喧騒が嘘のよう。

この辺は趣向を凝らしたアクセサリー屋さんが集まっています。

ウサギの屋号がさりげなくきれい。

結局、この店で休憩。店名どおり、美しいコーヒーカップが並んでいます。

今日の散歩は終わり。写真は以前、合唱団の斎藤さんと訪問したレミニスカフェ。美味しいケーキーが有名で、この日も満席でした。


お彼岸に....

2013年09月22日 00時52分46秒 | その他

今回は個人的な話題となりますが、お彼岸ということで、ご了承下さい。

 

私の母は平成3年の9月19日に55歳でこの世を去りました。

ところで、私が郷里の徳島で母と一緒に過ごしていた頃。ちょうど、今の私がその頃の母の年齢となりますが、あの頃の母が何を考えていたのか?知りたくてならないのです。

高校生だった私にとって、母は仰ぎ見る存在。でも、母の時間が永遠に止まってしまった今となっては、私と同世代の仲間です。

今となっては、母に確認するすべもなく、当時の記憶をたよりに想像するしかありませんが、私の母は、「夜のヒットスタジオ」というテレビ番組が大好きでした。年配の方なら、ご記憶でしょうが、芳村真理さんが司会をされていた、歌番組です。

母はいつも、ブラウン管の向こうの芳村真理さんを羨望のまなざしで見ていました。

 

この連休に、日本から芳村真理さんの著書を取り寄せて、読んでみました。いずれも、母が存命中に書かれた本ですが、おそらく母は、この本を読んでいないでしょう。でも、母にとっても、興味ぶかい内容だったはず。天国の母に伝える気持ちで、読んでみました。

 

どうして母が芳村真理さんに憧れたのか?分かるような気がするのです。ちょっと長くなりますが、本のあとがきから、一節をご紹介しましょう。

私だってもとを正せば怠慢な人間だから、幸福行きの電車があれば、かなり高価でも、無理をしてその電車に乗ってしまう。けれどこの世の中にはそんな電車はないのだ。だから頑張って前向きに生きない限り、人生は黄昏色になってしまう。そのために闘いが必要なら、勇気をふるい起して私は闘い続けていきたい。闘うといっても女戦士のようにいかめしくではなく、おしゃれに、女らしく。さあ、また、新しく勉強できる世界をみつけよう、と思う。

 

私が韓国に赴任してから、韓国はずいぶんと変わりました。しかし、その間、日本人の考え方や生き方もずいぶん変わったと思うのです。テレビの中で芳村真理さんが羽織られておられたブランドもすっかり一般化しました。

今見ても、目に鮮やかなファッションを見事に着こなす、芳村真理さんを見ながら、母のこと、そして昭和の日本に想いをはせました。