関西バンザイ!というサイトを覗いて懐かしく思い出した食べ物の想い出がある。
岡山の高校卒業後、京都の大学へ入学し宇治市の分校近くの学生寮に入寮したのは昭和33年のことであった。当時は大東亜戦争の後遺症がまだ残っていて父親を戦地で亡くし苦学している友人とか戦後の混乱に乗じて一旗挙げようとして失敗し零落した旧地主の息子とか毛色の変わった友人等もいた。何れも貧乏な学生達であった。
受験勉強で衰えた体力を強化しようと相談し寮友3人で、毎日宇治の平等院までジョッギングをすることにした。
初日のことである。ジョッギングでいい汗をかいた後空腹を覚えた。
平等院の前に屋台があってたこ焼きを売っていた。たこ焼きを食べようということになり財布をめいめいが調べたが合わせて6円しかなかった。持ち金を見せてこれで食べられる数のたこ焼きを欲しいというと屋台の親父が6個だけ折りに入れてくれた。焼きたての6個のたこ焼きを一人二個宛分け合って食べたのである。この時のたこ焼きの味は終生忘れることのできない関西の味となって脳裏に深くインプットされた。
当時の物価は生協の学生食堂で米飯一杯10円、味噌汁1椀3円で供されていた。
京都で学生時代の4年間を過ごしたので知識は豊富だと自惚れていたが「関西魂検定」に挑戦してみるとまだまだ判らないことが多いのに驚いた。「芸人ジエネレーター」に入門し名刺を作ってみるのも愉快で面白い時間の過ご方である。
岡山の高校卒業後、京都の大学へ入学し宇治市の分校近くの学生寮に入寮したのは昭和33年のことであった。当時は大東亜戦争の後遺症がまだ残っていて父親を戦地で亡くし苦学している友人とか戦後の混乱に乗じて一旗挙げようとして失敗し零落した旧地主の息子とか毛色の変わった友人等もいた。何れも貧乏な学生達であった。
受験勉強で衰えた体力を強化しようと相談し寮友3人で、毎日宇治の平等院までジョッギングをすることにした。
初日のことである。ジョッギングでいい汗をかいた後空腹を覚えた。
平等院の前に屋台があってたこ焼きを売っていた。たこ焼きを食べようということになり財布をめいめいが調べたが合わせて6円しかなかった。持ち金を見せてこれで食べられる数のたこ焼きを欲しいというと屋台の親父が6個だけ折りに入れてくれた。焼きたての6個のたこ焼きを一人二個宛分け合って食べたのである。この時のたこ焼きの味は終生忘れることのできない関西の味となって脳裏に深くインプットされた。
当時の物価は生協の学生食堂で米飯一杯10円、味噌汁1椀3円で供されていた。
京都で学生時代の4年間を過ごしたので知識は豊富だと自惚れていたが「関西魂検定」に挑戦してみるとまだまだ判らないことが多いのに驚いた。「芸人ジエネレーター」に入門し名刺を作ってみるのも愉快で面白い時間の過ご方である。
俺自身まだ始めたばかりだけど、気がつきゃすでに27万と3千円www
変な物とか、買わされるわけでも無いし、このペースだとマジで俺の月収も300超えするかもwwhttp://abaoa.net/ym/497