電脳アニメパス

アニメ及び周辺文化に関する雑感

『カリ城』のルパンには動機が無いか?

2005年01月13日 | アニメ
 『〈美少女〉の現代史』(ササキバラ・ゴウ著、講談社現代新書)という本を読んでみました。本の中身は別に目新しいところも無かったのだけど、気になった点が……

 美少女キャラのはしりとしてクラリスが挙げられているのは良いのですが、それに絡んでこの本では映画『カリオストロの城』について、唐沢俊一の指摘を引いてルパンの行動に動機が無いということが書かれています。これについては『BSアニメ夜話』でも唐沢俊一本人がが同じことを言ってたのですが……果たしてそうなんでしょうか?
 この本ではそれを恋愛に求めて、ルパンの動機をクラリスへの恋愛だとしているんですが、どうもコジツケのように感じてしまいます。まぁ、クラリスから見た場合、ルパンに対して淡い憧れのような恋愛感情はあっただろうと思いますが、ルパンの方がそうだとは強引過ぎる気が……。本当にルパンがクラリスを恋愛感情で見ていたのなら、あの映画のラストは(例えクラリスと別れる結果になっても)ああいうラストにはならなかったと思うのです。確かに、極めて恋愛に近い場所にはいるのですが……
(これは詰るところ、「萌え」を色恋の感情と同一と見なすかどうかというのと似た話だと思いますが、ここでは追求しません。あしながおじさんが必ずしも恋人として身近にいなければいけないなんて決まりは、この世界には無いのですから)

 なぜ、ルパンの動機がわからなくなるかというと、それはこの映画をクラリスを中心に見てしまうからでしょう。映画の目的をカリオストロ伯爵の魔の手からクラリスを救い出すことだと見るから、ルパンの目的は恋愛感情だと思ってしまうし、なぜルパンがカリオストロ公国にやってきたのかが意味不明になってしまうのではないでしょうか。
 早い話、この映画におけるクラリスの存在があまりに大きく取り上げられるようになってしまった結果、すべてをクラリスに結び付けなければ理解出来ないように(唐沢俊一のような批評家さえ)洗脳されてしまってるんじゃないのかと思います。恐るべきは宮崎美少女の魔力だということです。

 もし、この映画からクラリスを抜き取ってみたら、話は単純になります。どこかの国の国営カジノから現金を奪ってきたルパンだけど、よく見たらそれはゴード札と呼ばれる贋札。ルパンは駆け出しの頃にゴート札をめぐって失敗した時の無念を晴らしに、再びカリオストロ公国に向かった……というお話ではないでしょうか。
 要するに、ルパンの目的は駆け出しの頃に屈辱感を味わわされたカリオストロ公国に対する復讐だったわけです。
 しかし、クラリスと再会することでルパンの目的は変わります。カリオストロ公国(の権力者である伯爵)に対する復讐という構図は変わらないけど、単にゴート札の原版を盗んだり、ゴート札の秘密を暴くという当初の目的(だったであろうこと)とは一転し、クラリスを手に入れることで伯爵が成し遂げようとしている陰謀を阻止するということに変わってしまったのです。状況によって目的や動機が変わるなんてこと、人生にはよくある話ではないでしょうか。
 そこで、本来ルパンの目的であったゴート札の原版を盗んだり、ゴート札の秘密を暴くということは、それぞれ峰不二子と銭形警部に代行されることになったというのがこの映画です。
 世の中には物語の主人公には何か一貫した目的が無ければいけないって思い込んでる人がいるみたいだけど、そんな保証はどこにもありません。ルパンの目的の変化というのは、むしろ銭形警部が素直に引き写しています。当初はルパン逮捕が目的だった銭形ですが、途中でゴート札の秘密を暴くことに目的が変わっています。銭形の件は明確に描かれ、観客にも理解されてるわけですが、ルパンにも同じことが起こってるだけの話ではないでしょうか。
 しかし、ここで間違えてはいけないのは、ルパンも銭形もけっして自らの行動理念が変わってしまったことではないのです。銭型の行動理念は「法の下の正義」であるし、ルパンのこの作品での行動理念は「ゴート札(=カリオストロ伯爵)」への復讐なのです。
 率直に言うなら、ルパンはクラリスに恋愛感情を抱いているどころか、自分の復讐の道具として利用してるという酷い話なんだけど、それをそう感じさせないのはルパンの巧妙な演技と宮崎駿の演出によるところでしょう。観客はクラリスと同じレベルでルパン(と宮崎駿)に騙されてるということです。
 もっとも、これは逆にクラリスが伯爵の魔の手から逃れるためにルパンを利用したという解釈もありえるわけですが。

 いずれにせよ、この映画ではルパンがクラリスと出会ってから別れるまで、すべてが魔法がかかってしまったような形になっています。だからこそ、捕らわれのお姫様を助ける王子様という役割をルパンが果たすことにも違和感が無いのですが……魔法が解けた後は現実に戻るだけなのです。
 だからこそ、最後、現実に戻ったルパンは本来の目的であったゴート札の原版に執着を見せるようになってる光景が描かれているのでしょう。
 まぁ、『BSアニメ夜話』で触れられてたように、冒頭で国営カジノから奪ったゴート札を捨ててるのに、最後に原版を欲しがったのは一貫性が無いって見えないことも無いのですが……冒頭で贋札を捨てたのは、ルパンが屈辱感を味わってたからそれが金銭欲に打ち勝ってたんだけど、ラストは復讐も終えてわだかまりも無くなった後だから単純に金銭欲が支配して来たってところだと思います。
 国営カジノで現金を盗んだと思ったらゴート札だったというのと、ゴート札が目的で原版を手に入れるというのとでは、泥棒としてのプライドに関わる大きな違いがあるってことです。この辺はプライドよりも物欲に支配される人には絶対に理解出来ないことでしょうけど。