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劇団四季 異国の丘 (mak)

2013-07-18 00:48:49 | クラシック ジャズ 演歌、世界

 

浅見慶太演出によるミュジカル「異国の丘」2001年初演を、浜松町の劇団四季の劇場で観た。

68年前、日本は戦争に負けた。1945年8月15日にポツダム宣言を受託。その7日前の8月8日に日ソ中立条約を破り、ソ連は日本に宣戦布告。ソ連は民間人を含む日本人捕虜をシベリヤに抑留し、強制労働に従事させた。抑留は長いもので11年も続き、その数60万人、うち6万人が亡くなったと言われている。その一人に近衛文隆がいた。 

 極寒のシベリヤで愛と祖国に殉じたある貴公子の物語。この貴公子というのは、戦前の五摂家の筆頭近衛家の第30代当主で3度にわたる総理大臣に指名された近衛文麿の御曹司の近衛文隆である。 

 近衛文隆をモデルとする主人公が日中戦争から太平洋戦争敗戦期に送った波乱の人生を題材としたミュジカル。

第一幕:第2次世界大戦後、極寒のシベリヤ。ソ連に抑留されていた文隆は、過酷な強制労働を課せられた上に、毎日執拗な尋問を受けていた。ソ連は日本を代表する名家の御曹司である文隆を、スパイに仕立てようとしているのだ、疲れ果てながらも収容所仲間と話すうちに、彼はあめりかに留学していた青春時代に思いを馳せる。

近衛文隆昭和1915年ー1956年、学習院中等科卒、アメリカの高校に留学、1937年 日中戦争が始まり、東アジアにきな臭い匂いが立ち込めている頃、プリンストン大学に学生生活を謳歌していた。ゴルフ部主将として全米大学選手権大会で優勝した祝賀会で、美しい東洋人女性 宋愛玲と出遭う。文隆と愛玲は運命に導かれるまま踊り始める。お互いの素性を語ってはいけないルールのため、再開の約束をしてその日は別れる。次の日、文隆は英国戴冠祝賀パーティーに出かけた。その席には、中国国民政府の蒋介石総統の夫人宋美齢の姿もあり、日本の侵略批判と中国への支援を訴えていた。そこで愛玲の姿を見つける。偶然の再会を喜び、二人の心は結びつく。が、文隆は日本の首相の御曹司、愛玲は敵国・中国の政府要人の令嬢。しかも彼女には蒋介石と前妻との子との許嫁がいた。折しも愛玲の故郷・上海への日本軍による攻撃が開始され、両国の全面戦争は決定的となる。二人は束の間の別れの言葉を交わしただけで、帰国の途に就かなければならなかった。

 1938年帰国し、父親の秘書官となっていた文隆は和平工作のため。父の密命を受けて単身、翌年東亜同文書院の講師兼学生主事として上海にわたる。

 アメリカの友人の助力で愛玲と再会した文隆は、両国の和平実現のために協力を誓いあうとともに、愛玲に求婚する。許嫁の存在を内訳できずに苦悩する愛玲。二人は、文麿、蒋介石双方の親書による和平工作を開始する。

一方、日本の軍部、憲兵隊は文隆らの動きを察知し、親書奪還と和平工作阻止に動き出す。文隆が日本から持ち帰った近衛文麿の親書は、愛玲の父の協力で重慶にいる蒋介石へ無事渡る。そして愛玲に蒋介石の親書を託したのは許嫁だった。二人の男の愛に心引き下がれながらも、上海に戻ってきた愛玲。しかし、親書を受け取りに来た文隆の現前で、愛玲は仲間の裏切りにより、銃で撃たれる。和平の実現を信じつつ、愛した男の腕の中で死んでいく愛玲。憲兵隊に取り囲まれた絶望の淵で、彼女をを抱きしめてつぶやく。(戦争は終わらない.....。日本は敗れるであろう....」と。

 軍部に反抗した文隆は。懲罰召集で満州に配属され、敗戦直前に侵攻してきたソ連軍にとらえられて、シベリヤに抑留されてしまう。 

 

