goo blog サービス終了のお知らせ 

なんでやねん.com

大阪弁で何故ですか?という意味です。

世界第2位の富豪ウォーレンパフェット氏がビルゲイツ財団などへ4兆円寄付

2006-06-26 13:32:52 | つれずれ日記ー日々の雑感
NIKKEI NET:主要ニュース
[レッドモンド(米ワシントン州) 3日 ロイター] 米マイクロソフトのビル・ゲイツ会長は3日、CNBCの記者とのインタビューで、世界で最もリッチでなければよいのにーーーと複雑な心境を語った。

 ゲイツ会長は「リッチでなければよいのに。何もよいことはない」と語り、その理由として「余計に注目されてしまうから」と話した。

 ゲイツ会長は、マイクロソフト社を世界最大のソフトウエアメーカーに育て上げたほか、世界でも有数の慈善事業家としての顔も持つ。

 また同会長は、世界で最も影響を受けた人物として、ハイテク分野の同僚を除いては、大物投資家ウォーレン・バフェット氏の名前を挙げた。
Warren Buffet
Berkshire Hathaway

Warren Buffett’s determination and creativity have made him who he is now: the chairman of a long-term investment company which has more than $2 billion in holdings. As a child, Buffett was already ambitious. He was an enthusiastic and industrious paper boy for the Washington Post, and tried to cover more than one route at the same time. He also made money by collecting and selling lost golf balls. Buffett’s interest in finance was clear extremely early on in his life. He started playing the stock market with one of his sisters when he was eleven. At twelve, he was betting on horses, and by high school he had started a business (pinball machines) with a friend, which earned him fifty dollars a week. Not only did he own a business by graduation, but he also had bought himself forty acres of Nebraskan farm land with his profit. Graduate school was a formative time for Buffett. It was there that he met Benjamin Graham, an economic scholar whose work Buffett had begun studying in college. Buffett believed strongly in Graham’s theory that it is wise to look for stocks of companies which are undervalued, which will most probably prosper with a little time. Thus began Buffett’s untraditional approach to portfolio management. After working for his father’s investment banking company for the three years after business school, Buffett returned to Graham and worked as a security analyst at Graham’s company for two years until 1956. In that year, at the age of twenty-five, Buffett started his own investment company, the Buffett Partnership, using $5,000 of his own funds and collecting $100,000 from interested friends and family. One of the smartest moves made by Buffet’s company at that time was to invest in American Express. In 1963, a scandal surrounded AmEx, and Wall Street believed the company was near the end. But Buffett, always with his wits about him and his thinking cap on, noticed when in restaurants and shops that customers were still using the card to buy. He went ahead and bought 5 percent of the stock, which by 1961 had risen from 35 to 189 market points. Buffett is now chairman of Berkshire Hathaway Inc., which makes the long-term investments which Buffett is so adept at choosing.



Web newsと新聞の違い

2006-05-28 22:30:07 | つれずれ日記ー日々の雑感
Webを読む時にはi-tuneからの音楽をバックグラウンド音楽として流しながら詠むことにしているので、心が和むことが多い。難解な単語や専門用語の意味を調べたり、関連情報を読んでみたりして、一つの記事から思考を広げたり、いろんな知識をsることが出来る。時には新聞が読みたくなるような時があれば、近くのコンビになどでその都度、いろいろの新聞を買って読むことで、各紙の報道の仕方を比べることも可能となる。

