本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

祇園祭~還幸祭

2005年07月24日 | 京都
舞妓花の席がおひらきになった後、四条のお旅所へ。
ちょうどよい具合に、お神輿の出発の時間が近づいていました。

お旅所の前には、すでに人が集まり始めていました。
まもなく、中御座のお神輿を担ぐ「三若」の人たちがやってきました。
シンバルのように鳴る金具を手にした人が、掛け声をかけながらお旅所の前へ到着しました。お神輿を担ぐための棒にこの金具をつけ、これが鳴るようにうまくお神輿を揺らすのです。

三若がお旅所に到着


三若の人たちが集まると、さっそくお旅所からお神輿が運び出されました。

お旅所から運び出される中御座


お神輿がお旅所から運び出されると、神事が執り行われます。

お旅所出発の神事


神事が終わると、お旅所の前でお神輿を3回まわして出発します。
続いて東御座、西御座もお旅所から出されました。

お旅所から運び出される西御座


東御座を担ぐのは「四若」、西御座を担ぐのは「錦」の人たちです。
どちらも、お神輿をいったんお旅所から出した後でお神輿の飾りや担ぎ棒を取り付けなければならず、出発までにはかなり時間がかかりました。
最後の西御座は、準備が整って神事が行われた後、お旅所の前で3回大きくまわってから出発しました。

3基のお神輿は町内をまわった後、夜遅くに八坂神社へ戻ります。
八坂神社の境内に到着したお神輿は、舞殿の周囲を思いきりまわって、舞殿のなかに納められます。
その後、お神輿から神社本殿に御神体が戻される「みたま移し」という儀式が行われるのです。
今回は日帰りだったのでお旅所出発までしか見られませんでしたが、次に行くときは、ぜひ「みたま移し」まで見たいと思います。

お旅所出発を見た後、先斗町にある洋食屋さんで夕食をとってから、京都駅へ向かいました。
洋食屋さんではちょうど床(ゆか)の席が空いていたので、宵山の日に続いてまた床が楽しめました。

日帰り強行軍でしたが、時間も有効に使えて充実した一日でした。
後の祭りが終わり、祇園祭の提灯が街に飾られるのもあと少しだと思うと、少しさびしい気がしました(冒頭写真)。

祇園祭~祇園で一服その2

2005年07月24日 | 京都
花傘巡行と奉納舞の間に、祇園で昼食をとりました。

JR東海ツアーズが発売している日帰りプラン「1day京都」には、昼食のクーポンがついています。お店は指定のところから選べます。私は美登幸という京料理のお店を予約しておきました。

美登幸さんでは、このクーポンを使うと「舞御膳」という料理をいただけます。
花かごに入った様々な小鉢のほか、お造り、揚げ物、湯豆腐、ご飯、赤出し、デザート、抹茶など、盛りだくさんの内容です。

せっかくの料理をさらに楽しむため、別料金で冷酒を注文しました。「桃の滴」という、伏見のお酒です。
このお酒には、「純米吟醸」と「純米大吟醸」の2種類があり、純米吟醸は少し辛口、純米大吟醸はフルーティーな口当たりです。今回のは少し辛口だったので、純米吟醸のほうだと思います。
運ばれてきたお酒を見て、びっくりしました。青竹の筒にお酒を入れ、氷をたくさん入れた器のなかに立てていたのです。
見た目にも涼しげで、料理と同様「目と舌で楽しめる」という感じでした。

竹筒に入った冷酒


美登幸さんでおいしい料理とお酒を堪能した後、奉納舞を見てから、祇園の丸梅さんというお店へ行きました。
ここは、もともとお茶屋さんだった建物ですが、現在は、夜はバーとして営業しています。
昼は舞妓花の席というのをやっていて、お抹茶とお菓子付きで、舞妓さんの京舞を見たり、舞妓さんと話したりできるのです。
宵山の日に行った「かにかくに」さんの京舞鑑賞会に比べるとお値段はやや高くなりますが、少人数で1時間弱、舞妓さんと結構ゆっくり話せます。

来てくださった舞妓さんは、舞妓になってまだ半年という初々しい方でした。
でも、受け答えもすごくしっかりしていて、落ち着いた雰囲気でした。
新潟出身だそうで、細面できれいな顔立ちです。
お客さんのなかから、「きれいねえ~」という声が何度もあがっていました。

祇園甲部では、舞妓さんになって最初の一年は、紅を下唇にしかさせないことになっています。アイメイクも、アイラインやマスカラは使用不可で、目尻に紅をさすだけです。
お姉さん舞妓さんになるとアイラインやマスカラを使ってもよいのですが、個人的にはアイラインなしのほうが好きです。
やはり、白塗りにはシンプルな和化粧のほうが合うと思います。
アイラインやマスカラでばっちりアイメイクした舞妓さんは、ちょっと「えずくろしい」と思います。そういうのんは、芸妓さんになってからで十分です。
でも今の舞妓さんは、お姉さん舞妓さんになるとなぜかみんな「ばっちりアイメイク」になってしまいます。
今回の舞妓さんは、すっきりした端正な顔立ちだったので、お姉さん舞妓さんになってもぜひ、紅だけのシンプルなアイメイクで通してもらいたいなあ……と思います。

