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大阪弁で何故ですか?という意味です。

昭和天皇の聖断ー文芸春秋6月号

2006-05-28 14:31:49 | 日本歴史
何故天皇は確信がるといえたのであろうか。終戦末期になると、軍事状況についての情報が天皇に伝えられなくなった。軍令総長に正確な情報を伝えていなかったようだし、戦況が悪化してくると、統帥部も陸海軍省の首脳も天皇の前に出ることを避けるようになった。このような中で、天皇はどのようにして、状況を把握することが出来たのであろうか。天皇はアメリカの日本向けの日本語放送やアメリカ国内向けの英語の放送に耳を傾けていたとのことが分かった。            戦況が悪化して臣下のものからの情報の伝達を怠るようなれば敵国のラジオ放送から情報を収集してでも、事態の解決を図った天皇は優れたマキャベリストである。と保坂氏は結んでいる。                                                              この記述は、昭和天皇に対する見方、終戦の天皇の決断について、今まで釈然としていなかった気持ちが説かれたように思えるのである。

日本史概観 (1)第二次世界大戦

2006-05-05 09:52:05 | 日本歴史
日本は太平洋戦争で敗北をきした。何故、日本は戦争をしなければならなかったのか。何故、負けたのか。日本国民はこのような単純であるが、最も重要なことを、知ろうとしてこなかった。太平洋戦争は第2次世界大戦の後半昭和16年に米国に宣戦布告して、真珠湾を攻撃して始まり、昭和20年9月にポツダム宣言に署名して無条件降伏をして終わった戦争である。

第2次世界大戦の年表
  1927年 金融恐慌 
  1928年 蒋介石国民政府が中国を統一
1929年 米国株大暴落 
  1931年 満州事変
  1932年 5.15事件政党政治終わる
  1936年 2,26事件軍部の力強まる。
  1932年 満州国建国
  1993年 国際連盟脱退、中国が日本の侵略を訴え、認められる。 
  1937年 日中戦争勃発。中国では国民党と共産党で抗日統一戦線。
     日独伊防共協定(ファシズム諸国の結束)
  38年 国家総動員法
  39年 第二次世界大戦(ドイツのポーランド侵攻で開始)
  40年 日独伊三国軍事同盟
     大政翼賛会と大日本産業報告会
  41年 太平洋戦争(日本が真珠湾を攻撃)
  45年 ヤルタ協定(米英ソ三国で、ソ連の対日参戦などを決める)
     ポツダム宣言(日本の無条件降伏を勧告)

第2次世界大戦は、1939年9月1日にドイツ軍がポーランドに侵攻し、イギリス、フランスがこれに反抗して宣戦布告をしたのが始まりで、1945年9月2日に連合国戦艦ミズリー号の甲板で無条件降伏書であるポツダム宣言に署名して終了した、世界の主要国が連合国とドイツ、イタリヤ、日本の枢軸国に分かれて、領土を取り合って争った、地球規模の帝国戦争である。
日本は何故に第2次世界大戦に突入しなければならなかったのか?

1929年米株大暴落で広がった世界大不況による世界情勢の変動:
第一次世界大戦後1020年代は、米国は重化学工業への投資、自動車大需要がもたらした景気拡大、戦争からの帰還兵がももたらした消費で経済的栄光に湧いたが、ヨーロッパの経済復興やロシアの共産社会の資本主義社会からの離脱に伴う需要減、異常気象による農業恐慌が起こり、供給過剰状態が起こっていた。1929年4月25日 10時25分にニュウヨーク証券取引所でゲンエラルモータースの株価が80セント下がったのがきっかけで売り1色に転じ、米国の株が大暴落した。これが切欠で、世界の資本主義の国々に不況が広がり、世界的な不景気となった。不況打開ために各国はそれぞれ対策を講じた。
米国:1933年に就任したルーズベルト大統領はニューディール政策を実行する。
イギリス、フランス:植民地との輸出輸入で経済の活性を図り、他国との貿易を閉鎖しブロック経済で対応した。
ドイツ;ナチス党による全体主義
イタリア:ファシスト党による全体主義 エチオピアへの進出
日本:金融恐慌、世界恐慌、軍部独裁による中国への進出で景気回復を図る。

日本は何故敗退したのか。

軍部が勝手に戦争に突っ走ったが、其れを指揮する軍隊が陸軍と海軍に分かれており其れを取りまとめて、統一した戦略のもとで指揮する体制が確立されていなかったことが主因であり、其れに尽きると思う。要するに日本の指導的立場である軍が如何におろかであったかということである。