前潟都窪の徒然草

折々の社会現象に対する所感、随筆、アフリエイト

日蓮宗不受不施派日題派の供養塔

2009-08-31 15:27:41 | ニュース雑感
妹の四十九日の法要に出席するため岡山市加茂へ行った。
法要は不受不施派日題派のしきたりにより営まれた。加茂の集落には江戸時代にキリスト教とともに禁教とされた日蓮宗不受不施派日題派の信徒達が今なお信仰を守って活動している。

この宗派の葬儀には僧侶は出席しないで信徒の中から導師を選出して執り行われ戒名はつけず俗名で墓碑を作るという慣例になっている。従って四十九日の法要も非僧侶である信徒の導師の指揮により営まれた。

この不受不施派日題派の説明は供養塔が建設された時の新聞切り抜きに詳しく紹介されている。






ヨセミテフォール

2009-08-29 05:46:20 | 海外旅行
アメリカは規模の大きな国であることが今更のように実感できる。グランドキャニオンを飛行機の上から見学したり、砂漠に作り上げた歓楽街ラスベガスの不夜城に驚いたりした旅はヨセミテ国立公園の見学で終わった。当時の旅日記を繙いてみたら以下のように記述していた。


ヨセミテとはインディアン語で灰色熊という意味である。ここには年間300万人が観光に訪れるそうだ。樹齢2000年のセコニアの木が枯れるので電気自動車での観光を検討中であるという。

広大な公園の山中を走行中、山火事にあった一角を通り過ぎた。相当広範囲に焼け焦げた立木が並んでいた。この山火事の時には延焼防止対策だけで消火活動は一切せず、自然鎮火に任せたという。いかにも広大な国土を保有しているアメリカならではのおおらかな発想だと感心した。

切り立った断崖エルキャプテン、ハーフードームや女性的な滝ブライダルフォール、雄大かつ豪快な滝ヨセミテフォール等を見学。コヨーテを見ることもできた。高原のせいかとても涼しく空気が爽やかである。それに木々が芽を一斉に吹き出し緑が濃淡さまざまに色鮮やかであった。

ブライダルフォール
ヨセミテフォール






ブリクスダール氷河とジョスフォッセンの滝

2009-08-28 09:04:30 | 海外旅行
ノルーウエーでフィヨルドのクルージングをした時は北の最果ての地へはるばる来たものだとの思いに捕らわれた。
周囲の山々は氷河に削られて荒々しい山肌を見せている。その山肌にへばりつくように民家が只一軒建っているのを望見すると人間の意志と営為の逞しさを感じる。

氷河の水が溶けて作り出したジョスフォッセンの滝を見学した時の印象は以下のように綴っている。



ホテルから目と鼻の先の船着場から朝早く観光船に乗り込んでヘルシルト村まで約1時間のフィヨルドクルージングを楽しんだ。

スタート時は山間の朝なので日の光も乏しく何となく薄暗い感じの光景であったが船が進む程に太陽も山の上へ顔を出し、水面を碧翠色に変えていく。

切り立った崖の岩肌を洗うように流れ落ちる滝も幾条か目にはいる。

そうこうしているうちに切り立った断崖絶壁の僅かな空間にへばりつくようにして民家が一戸建っているのが目に入った。
ここで農業を営んでいるのだという。よくもこんな厳しい環境条件のもとで生活できるものだと人間の営為の素晴らしさを知る思いである。

次々に変わっていく景色に見とれているうちにあっという間に一時間のクルージングは終わってしまった。

ヘルシルト村から再びバスに乗りブリクスダール村までやってきた。氷河を見学するためである。

ブリクスダールからはフィヨルドポニーの曳く馬車に乗って登り道を約15分間走行すると、氷の巨大な固まりが山になっている所へ到着した。

ブリクスダール氷河の河口である。河口へ至るまでの道の周囲には樹木や草も青々と繁っている。そして氷河から溶けて流れる川が近くには白い飛沫を上げながら流れている。段差のある箇所ではこれが滝となってその雄姿を誇らしげに顕示して水しぶきを雨の如くふりまいている。

氷河の河口には山頂から流れてきた氷塊が5~6メートルもの高さでうすら青い色を帯びて白色の天然の造形美を見せながら堆積している。一見テープがカールしたかの如き断面を見せているところもある。

我々が見学したブリクスダールの氷河はこの時期には活動しておらず、静止した状態で氷塊となっている河口を見学することができた。ブリクスダール氷河は海抜436メートルのところにある長さ100キロメートル厚さ100メートルにも及ぶヨステルダール渓谷の氷河から流れてきた支流である。



