今日、セックスレスで有名な「レモンティの香り」のサイトの管理人さんから
コメントを頂戴した。
驚きと懐かしさで胸がいっぱいになった。
私は、この「レモンティの香り」の「離婚の掲示板」に2年前の秋~去年の春まで
入り浸っていた。
もともとここへは、まだ私がモラハラを知らないころ、
夫との不仲が原因で、「離婚の掲示板」を検索していて、偶然めぐり会えたサイトである。
主に自分が、セックスレス及び離婚について悩み相談をしていたが、
そのうちに悩み苦しむ方にコメントすることの方が多くなった。
相談に来られた方の中で話しがモラくさいと思うと
「それはモラですよ」と説法してまわってもいた。
非常に来訪数の多いサイトなので(それほどセックスレスの人が多いということだと思う)
もともと「離婚」部屋の常連だった「みな」というリアルな人間が、別居を決意し、
DVで顔面骨折をし、あげくに脱出を目の当たりにするという、
皆さんにとってはすごくショッキングな、ドラマの世界のようなものを
刻一刻リアルタイムに見ていただいていた。
心優しい方の多いサイトで、そもそもそこで恩人のSさんとも出会ったのだけれど
多くの方が私の脱出を心から心配して下さっていた。
また、当時レモンティのサイトで出会った「DVによる離婚経験者」のNさんとは
家がかろうじて同じ圏内であることもあり直接お目にかかった。
というか、その方はわざわざ遠方から私のために、交通費を払って出てきてくださった。
「あなたは今危機的状態にいるのよ。」
「そういう男は治らないし、絶対に離れた方がいいのよ。」
「離婚は大変だと思うけど、頑張って」
直接お目にかかって、彼女のDV経験と離婚敬虔を聞くことが出来、
本当に参考になった。
私は「あの・・・どうしてわざわざ出てきてくださったのですか」と聞いた。
すると、「あのね、私も離婚のときすごく沢山の人にお世話になったの。
経験者が語るってすごいことでしょう?それを知っているから、あなたに会いたいと思ったの。」
涙である。その方には本当に感謝している。
いつか私も、暴力やモラハラで苦しむ方のために、動ける人間になりたいと思っている。
それが、Nさんへの恩返しになるのだろうと思う。
Nさん、どうしていますか?どこにいても幸せを祈っています。
モラ夫とのセックスは、酷いものだった。
極めて暴力的であるか、マグロ状態(夫が)であった。
まず彼は結婚して一度も「Tシャツ」を脱いでセックスをしたことがない。
いつもシャツを脱がないから、私は彼の胸板に触れたことがない。
直接触れられるのが嫌だかららしい。だからいつも下だけ脱いでという形だった。
少ないセックスの回数で子供が出来たのは、彼は避妊をしない人間だからである。
彼はどんな場合でも、一度として、避妊に応じたことはない。
産後、すぐ妊娠したら困るときでも、
流産後、もし妊娠したらまた流産すると医師からクギをさされていても、
いくら嘆願しても、避妊はしてくれなかった。
それでも許していたのは、彼と触れられる少ない瞬間だったからと、
言う事を聞かないと怖いと思う気持ちがあったからだと思う。
愛して・・・いたし。夫と幸せになりたいと願っていたし。
娘が2歳になったころから、レスに突入した。
私は夫を受け入れられないし、怖いと思うようになっていた。
でもたびたび心の底から、もしかしたら戻ってきてくれるかもという
切ない期待が湧き上がってきては、いつもうち消されていた。
夫は前もって「予定日」を決めたがった。
それは決まって、日曜の夜だった。
平日だと激務の後だから、そんなことをしたら死んでしまうからというのが理由だった。
夫は、今日だというのに、そういう日に限ってふとんに入ってこない。
たいていが、3時前後の開始である。
12時ごろからふとんで待っている私は、なぜ来ないのかと文句を言うが
テレビゲームをしたり、F1を見たり、新聞を読んだりわざとだらだらして
一向に来ない。
3時になってようやくふとんに来たころには、
私はひと寝入りしたあとだったりする。
嬉しくもなんともない。
やっと始まるのかと思うと、「今から15分仮眠する」と言って
さらに15分私に待たせるようにしていたようだ。