舞妓さんの着物は、黄色の地に桔梗の柄の、絽の振袖でした。
「だらりの帯」を結んでいる丸帯も、もちろん絽です。

だらりの帯


舞妓さんの帯の左下には、屋形(置屋さんのこと)の紋が入っています。
児童福祉法のなかった昔は、10歳に満たないような幼い舞妓さんがたくさんいました。そのため、お座敷の帰りに迷子になってしまったり、お座敷で眠りこんでしまうこともあったそうです。
そういった時、近所の人やお客さんが置屋さんに舞妓さんを送り届けられるよう、目印として帯に紋を入れていたのだそうです。
今の舞妓さんはみんな中学を卒業しているので、迷子になる人はいないと思いますが、昔の名残で今でも帯に紋が入れられているのです。

夏の暑い一日、舞妓さんの涼やかな舞姿を見て、何よりの納涼になりました。

舞妓さんと記念撮影
↑舞妓さんとの記念撮影もしてもらえました。舞妓さんの着物は、絽の振袖です。
「ぽっちり」と呼ばれる帯留は、サンゴやヒスイを使った、とても大きくて高価なもの。それぞれの置屋さんに代々伝わる家宝だそうです。
私のこの日のキモノは、青のぼかしの小千谷縮に、紗献上の八寸名古屋帯。小千谷縮は、新潟県小千谷地方で作られる麻織物ですが、奇遇にも、この日の舞妓さんの出身地は新潟。新潟と一口に言っても広く、舞妓さんのご実家は震災の被害も特になかったとのことでよかったです。



祇園祭~花傘巡行

2005年07月24日 | 京都
祇園祭の「花傘巡行」を見に、日帰りで京都へ行ってきました。

花傘巡行は、毎年7月24日に行われます。同じ日に、お神輿が八坂神社へ戻る「還幸祭」も行われます。
今年は24日が日曜日でしたが、次にこの日が土休日と重なるのはずいぶん先になってしまうので、急きょ京都行きを実行しました。

早朝の新幹線で、一路京都へ。
日帰りなので、着物を着てハンドバッグだけ持って新幹線に乗りました。

京都に着いたら、すぐにバスに乗って八坂神社へ向かいました。
すでに多くの人が、花傘巡行を見るために四条通沿いに集まっていました。
八坂神社前は結構混み合っていたので、四条通を少し西に行ったところで行列を待ちました。
山鉾巡行と比べ、花傘巡行のことはあまりよく知られていないようで、たまたま観光で来ていた人が「あの、すみません、今日は何があるんですか?」と尋ねておられました。

昔は、「先の祭り」「後の祭り」と2回にわけて山鉾巡行が行われていたのですが、山鉾巡行が7月17日の1日だけに統合されてしまったため、「後の祭り」の山鉾巡行に代わって花傘巡行が行われるようになったのです。
花傘巡行は、山鉾ができあがる前の古い「祇園会(ぎおんえ)」の形をもとにしているそうです。

行列は、花傘をかぶった女性や鷺舞、獅子舞などのほか、芸妓さん・舞妓さんなど様々な構成です。
八坂神社の氏子になっている花街は、祇園甲部、先斗町(ぽんとちょう)、宮川町、祇園東の4か所で、毎年2か所ずつ交代で花傘巡行に参加します。今年は祇園東と先斗町でした。

花傘巡行 鷺舞
↑花傘巡行(鷺舞)

花傘巡行 先斗町
↑花傘巡行(先斗町):巡行の後に行われる奉納舞「歌舞伎踊り」のいでたち

花傘巡行 函谷鉾
↑花傘巡行(函谷鉾のお囃子)


巡行に参加するお姐さんを見るために、置屋のお母さんに連れられて「仕込みさん」が沿道に来ていました。
仕込みさんとは、舞妓としてデビューする前の見習いさんのことです。まだ舞妓さんではないので、日本髪は結わず、普通のまとめ髪にしています。舞妓さんの夏の普段着と同様、浴衣を着て、赤い名古屋帯をお太鼓に締めていました。浴衣は、袖丈を少し長めにしていました。その昔、舞妓さんのほとんどが小学生くらいの子どもだった時代の名残です。

花傘巡行が終わると、今度は八坂神社境内の舞殿で「奉納舞」が行われます。
鷺舞、田楽、祇園太鼓、獅子舞、六斎念仏、花街の踊り、万灯踊りが奉納されました。

獅子舞
↑獅子舞:雄獅子と雌獅子が仲睦まじく舞う様子を描いている


花街の踊りは、巡行に参加した祇園東と先斗町によるものです。
祇園東は「小町踊り」、先斗町は「歌舞伎踊り」を奉納していました。

祇園東の芸舞妓による小町踊り
↑祇園東の芸舞妓による「小町踊り」

先斗町の芸舞妓による歌舞伎踊り
↑先斗町の芸舞妓による「歌舞伎踊り」:出雲の阿国の「かぶき踊り」をモチーフにしているといわれる


「万灯踊り」というのは、割と最近になって始められたもののようで、小学生くらいの子どもたちによる踊りです。みんなしっかりと踊っていたので感心しました。

舞殿の正面には、早くからアマチュアカメラマンが場所取りをしていたようですが、それでも神幸祭の日に比べればずっと人も少なく、ゆったりと見ることができました。
ギャラリーのなかには、浴衣に赤の名古屋帯という、普段着姿の舞妓さんもいました。