北岳山麓合唱団

ソウルジャパンクラブ(SJC)の男声合唱団です。毎週火曜日、東部二村洞で韓国の歌と日本の歌を練習しています。

クレヨン・ポップ

2013年12月29日 21時11分36秒 | 韓国

日本では韓国のガールズグループが人気だと聞きますが、最近はどうでしょうか?

今日は、おそらく今の韓国で一番、旬なガールズグループ、クレヨン・ポップ(크레용 팝, Crayon Pop)をご紹介したいと思います。

すでに日本でも活動しており、日本語サイトもありますから、「クレポ」をご存知の方もいらっしゃるかも?

http://www.crayonpop.co.jp/

 

まずは、「クレヨン・ポップってなに?」という方のために、教科書的な説明から。

クレヨン・ポップは2012年1月にデビューした韓国の女性5人組グループ。メンバーの名前は、クンミ(금이)、エリン(엘린)、チョア(초아)、ウェイ(웨이)、ソユル(소율)。当初は「ハリケーン・ポップ」というグループ名で中国で芸能活動を開始しましたが、同年5月から活動の場を韓国に移しました。

しばらく泣かず飛ばずの時期が続きましたが、2013年6月にリリースしたパパパ(빠빠빠)が大ヒット。ビルボードのK-Popチャートで1位になり、一気に頂点に。

何はともあれ、クレヨン・ポップの代表曲、パパパを聞いてみましょう。

一般的なミュージックビデオもありますが、ここは、テレビ映像で。カメラワークにも注目してください。

童顔なので10代の女の子だと思っていましたが、実はそれぞれ、それなりの芸能キャリアを持つ20代の立派な大人の女性です。小中学生が騒ぐには、ちょっと歳の離れたお姉さんですが、同世代の女の子みたいに見えるから不思議。

 

映像の中で、エンジンを連想するダンスが何度か出てきますが、これが「直列5気筒ダンス」(직렬5기통 춤)として大ブレイク。ビルボード誌で大きく取り上げられ、イギリスの経済誌エコノミストでも特集記事が組ました。

アメリカ、ビルボード誌の特集記事

http://www.billboard.com/articles/columns/k-town/5648738/crayon-pops-bar-bar-bar-watch-k-pops-viral-hit-for-2013

イギリス、エコノミスト誌の特集記事

http://www.economist.com/news/special-report/21588202-what-comes-after-k-pop-sing-me-new-song

 

韓国では、このダンスが大流行で、ダンス練習用の映像が出ているほど。踊り、キレがあって上手ですね。(合唱団の皆様、来年のカラオケ大会でやってみますか?歌詞は単純ですから、すぐマスターできます。)ただよく見ると難易度、すごく高そう(´◑д◐`)

曲の始めでヘルメットを押える仕草がありますが、(激しいダンスでヘルメットの位置がずれたからではなく)元々から組み込まれた動きであることがわかります。

またこの練習用ビデオではメンバーがそれぞれの名前を書いたゼッケンを着用しています。これはもちろん、立ち位置の確認のためですが、それだけではありません。メインボーカルを担当するチョア(右から2番目)とリードボーカルのウエイ(3番目)が双子で、ゼッケンがないと、見ている方は途中で立ち位置が分からなくなるのです。


次にクレヨン・ポップがブレイクするきっかけとなった曲、Dancing Queenです。誰ですか?ABBAのリメイクとか言っているのは?そんな懐メロ、若い人は知らないですよ!

このダンスを最初に見たときは、ホントにびっくり!KARAを最初に見たとき以来です。

ヘルメットにトレーニングウエア。その上にスカートという独特のスタイル。どんどん過激化していく、他のK-popグループとは逆のやり方です。

 

クレヨン・ポップ、いかがでしたか?記憶に焼き付くダンス、小学生でも歌える単純明快な歌詞。グループの名前には、「音楽という画用紙の上にメンバーが持っている、多様な色彩をつけていく。」という意味が込められているとのこと。特にリーダーを置かず、全員がリーダーだという意識を持って、取り組んでおられるそうです。

今は韓国を活動の場とされており、社会貢献活動にも積極的に取り組まれています。先日は楽曲の盗作騒動等で騒がれましたが、ぜひ日本でも成功してほしいと思います。

 

最後はクレヨン・ポップのデビュー曲、Bing Bing。日本の大阪で撮影されたミュージックビデオです。あまり話題になりませんでしたが、大ヒットしたパパパの後でこのビデオを見ると、違いすぎて同じグループとは思えないほど。イメージ戦略の重要性を痛感します。