15分待たせて、というかもう夜明け近くである。その頃にようやく
「パッとやってパッと寝るからな」と必ず宣言した。
行為は大抵が毎回全く同じ時間配分と同じパターンで行われ、
適当に私の体を触った後に、上に乗らされた。
上に乗って夫の顔を見ると、いつも夫は目を閉じていた。
気持ちよくてそうしているのではなく、寝ていた。
寝ているのだから一切リアクションのない男にまたがって、
私は何をしているのだろう?と冷める。
本当に、冷める。
悲しくて涙が出てくるが、彼は知らない。
動きを止めると、動くように促され、それは結構延々とやらされた。
なぜ従っていたのか今となってはわからないが、とにかく私はずっとその時間を耐えた。
1時間ぐらいしてようやく夫が果てへとへとになって私は、ふとんに横たわる。
夫は必ず「あ~汚れた」とティッシュでふきながら
必ず、「もう1年ぐらいはせえへんからな」と上から見下ろしたような目つきで言った。
どうして、彼はそんなことを毎回言わなければならなかったのだろう。
そしてタバコを吸いに寝室から出た。
私は一人ふとんで、こみあげる悲しさと寂しさと戦っていた。
男はみなそうなのかも知れないが、絶対にその後というのは
夫は私と思い切り距離をとって眠るようにしていた。
「十分接触したので、すこし触れられるのも嫌だから」
「人の気配がするだけでうっとおしいから」
と思い切りふとんの隅へ押しやられることもあった。
だから、優しくうでまくらをしてもらうことなどなかった。
どうして、私は、
こんな扱いを受けなければならないのだろう。
いつも、そう思っていた。
彼との時間の中で、よかった思い出を探すのは大変難しい。
だけど間違いなくセックスの時間は、悪いことしか思い出せない。
避妊をしないのは性的暴力だと、こちらに出てきた頃知った。
「望まない妊娠の強要」「避妊に協力しない」のは性的暴力にあたるらしい。
夫との数少ないスキンシップで、幸せを感じたことも皆無だ。
心が繋がっていないから、体だけつなげても虚しいだけだからだろう。
夫はこの家での離婚の話し合いの最中に、自殺すると言い包丁を持ち出し
「お前を殺して俺も死ぬ。」と言った。子供達がいるのにと私が言うと
「じゃ一家心中しよう。皆で死のう。」と言った。
そのまま私を無理矢理抱いた。レイプである。
その時も、ヤツは避妊をしなかった。
私はそのとき、心が壊れる音を聞いた。
私は誰かに、ここまで酷く扱われたことがない。
母ですら、もう少しマシだった。少なくとも性的には安全だった。
夫との生活それは、「お前は大切にするに値しない人物だ」
「だから俺はあらゆる方法でお前を粗末にする」と
繰り返し繰り返し確認し認識させられ続けられたような、そんな生活だった。
コメントを頂戴した。
驚きと懐かしさで胸がいっぱいになった。
私は、この「レモンティの香り」の「離婚の掲示板」に2年前の秋~去年の春まで
入り浸っていた。
もともとここへは、まだ私がモラハラを知らないころ、
夫との不仲が原因で、「離婚の掲示板」を検索していて、偶然めぐり会えたサイトである。
主に自分が、セックスレス及び離婚について悩み相談をしていたが、
そのうちに悩み苦しむ方にコメントすることの方が多くなった。
相談に来られた方の中で話しがモラくさいと思うと
「それはモラですよ」と説法してまわってもいた。
非常に来訪数の多いサイトなので(それほどセックスレスの人が多いということだと思う)
もともと「離婚」部屋の常連だった「みな」というリアルな人間が、別居を決意し、
DVで顔面骨折をし、あげくに脱出を目の当たりにするという、
皆さんにとってはすごくショッキングな、ドラマの世界のようなものを
刻一刻リアルタイムに見ていただいていた。
心優しい方の多いサイトで、そもそもそこで恩人のSさんとも出会ったのだけれど
多くの方が私の脱出を心から心配して下さっていた。
また、当時レモンティのサイトで出会った「DVによる離婚経験者」のNさんとは
家がかろうじて同じ圏内であることもあり直接お目にかかった。
というか、その方はわざわざ遠方から私のために、交通費を払って出てきてくださった。
「あなたは今危機的状態にいるのよ。」