勇輝こどもの日、勝馬君誕生日の食事会

2006-05-06 21:56:19 | つれずれ日記ー日々の雑感
康秀さんは昨年突然勤めていたドイツの日本支社の経理部長の仕事をやめて、当分連絡してこないことがあり、我々を心配させた。数ヵ月後に会った時、フランス料理を本格的に勉強したくなり会社勤めをやめたが、又再就職したと報告した。その時はどんな会社に就職したのか説明しなかった。先週我が家での食事会に来た時に、脱サラしてレストランでも開きたいと、彼の夢をもらした。それなら一度我々に料理の腕を見せろということで、この日の料理のうち2品を作ってくれた。ゼリーの料理と鮭を使った本格的なフランス料理。流石専門的に習っただけあって味は抜群である。さらに磨けば店をもてるであろう。美雪も手料理を造ってくれたが結構美味しかった。白ワインも最高だったが、一本では少なすぎる。康秀さん再就職した会社は、Unicoeという会社で経理、総務の責任者の仕事だという。上海、香港へ行って研修を受けたり、本社のベルギーへのネットによるレポートの構築について、打ち合わせしてきたという。どうも今度の会社を気に入っているようである。
このベルギーの会社は、NewsWeekの世界企業ランキング2005年版で財務成績と社会的的責任(CSR)をあわせた総合評価で25位、CSR順位で8番目にランクされている企業で、燃料電池向け向け素材など希少金属’レアメタル)に強い。従業員は一万五千人。非鉄金属精錬メーカーで、コバルトの加工では世界最大。亜鉛、銅の生産でも世界トップクラス。自動車の排ガス浄化装置向けの素材や燃料電池向け素材など希少金属(レアメタル)に強い。従業員は15000人。レストランを持つ夢は時機をみて50歳前に実現したいと、当分先延ばしにしたと。立派な会社に再就職できたのとフランス料理の腕を身につけたのと、よくやったものと感心し、安心もした。和子もほっとしたことだろう。
勇輝は小学校一年生で家から3分の小学校に入学したばかりで、小学校の生活が楽しいようである。給食が美味しいらしくもりもり食べている。兎も角健やかに明るく育っている。勝馬君は日本テレビの報道のディレクターの仕事で、夜勤の日もあるようで、昼も夜もないぐらい多忙を極めており、毎週200時間も働いている。
40歳の年頃は、よく働かされる。兎に角、元気でいてくれれば、何よりである。
美雪家族は、今まで借りていた150平米もある庭付き6LDKの一軒家の家主との契約で、賃貸契約が終わり、新たに借りマンションに借り換えしたばかりである。下総中山の閑静な住宅街にある落ち着いたマンションで、今までの広い一戸立ちに比べれば2LDKと手狭まいが、いずれにせよ家を買う計画であるので3人家族の仮住まいとしては十分である。
食事会が終わり駅に送りに着てくれた時、勇輝は、我々の家に泊まりに来たいといって、唖然とする美雪や勝馬を尻目に、我々の電車に飛び乗り、我々と一緒に保土ヶ谷へ止まりにきてしまった。美雪や勝馬に逢わなくてすっきすると独り言を言ったので、毎日あれこれ言われているのでうんざりしているのだなと言ったら、ウンザリって何だと質問する。次の日は朝5時に起きてサッカーゲームをするといってたが、起きたのが10時ごろでマクドナルドで朝昼兼用の食事をした。その後生協で買い物、オリンピックで和子のキャディーバッグを買い、オーロラモールでゲームを楽しみ、カラオケで歌い、また中山の家に送っていった。帰りの電車は東京急行で帰ろうと言い出し、お陰で新しい経験をした。どこで知ったのか東京急行でなく京浜急行であったが、次々とあたらしいことに興味を持ち知識を増やしていく。晩飯を食べていけと盛んに薦めるので、迎えに来た美雪とラーメンを食べることにした。駅で別れるときさよならと手を振ってくれる勇輝は涙ぐんでいる。保土ヶ谷へ、そこで和子と落ち合い行きつけのすし屋ですしをつまみながら熱燗で一杯。タクシーで家へついたのが10時ごろであった。テレビを見ながら就寝。長い一日であった。勇輝にはいつも振り回されふらふらとなるが、かわいいやつである。小学校で友達が出来てくると、そのうちに相手にしてくれなくなるであろう。人は年とともに変わる者である、致し方ない。