この町で二時間近く時間待ちをしてからミュルダール経由オスロ行きの電車に乗った。車両の横幅が多少広いのか座席は横に五人腰掛けられるようになっている。列車には三つの大きな団体客が競合したが全て日本人であった。

車窓には白樺、から松、樅などの木立が続いていて、時々岩肌を滑るように流れ落ちる滝を散見できる。

また線路に迫っている岩山には岩石の崩落の跡が認められその下には明らかに崩落したと思われる岩石が堆積している。

屋根に草を生やした平屋の木造建築もちらほらと見え隠れする。
トンネルを幾つか通り抜けると途中Kジョスフォッセンの滝の見える所では停車して乗客に写真撮影の時間を与えてくれる。

駅ではないがプラットフォームが設けられていて下車撮影が可能なのである。
乗り継ぎ駅のミュールダールでは再び時間待ちをしてボス行きの電車に乗った。

フィヨルドクルージング
ブリクスダール氷河
ジョスフォッセンの滝






トムソンフォール

2009-08-27 08:46:16 | 海外旅行
ケニアへ野生動物を見に行ってから既に約10年が経過した。野生動物の生態を観察しながら草原を四輪駆動の車で駆け巡った頃が懐かしい。
トムソンフォールを見学した時、執拗に民芸品を買って欲しいと迫ってきた赤い衣服を纏った若い女性の逞しい商魂を思い出した。




 結局このロッジで観察した動物は象、ブッシュバック、バッファロー、ぶちハイエナ、犀、狒(バブーン)、いぼ猪、ジャッカル等である。


 七時五十分に出発して途中ニャフルルのトムソンフォールを見学した。あまり大きな滝とは思えなかったが東アフリカでは最大で中央アフリカではビクトリヤフォールズに次いで二番目の大きさであるという。

 ここでは、全身に真っ赤な衣装を纏った女が馴れ馴れしげに話しかけてきて、石彫りの動物像を売りつけようとつき纏うので閉口した。一般にアフリカの売り子達は客の気持ちを考えないで、ただひたすら強引に売りつけようとするから敬遠されて、客は終には品物を見ようともしなくなるということ等は意に介さない。つかず離れずという売り子とお客の間に発生すべき心理的な関係の機微にまでは考えが及ばないようである。

トムソンフォール






ヴイクトリアの滝

2009-08-26 05:38:41 | 海外旅行
  少年時代にリビングストン探検記を夢中で読んだ記憶がある。当時は終戦間もないこともあって、日本人が外国へ観光旅行するなどとは思いもよらぬ時代であった。
 憧れの探検家リビングストンの足跡が残るヴイクトリアの滝の畔に立っている自分を思い感無量であった。ヴイクトリアの滝の見聞記は以下のように綴られていた。
 

 時間がきてヴイクトリアの滝を見学に出かけた。ここの滝は対岸の道路から眺めるロケーションになっており、見晴らしのよい所に何カ所も観瀑台が設けられているが滝壺の近くまで船で出かけて観察するという仕掛けはなかった。船を浮かべるような池そのものが形成されておらず流れの早い川が谷底深いところに流れているだけなので無理からぬ話である。滝は専ら対岸の通路から眺めるしかない。

 この滝のある川はザンベジ川でアンゴラの奥地に水源を発っし、ザンビア西部を縦断してから、ジンバブエとザンビアの国境線を形成して、その後モザンビーク海峡、インド洋へと注いでいる。滝の最大幅はおよそ1700mあり最大落差は108 mである。
ヴィューポイントは、デビルズ・キャタラクト、メイン・フォールズ、ホースシュー・フォールズ、レインボー・キャタラクト、アームチェァー・フォールズ、イースタン・キャタラクトの6個のパートに分かれている。

 これらのヴィューポイントの観瀑台はそれぞれ光景の異なった滝が観察出来るように設置されている。端から順番に約2時間かけて滝を見物しながら歩いた。今は乾期にあたり滝の水量が少なく岩肌を露出している個所もあったし、滝自体が幾条もの流れに分かれて落下していた。 

 リビングストンが木の刳り抜き舟で渡ったというリビングストンアイランドは鬱蒼とした木々に覆われていてその横を滝が流れ落ちていた。

ヴイクトリアの滝No1
ヴイクトリアの滝No2
ヴイクトリアの滝No3
ヴイクトリアの滝No4






ナイヤガラの滝

2009-08-25 06:31:14 | 海外旅行
ナイヤガラの滝は世界に冠たる観光の名所である。観賞の仕方は幾通りもあるようだが四つの方法で絶景を堪能した。観瀑の感想は当時の旅日記に次の如く記述している。
 