ソ連邦側は、文隆の身分や立場を知りなんとかソ連の協力者になるよう説得するが、 しかし彼は最後まで不服従の節度を貫き、自己の信念を変えようとせず、ソ連側もその頑固不屈さに手こずり、密かに毒殺を図りついにそれを実行に移した。1954年日ソ共同宣言で戦争終結、これによりソ連に抑留されていた日本兵全員の帰国が実現した。しかし、文隆の姿が帰国者の中にはなく、敢え無く41歳の若さでその人生をシベリヤの地で閉じたのである。

 

 


India Questions Bill Gates and Aamir Khan

2013-07-11 15:36:04 | クラシック ジャズ 演歌、世界

インドのニューデリーテレビ放送局(NDTV)の番組「India Questions」が放送したBill Gatesとインドの最も人気のある映画俳優Aamir Khanの会談を



India Questions Bill Gates and Aamir Khan

「ぜひ彼に会ってみたい」。ビル・ゲイツがインドまで赴き、対面を熱望した男がいる。“ボリウッド”のトップスター、アーミル・カーンだ。俳優として第一線で活躍しつつ、福祉や教育など社会問題にも取り組む男。現在日本でも公開中の主演作『きっと、うまくいく』の大ヒットで世界に名を知られ、米『タイム』誌が「世界で最も影響力のある100人」に選んだインド人とは、いったいどんな男なのか。

 
 

心なしか緊張気味のビル・ゲイツの横で、アーミル・カーンは大きく脚を組み、静かに微笑んだ。

 「今日はたいへん貴重な顔合わせが実現しました。世界で最も偉大な、大学を“挫折した”ふたりです(笑)。ふたりはそれぞれの道で名を上げ、さらに人生の第2の扉を開きました。心配はいりません。彼らはあなたたちの未来なのです」

 2013年6月初め。インドのテレビトーク番組「Indian Question(インドの質問)」で、司会者は興奮気味に客席に呼びかけた。米マイクロソフト創業者のゲイツと、インドのトップ俳優カーン。「ぜひ彼に会ってみたい」。異色の顔合わせはゲイツのラヴコールで実現した。世界有数の制作本数を誇る“ボリウッド”の顔でありながら、福祉や教育など社会問題への取り組みに熱心で、米『タイム』誌が2013年の「世界で最も影響力のある100人」に選んだ男。ゲイツにわざわざインドまで会いに行かせた男とは、いったいどんな人物なのか。

 

「ミスター・パーフェクト」。インドの映画ファンは、敬意を込めてカーンをこう呼ぶ。作品選びや役づくりに一切妥協しない。出演本数は少ないが、質の高さには定評がある。1965年ボンベイ(現ムンバイ)生まれのカーンは、いわゆる俳優一家の出身だ。子役でキャリアをスタートさせ、コメディから人間ドラマまで幅広くこなす演技派に成長した。そんな彼の名を世界に知らしめたのは、インド映画史上最大のヒット作で、日本を含む各国で反響を呼んだコメディ『きっと、うまくいく(原題:3 idiots)』(2009)だった。

 インド最高峰の工科大学が舞台の同作は、エンジニアの卵である学生3人の葛藤と友情を描いたコメディ映画だ。「人生は競争だ」。劇中の3人は日々追い立てられ、勉強させられる。映画の背景となった1999年から2009年は、インド経済が急成長した10年に重なる。受験戦争、学歴社会、貧富の差、若者の自殺……映画は発展とともに深刻化する社会問題に触れながら、若者の厳しい現実を映し出す。

 カーンが演じた主人公のランチョーは、あらゆる固定観念に挑戦する学校の“異端児”だ。競争重視の学長に反発し、成績より学ぶ理由にこだわる。世間体より自分の信念に忠実で、友人のために苦労を惜しまない。「自分は何をしたいのか。何ができるのか」。常に問い続けるランチョーの姿は、カーンの生き様に共通するものがある。