凛という言葉ー横田めぐみの母親が北朝鮮の非道を世界に訴えたー日本の恥

2006-05-04 09:39:58 | つれずれ日記ー日々の雑感
5月2日付・よみうり寸評
 〈凛(りん)〉――態度、気持ちなどがひきしまって、きちんとしているさま。横田早紀江さんの姿、言葉にいつもこの字を連想する◆面会したブッシュ米大統領が「これまでに最も心を動かされた会談だった」と述べた。米大統領は〈世界最強の男〉といわれる。その心を動かした凛とした母に感動する◆〈幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく〉――先行きの見えない日々に若山牧水のこの歌のような思いを抱いたのではないかとも推察するが、母の強さはそんな感傷を越え、北朝鮮の非道を世界に訴え続ける◆「米国は人権を尊重し、自由社会を実現することを強く保証する」と大統領。「信念と勇気を持って心を一つにして頑張ろう」とも言った◆この面会は大統領が拉致、人権問題を北朝鮮に圧力を加える新たな手段と見定めたことを示した。「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」という母の一念の成果だ。核問題の脇にあった感の〈人権〉を前面に出すよう国際世論をさらに盛り上げよう◆凛とした母の成果にこたえる凛を日本政府に求める。

(2006年5月2日13時53分 読売新聞)


前立腺肥大についてーシニヤーのゴルフ、マージャン

2006-05-03 15:59:26 | つれずれ日記ー日々の雑感
健康の森[日本医師会ホームページ]前立腺肥大
しかし、この年齢の人たちには例外なくといってもいいくらい、前立腺肥大の悩みを抱えているようである。よく観察してみると、兎に角、ゴルフプレイ中茶店では必ず一回は用を済まされる。昼の食事前後に一回、従いゴルフ場では総計5-6回。その後のマージャンでは、半チャンごとに1回、従い昨日は7時間ほどのプレイ中に5-6回。その後、就寝中には3回ぐらいは行かれるでしょう。一日に15回ぐらいはと推測する。それにしても、よく小便する割には、勝負に対する執着だけはものづごく、元気そのものである。

小生、今のところ前立腺肥大の兆候がないが、念のため予防法がないかと、前立腺肥大のことをインターネットで調べたので、上記にリンクを張っておいた。

奥多摩紀行

2006-04-19 09:42:50 | つれずれ日記ー日々の雑感
遠足にも行くような気もそぞろでリュックを担ぎ、最寄の保土ヶ谷駅から勤めに出るサラリーマンに混じって湘南新宿ラインに乗る。混雑した朝の新宿駅も、久しぶりで楽しい。中央線で青梅、そこで乗り換え奥多摩へ、お年寄りのグループが、、カジュアルウェアーでリュックを担ぎ、それぞれ好みの帽子をかぶり、まるで童心に戻ったようである。わいわいがやがや、まるで小学生の遠足のように、よくしゃべる。本当に楽しそうである。
奥多摩に近づくにつれ、列車の窓から眺める長閑な田園風景が、心を和やかに癒し始めてくれる。

奥多摩駅がハイキングの基点。ちょっと歩くと、ポツリポツリと建ち並ぶ田舎家の庭先から春爛漫に燃えるように満開の桜やボタン、ボケなどの花々が、若葉の緑に映えて色泡やかに咲き乱れている。そばを流れる透き通ったせせらぎ流れに沿って、酸素いっぱいの美味しい空気を吸いながら歩く。本当に気持がよい。くねくねした山の細道を1時間ほど歩行して、愛宕山頂上に着く。1時間休憩、軽食を取りながら談笑、くだりは40分ほどで駅前。駅前を通過して、つり橋を渡ったところにあるもだえの湯の日帰り温泉の露天風呂は最高である。木々の間から湯船に日の光りがこぼれ入り、下を流れる清流、遠くの山間に咲く桜は、絵のようだ。ゆっくり湯につかる。長閑な気分が心を洗ってくれる。その後の生ビールとお蕎麦で談笑は絶えなかった。みんな大満足。その温泉から駅までは7分ほど、電車の中でも話は絶えない。
世話役の岡本さんが頂上で休憩中に転んで肋骨が折れていたこと、事後医者に言って分かったとの連絡受けたが、早く直ってくれればよいが。年が年なので、今後はハイキングでも注意を怠らないようにすべし、今後の戒めとしたい。