歴史巡見、ふたたび

2013年12月29日 00時11分15秒 | 韓国

市内に出かけたついでに、かってソウル探索の会のメンバーと一緒に歩いた場所を再訪してみました。

 

1.重明殿(중명전、チュンミョンジョン)

観光客はおろか、現地の韓国人にもほとんど知られていないのですが、105年ぶりに復元された由緒ある建造物です。1905年(明治38年)、この場所で第二次日韓協約が締結され、大韓帝国は大日本帝国の保護国となります。

 

2.梨花(이화、イファ)女子高等学校

1885年、米国人宣教師によって設立された名門女子高校です。難易度は同じ敷地内にある梨花女子外国語高等学校がソウルで4位、一般高である梨花女子高等学校は14位ですから、かなりの難関。女子高の最高峰です。

 

3.旧ロシア公使館

日清戦争以降、韓国への影響力強化をめぐって、大日本帝国とロシア帝国が覇を競いました。

1895年、親露派と見られた王妃、閔妃(민비、ミンビ), が日本人の手によって暗殺されると、朝鮮国王、高宗(고종、コジョン)は王宮を離れてロシア公使館に避難。約一年間、ロシア公使館に滞在して執政することに。その間、ロシア帝国は朝鮮王朝に対する影響力を強め、やがて韓国をめぐる日露間の覇権争いは日露戦争を迎えます。

このような激動の歴史の舞台になった建物ですが、朝鮮戦争で大部分が消失し、今は白塔だけが静かに時の流れを見つめています。

日露戦争は日本とロシア。朝鮮戦争は中国をも巻き込んだ、アメリカとソ連の戦い。韓国の歴史を紐解くと、大国との利害関係によって進路が決まってしまった場合が多いことに気づきます。

韓国の若い人と話していると、北朝鮮への評価が意外に高いことに驚かされるのですが、小国でありながら、外交カードを駆使して大国を振り回す姿が、彼らにはカッコよく見えるようです。

 

高宗がロシア公使館で執政した一年の間に利権の多くが列強の手にわたり、大韓帝国の命運は大きく傾きました。

写真は白塔側から見おろしたロシア公使館跡地。今は市民公園になっていますが、当時のロシア公使館が非常な規模であったことが分かります。

1905年9月5日、ポーツマス条約が締結され、日露戦争は終結します。2ヵ月後の同年11月17日、冒頭で紹介した重明殿で第二次日韓協約が締結され、時代は大きく変わっていくのです。

 


指先殺人 손가락 살인

2013年12月28日 22時30分06秒 | 韓国

「火のないところに煙は立たぬ」と言いますが、韓国語では、아니 땐 굴뚝에 연기 날까 (燃えない煙突に煙は出ない)と言います。

日本では理解し難いのですが、韓国はクチコミ大国。巷は噂であふれています。内容も荒唐無稽なものから、いかにもありそうな話までいろいろ。不思議なのは、後でふりかえってみると、「バカバカしい!」と思っていた噂が、それなりに根拠のある実話だったりすることです。

後日、噂の根拠が判明し、自らの不明をわびると、韓国人は「ほら、竹田さん。“火のないところに煙は立たぬ”って言うでしょう!」と得意顔で笑うのですが...。

 

閑話休題。

先日、ラジオのニュースで「指先殺人」(손가락 살인)という言葉を聞きました。ニュースによれば、指先殺人とは、インターネットによる名誉毀損のこと。ネット上にいろんな噂話を書き込まれ、名誉を毀損されたという訴えが急増しているのです。

話題になるのは、芸能人やスポーツ選手、そして政治家ですが、被害者は有名人ばかりではありません。スマートフォンの普及にともなって、ネット上にはありとあらゆる噂や合成写真が24時間書き込まれています。

被害の急増に対応して、検察や裁判所も、(罰金刑ではなく)懲役刑といった厳罰で臨む方針とのこと。

容疑者には逮捕状を請求し、仮にその内容が事実であった場合でも、3年以下の懲役。虚偽であった場合には7年以下という重罪となります。

 

日本人が想像する以上に、韓国では「口コミ」が大きな影響力をもっており、かっては、政権を批判する流言蜚語を禁止する法律があったほど。

ところで、長く暮らした経験からお話すると、火のないところには、煙が立たないのも事実なのです。

やはり、公明正大に生き、危ないところには近寄らない慎重さが大切なのでしょう。

 

写真は(本文とは関係ないのですが)吹雪に見舞われるソウルです。

 


呂運亨記念館

2013年12月24日 12時44分15秒 | 韓国

今日はクリスマスですね。昨年、Facebook上で「クリぼっち」という言葉を見て、驚いたのですが、韓国語では何というのでしょう?

