マグロチャンピオンの料理道場

人気バラエティー番組、TVチャンピオンの「マグロ料理人選手権」優勝者が、本格料理を分かりやすく教えるブログ。

タイのバンコクでマグロ料理の饗宴(続き・・・)

2007年12月29日 | ブログ開設とタイでの思い出
まさか、タイのバンコクでTVチャンピォンの決勝戦で戦った3人が一緒にマグロ料理を作れるとは夢にも思っていなかった。こんなチャンスはそうそうあるものじゃないし、皆、自分のお店があるのだからなかなか実現するものじゃない。

当時、私は以前勤めていたマグロ商社を辞めて、タイのプーケットの工場で生マグロを寿司ネタに加工する仕事をしていた。

その会社は本社がタイで、私は日本の支社での販売も担当していた。
生マグロを工場でスライスして、刺身用とか寿司ネタ用にカットして、トレイに並べて真空包装をして、それを、-35℃位に冷やしたアルコールに入れて凍結する。
わずか、2~3分でマグロはカチンカチンに凍るから、鮮度は最高の状態で保たれるるんだ。
もともと、私は料理の他に、マグロの加工や食品の加工を得意としていたので、日本の支社に居るより、タイのマグロ工場や、中国の食品工場を飛び回っていて、ほとんど日本には居ない生活になった。マグロスライスは日本の大手ファミレスに販売していたこともあって、そんなに日本で営業をする必要もなかったから、マグロ以外では中国で「あん肝の酒蒸し」を15トン位作って、大手居酒屋チェーンに販売したり、上海から山東省の石島まで海岸線を北上して工場探し等もやっていた。
当時、年間に50回以上、飛行機に乗ったりしていたが、ほとんどが国際線だった。

そして、タイに戻ると時間がある時は、「すし店」のお手伝いをしていた。
そのお店は、タイの私のいた会社が経営していたのだが、お客さんが少なく、すし店なのに「納豆オムレツ」等、訳の分からない料理をたくさん出していた。

私がお手伝いを始めて、本格的に「まぐろ料理と寿司」のお店として、メニューも、一新して再スタートという時に、リニューアルOPENならば、お客さんを呼んでパーティーをすることになり、タイの社長(日本人)から、せっかくならば、山田さんと星さんに声を掛けてみては?との提案があった。

山田さんと、星さんとは、TVチャンピォンの決勝戦後も電話で連絡を取り合っていたので、国際電話を掛けると、2人共、直ぐに快諾してくれた。

そして、バンコクで3人が揃って、マグロ料理をつくることになった。

とりあえず、私が日本に帰国して、成田空港で待ち合わせをして、いざ、バンコクへ出発!でも、その時、SARSの流行もあって、本当に成田まで来てくれるのか、とっても不安だった・・・







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