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子供の日に一言ーサザエさんのような家庭はどこへ行った

2006-05-06 13:07:49 | 社会問題
■【主張】こどもの日 孤は徳ならず道しるべに
 きょう五日は「こどもの日」、昔風にいえば「端午の節句」である。子供たちの健やかな成長を国民がこぞって祝い、子供たちの幸福を願い、併せて母に感謝する日だ。この「母に感謝する」という文言が国民の祝日法に定められた「こどもの日」の趣旨に盛られてあることを改めて考えてみたい。

 というのは最近、親が子を虐待し、子が親を殺すなどという暗いニュースが後を絶たないからだ。少し前の日本社会は漫画のサザエさんの家族のようにちょっと厳しいが曲がったことを嫌う善良な父親と、無限の優しさで励ましかばってくれる母親と、阿吽(あうん)の呼吸で互いに補完し合って子育てをしてきた家庭というものの仕組みがきちんと機能していた。

 それが急速に壊れだし、家というものが形ばかりの住みかに過ぎず、実質は同居生活に成り下がってしまったという家庭が増えているように見て取れる。新聞ダネになるような破綻(はたん)の場面はなくとも、親と子が互いに無関心で、共に食卓を囲む光景も失われつつある傾向さえ顕在化しつつある。

 戦後の価値観の中で、家というものが否定的にとらえられた反動で、個人の尊重が必要以上に強調された面が否めない。その結果、自己実現とか多様な生き方とかの美名の下、各自がそれぞれの言い分を譲らず、自分以外はみな利害の対立者というようなぎすぎすした社会をつくってしまったことは、率直にいって反省されていい。

 今の子供たちは他とのコミュニケーションが圧倒的に下手だという。友達とメールをしても、互いが自分の言いたいことを言っているだけで、実質的な対話が成り立っていない場合が多いそうだ。個人主義が実は「孤人主義」を生んでしまったのである。

 人間は一人では生きられない。この当たり前のことをもう一度確認して、児童の権利に関する条約にうたうように「家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員特に児童の成長及び福祉のための自然な環境」であることを思い返してみたい。家庭を大事にする社会が望ましい。

 「徳は孤ならず、必ず隣あり」と論語にいう。逆もまた真だ。「孤は徳ならず」。こどもの日を機に、それを社会共有の道しるべとしたい。



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