表現は色々でしょうが、例えば、나홀로 크리스마스。直訳すると、一人ぼっちのクリスマス、あるいは俺一人のクリスマス、ぐらいでしょうか。

単身赴任の方、あるいは独身の方にとっては、ストレスのたまる一日でしょうが、韓国には「僕一人のクリスマス」という歌まであります。

僕一人のクリスマス 나홀로 크리스마스 신동훈, 오세진

 

さて、12月22日(日曜日)、歴史散策の会のメンバーと、呂運亨(ヨ・ウニョン、1886-1947)記念館に行ってきました。

呂運亨は韓国の独立運動家、政治家。解放後の混乱期に暗殺されましたが、南北双方から高い評価を受けている数少ない人物で、もし、この人が生きていれば、朝鮮戦争は起こらなかったとも言われています。

私も大きな期待をもって、巡見に参加しました。

 

1.ソウルから電車で50分。記念館のある新院(シンウォン)駅。ほとんどの韓国人は、その存在すら知らないでしょう。

2.何もない駅前。駅は急行の通過待ち合わせができる構造なので、ニュータウン計画があるのかも知れません。

3.記念館に向かって、山を登っていきます。

4.韓国の冬山。郷里の山々は真冬でも緑色ですが、韓国では木々の葉が落葉し、景色が黄土色に変わってしまいます。

5.山は乾ききっており、山火事には細心の注意が必要です。

6.韓国は夏場の昆虫が少ないのですが、冬場の厳寒と乾燥が原因ではないかと。要は、冬越しができないのです。

7.なかなか、記念館が見えてきません。雪道で、足を痛められた山本さんが心配。

8.やっと記念館が見えてきました。

9.記念館到着。思いのほか、きれいな建物です。夢陽(モンヤン)は呂運亨の号です。

10.清潔な館内。パネルと写真が中心で、日本語の解説もないので、日本の方にはちょっと敷居が高いかもしれません。

11.唯一の遺品である折りたたみ式の机。立派な作りです。

12.再現された生家。呂運亨の生家は地主だったそうですが、中庭を囲む方形構造の、典型的な朝鮮家屋です。

13.写真をもとに再現された蝋人形です。この田舎で蓄音機があったところを見ると、それなりの資産家だったのでしょう。

 12.説明して頂いた、説明員の方と。丁寧なご説明、どうもありがとうございました。

以上です。

呂運亨の記念館でありながら、御本人の遺品は皆無に近いという、不思議な記念館でしたが、これには、ご遺族の方が北朝鮮で成功されて、ご健在という複雑な事情があります。

同じ時期に活躍した金九(김구、キムグ)の壮麗な記念館とは天地の差....。

来場者も少ないらしく館内はピカピカでしたが、いつの日か大勢の来場者で賑わう日を願いつつ、記念館を後にしました。


江南のクリスマス

2013年12月22日 22時46分17秒 | ソウルライフ

帰宅の道すがら、クリスマスを目前に控えた江南の様子を撮影してみました。

都市の喧騒を離れ、静かにクリスマスを迎える江南の雰囲気を一緒に味わってみましょう。

 

1.ブティックの前で。

2.インテリアショップ

3.ネスカフェ・コリア

4.街路樹のイルミネーション

5.家具ショップの入口

6.美しいデコレーション

7.レストランの前で

8.居酒屋。鉄板焼きもおいしいです。

9.カバンのデザイナーショップ

10.最近、人気のイタリアンレストラン

11.裏路地の様子。江南の妙は華やかな大通りではなく、静かな裏路地にあります。

12.ティーショップ。韓国の人はあまり紅茶を飲みませんが、このお店は賑わっています。

13.韓流スターもよく立ち寄るというコーヒーショップ

14.キリン、サントリー、サッポロ、アサヒ、何でもあります。この辺ではよく見る光景ですが、日本ではなかなかあり得ない光景です。

15.クリスマスプレゼント

16.王室ご調達、ではなく私ご調達のお店。日本よりも割安です。

17.町並み

 

如何でしたか?今回、ご紹介したお店は、江南に住んでいる人以外には分かりにくい裏通りにあります。

いずれにせよ、明洞とはちょっと雰囲気が違いますね。

次回は、ぐっと趣きを変えて、我々日本人とは全く縁のない、ソウルのはずれ。

年末を迎えた市場の様子をお知らせします。