カナダの東部を流れるセントローレンス川沿いに開けたナイアガラ・フォールズからケベック・シティに至る全長約800kmに及ぶメープル街道はカナダ随一のゴールデンルートである。この道はヘリテージ・ハイウエイ(伝承の道)としても親しまれている。今回訪問した街はナイヤガラ・フォールズ,トロント,オタワ、モントリオール、ローレンシャン高原、ケベックであったが、何れも今日のカナダを代表する諸都市でイギリスとフランスの両文化が巧みに溶け合い或いはその個性を主張しあっていた。折から錦繍のメープル街道を訪ねる旅はナイヤガラの滝から始まった。

この滝はエリー湖からオンタリオ湖へ流れるナイアガラ川中流地点にあり,アメリカとカナダの国境付近に位置していて大自然の驚異を目のあたりに見せつけてくれる。滝はゴート島によって二分されており上流に向かって右側の馬蹄形のものがカナダ滝で幅675m落差54m。左側がアメリカ滝で幅260m、落差51mである。一分間の流水量はカナダ滝で1億5,500tもあり、これは東京都で使用する一日分の水量に匹敵するというからその規模の巨大さが判る。ナイヤガラ川に沿って自動車道路が走っており地の利が便利であることから世界有数の観光スポットとして知られ毎年1,400万人もの観光客が押し寄せる。
 
 この滝を四通りの方法で心ゆくまで観察した。第一番目の方法はごく普通に滝の正面の広場に立って、紺碧の河の流れが瞬時に純白の滝に変わるその雄姿を眺めることである。

 第二にはテーブルロックという場所に立って滝の落ちゆくありさまを横から見ることである。

 第三には霧の乙女号という観瀑船に乗って滝壺近まで近寄って下から滝を見上げることである。

第四には高さ236mのスカイロンタワーに登って滝を上から見下ろすことである。どの方法で見ても視点が変わってまた新しい発見があった。

 しかし何といっても最もスリリングなのは滝壺まで近寄って轟音を聞きながら滝の飛沫を全身に浴びて目の前に見た膨大な水量の落ちゆく様であった。折から太陽の光を受けて立ちのぼる虹には自然の神秘を感じたものである。

 滝の様々な態様を観察し十分堪能してから滝から5km離れたワールプールを見に行った。これはナイヤガラ川が東へ70度流れの向きを変える地点で出来る渦巻きである。ここにはワールプールを鑑賞するためにスパニッシュ・エアロカーと呼ばれるゴンドラが渦の上をゆらゆらと横断している。滝のある地域の道路沿いにはあちこちに「BB」という看板を出した民家が見られた。朝食付きの民宿なのである。一泊3,000円ということであった。




ナイヤガラの滝=地上の観瀑台から
ナイヤガラの滝=船上からNo1 
ナイヤガラの滝=船上からNo2 
ナイヤガラの滝=高い観瀑塔から





イグアスの滝のビデオクリップ

2009-08-24 13:51:18 | 海外旅行
ビデオテープに収録した民族舞踊は全てアップした。この作業をしていて思いついたことがある。写真を見ただけでは臨場感の味わえない光景のことて゜ある。滝等その例の一つであろう。

そこで過去の旅を回顧してみるつもりでイグアスの滝、ナイヤガラの滝、ヴィクトリアの滝をビデオクリップにしてアップしてみることにした。その規模において世界最大の滝といわれるイグアスの滝の見聞記は以下のように記述していた。


 11時20分にロビーへ集合してから空港へ向かいイグアスへ飛んだ。13時26分離陸、14時00分着地、15時、迎えのバスでイグアスの滝へ向かう。ガイドは斉藤さんという男の人で旅行社を営んでいる社長らしい。

 滝はアルゼンチン側から見るのであるが、滝壺へ流れ込んでいく様を観察することになる。こちら側からの落差はあまり大きなところまでは見られないが、水量といい流れの数といい規模の大きさに圧倒される。滝の幅は4kmに及び滝の数は300もある。

 生憎の雨で滝を見る前から合羽を着用している。合羽のずぼんを当初着用しなかったので下半身はずぶ濡れで寒くなってきた。慌ててずぼんをはいたが遅すぎた。4~5年前の大洪水で観瀑橋の大部分が流されたので、舟に乗って残っている橋脚まで運んで貰う。その後、流されずに残った橋を歩いて「悪魔の喉笛」と呼ばれる箇所を見学に歩いていく。飛沫が飛んで激しく水煙が上がっているので、合羽で身を固めていても先刻下半身が濡れていたため全身ずぶ濡れである。ビデオカメラを濡らすまいとビニール袋に入れているのだが、どうしても濡れてしまう。

