毎朝の日課は先ず仏前で開経喝を唱え、続いて般若心経を読経することである。勿論お経本を見ないで経文を一言一句間違えることなく声明する。これが不思議なことに毎日読経を続けていると自然に口をついてでてくるから不思議だ。
昔の武士や商家の教育法は幼児に論語を暗証させることであった。これは経験に照らしていうと理にかなった教育法であったと思う。
般若心経を暗証できるように覚えてみようという気になったのは、もうかれこれ20年程前のことである。覚え込むまでは時間がかかったが、一旦覚えてしまうと不思議なことに努力しないでも般若心経の文句が自然と口をついてでてくるから不思議だ。人の脳の持つ不可思議な能力である。
今法華経を覚えようと毎日トライしている。一遍に覚えよう等と欲張らないで自然体でやっている。お経本は五言が四つ並んで次々に行をなして続いている。
一行宛毎日覚えていくことにしている。夜等寝床に入って最初から覚えたところまで読経してみるのである。間違いは必ずあるが懲りずにやり直して声を上げていると何時の間にか口をついてでてくるようになる。般若心経に比べて法華経は文句が多くて覚えるのには大変だが着実に五言四列の経文が頭脳に刻み込まれていく。老化防止のための脳の活性化のためにはよいトレーニングである。
昔の武士や商家の教育法は幼児に論語を暗証させることであった。これは経験に照らしていうと理にかなった教育法であったと思う。
般若心経を暗証できるように覚えてみようという気になったのは、もうかれこれ20年程前のことである。覚え込むまでは時間がかかったが、一旦覚えてしまうと不思議なことに努力しないでも般若心経の文句が自然と口をついてでてくるから不思議だ。人の脳の持つ不可思議な能力である。
今法華経を覚えようと毎日トライしている。一遍に覚えよう等と欲張らないで自然体でやっている。お経本は五言が四つ並んで次々に行をなして続いている。
一行宛毎日覚えていくことにしている。夜等寝床に入って最初から覚えたところまで読経してみるのである。間違いは必ずあるが懲りずにやり直して声を上げていると何時の間にか口をついてでてくるようになる。般若心経に比べて法華経は文句が多くて覚えるのには大変だが着実に五言四列の経文が頭脳に刻み込まれていく。老化防止のための脳の活性化のためにはよいトレーニングである。