グリースパン退任後も市場への影響

2006-04-13 12:20:09 | つれずれ日記ー日々の雑感
FT.com / Debates & polls / Ask the expert - Ask the expert: Future of financial centres


2月に退任したグリースパンは、1987年から2006年1月まで、金融政策
の巧みな運営で米国経済の長期安定的な成長を支え、史上で最も優秀な経済のマエストロ(指揮者)との異名を持つほどに、米国経済、世界経済に影響力を与えたが、退任後早速コンサルタント会社を設立し、世界各地で講演を行い、クリントン大統領に告ぐ契約金で回顧録発行権を与え、また、英国財務省から最高顧問として招聘されるなどますますの活躍をしており、市場に影響を及ぼしている。12日の講演で、1996年の米国株高に警鐘を鳴らした時に使った、根拠なき熱狂という表現は言い過ぎで適切でなかったとわびたと、英Financial Times紙が伝えている。

 この年秋、ニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均は年初から1000ドル程度も高い6000ドル台へ上昇。米紙ワシントン・ポストのボブ・ウッドワード記者の著書によると、懸念を市場へ伝えることを考えたグリーンスパン議長(当時)は日課である早朝の入浴中にこの言葉を思いつき、12月初旬の講演で使った。発言を受けて株価は世界的に一時下落した。

 前議長は衛星を通じたソウルでの講演で、発言の意図は「市場のフロス(小さな泡)を示唆する」ことにあり、「根拠なき熱狂」は「バブルが発生しているときにのみ使うのが適している」と表現の行き過ぎを反省を込めて釈明。米国の住宅ブームなど最近の資産価格上昇にこの表現を使うのは「誇張」と語った。

Financial Times の記事抜粋:

Question: You remember that the stock market fell 145 points the day after you mentioned “irrational exuberance”. Do you feel there’s any irrational exuberance in asset values in recent years?

I’m sorry I used that term. It’s one which does suggest a froth in the marketplace. I would hesitate to use it in today’s context, because clearly it’s usable only in the context where bubbles are emerging. You can have overvalued stock prices without there being irrational exuberance. I would think that in this particular stage - without forecasting one way or another which way the market is going – that however one views it, that irrational exuberance I think would be a stretch at this point.

日経記事より:グリースパンの送別会の様子が簡素でほほえましい。
(1/31)グリーンスパンFRB議長、満場の拍手受け「退場」
 【ワシントン=小竹洋之】グリーンスパンFRB議長は31日、関係者の盛大なもてなしを受け、晴れやかな表情で18年6カ月の任期を終えた。

 午前9時、FRBの理事や地区連銀の総裁は全員起立し、最後のFOMCに臨む議長を拍手で迎えた。14回連続の利上げを決定すると、今度は退任記念の昼食会。議長夫人で米NBCテレビの花形記者、アンドレア・ミッチェルさんら約180人が出席し、議長の功績をねぎらった。

 「FRBはこれからも素晴らしい仕事をするだろう。私は別の場所から見守り、応援する」。あいさつに立った議長には愛用のイスや、地区連銀総裁すべての名前が入った野球のグラブなどが贈られた。

 午後は約1500人のFRB職員が集まった送別会。議長は「FRBは米国の通貨に責任を持ち国民全体の生活に関与する。我々は購買力の守護者だ」とあいさつし、ここでも満場の拍手を浴びた。