なんでやねん.com

大阪弁で何故ですか?という意味です。

勇輝へのクリスマスプレゼント

2006-12-26 13:18:19 | Weblog
ゲームもさることながら、最近のIT関連機器の進展は驚くばかりである。
このブログ用の写真は、我輩が始めて最近買ったデジカメで写した写真をブログサイズに変換して、使ったものである。最近のデジカメの普及はものすごい勢いで広がっている。600万画素いじょうは当たり前で、1000万画素が出ているから、その画像のきれいさは普通のカメラ以上である。それに色々の機能が付いていて、誰でも簡単にきれいな写真が取れるし、画像サイズを変更したりトリミングしたり編集が簡単である。何枚取っても取捨選択して、気に入ったものだけ、パソコンに保存できる。これから色々と思い出を記録してみたいと思う。

SkypeがTV事業に進出。

2006-12-19 21:15:28 | Weblog
FT.com / Companies / Media & internet - Skype team turns its attention to television       
 Skype team turns its attention to television
By Andrew Edgecliffe-Johnson in London

Published: December 17 2006 22:03 | Last updated: December 17 2006 22:03

In 2003, Janus Friis and Niklas Zennstrom launched Skype, an online communication tool that has forced some of the world’s largest telecommunications groups to rethink their business models. Now they are hoping to do the same for television.

“At the time we launched Skype, broadband capacity was extremely ripe for communication,” Mr Friis recalls. “Now, three years later, it’s the same thing for video: you can do TV over the internet in a really good way. TV is a huge medium – that’s something we’d like to be a part of.”


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There are profound differences between Skype and the still-codenamed Venice Project, however. The entrepreneurs’ new venture is just one of many seeking to capitalise on the growth in demand for online video.

Crucially, this time they will also have to work with the incumbents whose business models have been most threatened by the internet if the project is going to succeed.

Internet protocol television, or IPTV, is a term that still elicits blank looks from most viewers but has become a focus of media and telecoms companies’ attention in much the same way as voice over internet protocol, or VOIP, was in the early days of Skype.

   

息子の一時帰国

2006-12-19 08:42:11 | Weblog

11月21日から12月3日までワシントンに住む息子の聡が休暇を取って一時帰国、我が家で家族水入らずの一時を過ごした。娘の美雪と
、代休が取れたテレビマンのだんなと長男の勇輝それに家内の和子とみんながこぞって出迎えた。聡がジーパン、Tシャツ、スニーカーのラフな姿で現れた。タバコをやめて、毎日ジムで鍛えている聡がしまった筋肉質の体で、堂々たる体躯、にこやかな笑みをたたえている。久しぶりの再会であった。孫の勇輝も初めて会ったように恥ずかしげに珍しそうに聡の顔を見つめている。みんな笑顔で、やーやーと久しぶりの再会を喜んだ。それから京成電車で美雪の近くの韓国スタイルの豚専門の焼肉やへ行き、ビールと焼酎で乾杯した。この韓国料理は豚肉専門の焼肉でいつも人で込み合っているがこの日は幸いにも席が空いていた。美味しい焼肉と韓国料理に聡も大満足の様子、何よりも家族の団欒が何よりものご馳走であろう。楽しい語らいで時間の過ぎ行くのも忘れるくらいである。食事後、美雪家族と別れ、3人で、総武線で保土ヶ谷へ帰り、聡の実家である我が家で、ぐっすりと眠りに着いた。
朝食を息子と家内と3人で取った。家内は張り切って和食のフルコースを作った。食べきれないぐらいの料理が食卓に並べられた。息子に美味しいものを食べさせたいとの気持ちがこもっている。
夕方から美雪と勇輝と横浜で落ち合い、豚肉のしゃぶしゃぶ屋でまた乾杯した。
3日目11月23日秋分の日で祝日である。次の日が親父の23回忌と母親の親父の100回忌の法事をすることになっていたので、大阪まで車で向かった。12時ごろ横浜を出発夕方6時ごろには大阪吹田インターに到着した。うっかり左に曲がってしまったために池田方面へ行ってしまい、結局千里山、新大阪経由で遠回りして1時間半もかかってしまい、またもや信用丸つぶれで、みんなからワーワー怒られてしまった。夜は家の近くの焼肉屋でまたもや晩餐。姪の昌子ちゃん、弟夫婦、母親、それに我々5人で賑やかに食べるは呑むはしゃべるはで楽しい。
24日は法事。親父がなくなって23年になる。母親の親父は母親が12歳の時、42歳でなくなったので100年になる。祖父は中国で日中貿易の会社を兄弟で盛大にやっていた。三井三菱 三共かと言われていたぐらいだから、相当の商売をやっていたのであろう。そんなことで、私も弟も上海生まれである。家にはアメリカ車があったぐらいだから、贅沢な暮らしをしていたのであろう。終戦で引き揚げてからは、親父母親もすっからかんで、苦労して我々兄弟を育ててくれた。親父に感謝の気持ちをささげて、拝んだ。
法事の後、車で淡路島へ南淡というところへ向かった。今年の春に母親と弟夫婦、我々夫婦の5人で行ったが、魚は新鮮で鳴門の荒波から取れた魚、タイ、ひらめ、たこはみが引き締まって、美味しかった。家内が子供たちに食べさせてやりたいと
言っていたが、親父の法事と聡の帰国で、再度来たが今回はとらふぐのてっさとマツタケが加わり、今回も大満足であった。昌子ちゃん二人の子供3歳と1歳、勇輝がカラオケで次々と大人顔負けのカラオケをうたったので賑やかだったこと。聡は時差で疲れて早めに寝てしまった。美雪は舌が肥えているが満足げに食べていたし、詩も歌ったので楽しんだことであろう。次の日は、神戸のみんみんの餃子と中華をたっぷり食べた後、大阪の連中と別れ横浜へ車を飛ばし、8時ごろには家に着いた。