  イグアスの 飛沫千丈 夏涼し

  大地割れ 悪魔の雄叫び 夏涼し
                  
  夏の雨  足元かばい 滝を見る

 このあとイタイプー湖から放流されて流れてくるパラナ川とイグアスの滝、を経て流れてきたイグワス川の合流する地点が三国の国境になっていて、それぞれの国境点に標識が建っている。ブラジル、パラガイ、アルゼンチンの国境である。この国境をアルゼンチン側から見学したのちカリマンホテルへチェックインした。



     
イグアスの滝No1
イグアスの滝No2
イグアスの滝No3
イグアスの滝No5
イグアスの滝No6





カナダ・ケベックの仮装行列

2009-08-23 08:53:46 | 海外旅行
アメリカ語圏内でフランス語が飛び交うケベックを散策していて仮装行列に出くわした。
ケベック市内の模様を当時の旅日記から抜き書きすると以下の通りである。

ケベック州の州都ケベックシティは、フランスの植民地拠点として建設された。カナダでもっとも歴史のある町で古くからイギリスとフランスの植民地支配争奪の的となり戦いが繰り返されたところである。イギリス支配下を経た現在も住民の85%以上がフランス系カナダ人というフランス文化圏である。当然に公用語はフランス語で看板の文字も全てフランス語である。ケベック市は1985年に世界文化遺産に指定された町で18世紀の歴史をそのまま閉じ込めたような町である。

旧市街でセントローレンス川を見下ろす位置に建っているお城のような建物シャトーフロントナックはケベックのランドマークであり、フランスのシャンポール城を模して作られた重厚なホテルである。また高台にある星型の要塞シタデルの前面には総督の散歩道と称される遊歩道が設けられておりセントローレンス川の風光をめでながらそぞろ歩きをするのに相応しい場所である。すぐ近くのダルム広場では大道芸人がパフォーマンスを繰り広げており沢山の観光客が群がって楽しそうに眺めている。

カナダ・ケベックの仮装行列
カナダ・ケベックの大道芸人








今年のお盆には自宅近くの川で漕友達とポートを漕いでいた。

2009-08-22 16:57:34 | 暮らしを楽しむ
今年のお盆には自宅近くの川で漕友達とポートを漕いでいた。
齢古稀にもなると時間はふんだんにある。人の移動で混み合う道路や交通機関を利用して故郷へ難行苦行の帰省をすることもない。

夏休み前、人の混まない時期に日帰り帰省して墓参りだけは済ませている。
両親は鬼籍に入っているので親類縁者宅を訪問したり宿泊する必要もないからである。

生涯スポーツのボートで体力維持の努力を継続し、子孫に迷惑のかからないピンピンコロリの終焉を願っている。







ゴルフと焼き肉パーティーで生命の洗濯@軽井沢

2009-08-22 16:08:10 | 暮らしを楽しむ
中軽井沢カントリークラブでゴルフを楽しんだ。
学生時代の友人六人が社会人になって5年程経った頃4年間の寮生活を共に過ごした仲間が集まって久闊を叙したのが始まりで六友会が誕生した。年に一回夏、ゴルフを軽井沢でするのが恒例である。弁護士のU氏の別荘へ夫婦連れで押しかけ男はゴルフ、女は観光やショッピングを共にし旧交を温めている。

筆者は単身で長野新幹線を利用して参加した。信濃電鉄の追分駅で馴染みのタクシーに電話をすれば迎えにきてくれて別荘まで連れていって貰える。今年も例年通り追分駅で電話しようとしている所へ客を送ってきたタクシーがある。客が降りて空車となったのでこれ幸便とばかり乗り込んだ。

ところが運転手氏が地元の人でないため、番地を告げただけでは判らないという。近くまでいけば判ると思い鴎友学園寮を目標にして欲しいと言うと運転手氏はあちこちで道を尋ねて連れて行ってくれた。鴎友学園寮までたどり着き運転手氏を返したのはいいが肝心のU氏の別荘がなかなか見つからない。携帯電話で二回も道順を聞いたがたどり着けない。元の鴎友学園寮まで迎えに来て貰うはめになってしまった。結果的には二回もU氏宅の前を素通りしていた。

集合時間までには全員揃い庭で焼き肉、焼き魚・焼き帆立て、焼き野菜を楽しんだ。翌日は星野温泉でゴルフ組と観光組が待ち合わせて、村民食堂で夕食を共に楽しみ今年の生命の洗濯は終了した。