「そういう男は治らないし、絶対に離れた方がいいのよ。」
「離婚は大変だと思うけど、頑張って」
直接お目にかかって、彼女のDV経験と離婚敬虔を聞くことが出来、
本当に参考になった。
私は「あの・・・どうしてわざわざ出てきてくださったのですか」と聞いた。
すると、「あのね、私も離婚のときすごく沢山の人にお世話になったの。
経験者が語るってすごいことでしょう?それを知っているから、あなたに会いたいと思ったの。」
涙である。その方には本当に感謝している。
いつか私も、暴力やモラハラで苦しむ方のために、動ける人間になりたいと思っている。
それが、Nさんへの恩返しになるのだろうと思う。
Nさん、どうしていますか?どこにいても幸せを祈っています。
モラ夫とのセックスは、酷いものだった。
極めて暴力的であるか、マグロ状態(夫が)であった。
まず彼は結婚して一度も「Tシャツ」を脱いでセックスをしたことがない。
いつもシャツを脱がないから、私は彼の胸板に触れたことがない。
直接触れられるのが嫌だかららしい。だからいつも下だけ脱いでという形だった。
少ないセックスの回数で子供が出来たのは、彼は避妊をしない人間だからである。
彼はどんな場合でも、一度として、避妊に応じたことはない。
産後、すぐ妊娠したら困るときでも、
流産後、もし妊娠したらまた流産すると医師からクギをさされていても、
いくら嘆願しても、避妊はしてくれなかった。
それでも許していたのは、彼と触れられる少ない瞬間だったからと、
言う事を聞かないと怖いと思う気持ちがあったからだと思う。
愛して・・・いたし。夫と幸せになりたいと願っていたし。
娘が2歳になったころから、レスに突入した。
私は夫を受け入れられないし、怖いと思うようになっていた。
でもたびたび心の底から、もしかしたら戻ってきてくれるかもという
切ない期待が湧き上がってきては、いつもうち消されていた。
夫は前もって「予定日」を決めたがった。
それは決まって、日曜の夜だった。
平日だと激務の後だから、そんなことをしたら死んでしまうからというのが理由だった。
夫は、今日だというのに、そういう日に限ってふとんに入ってこない。
たいていが、3時前後の開始である。
12時ごろからふとんで待っている私は、なぜ来ないのかと文句を言うが
テレビゲームをしたり、F1を見たり、新聞を読んだりわざとだらだらして
一向に来ない。
3時になってようやくふとんに来たころには、
私はひと寝入りしたあとだったりする。
嬉しくもなんともない。
やっと始まるのかと思うと、「今から15分仮眠する」と言って
さらに15分私に待たせるようにしていたようだ。
15分待たせて、というかもう夜明け近くである。その頃にようやく
「パッとやってパッと寝るからな」と必ず宣言した。
行為は大抵が毎回全く同じ時間配分と同じパターンで行われ、
適当に私の体を触った後に、上に乗らされた。
上に乗って夫の顔を見ると、いつも夫は目を閉じていた。
気持ちよくてそうしているのではなく、寝ていた。
寝ているのだから一切リアクションのない男にまたがって、
私は何をしているのだろう?と冷める。
本当に、冷める。
悲しくて涙が出てくるが、彼は知らない。
動きを止めると、動くように促され、それは結構延々とやらされた。
なぜ従っていたのか今となってはわからないが、とにかく私はずっとその時間を耐えた。
1時間ぐらいしてようやく夫が果てへとへとになって私は、ふとんに横たわる。
夫は必ず「あ~汚れた」とティッシュでふきながら
必ず、「もう1年ぐらいはせえへんからな」と上から見下ろしたような目つきで言った。
どうして、彼はそんなことを毎回言わなければならなかったのだろう。
そしてタバコを吸いに寝室から出た。
私は一人ふとんで、こみあげる悲しさと寂しさと戦っていた。
男はみなそうなのかも知れないが、絶対にその後というのは
夫は私と思い切り距離をとって眠るようにしていた。
「十分接触したので、すこし触れられるのも嫌だから」
「人の気配がするだけでうっとおしいから」
と思い切りふとんの隅へ押しやられることもあった。
だから、優しくうでまくらをしてもらうことなどなかった。
どうして、私は、
こんな扱いを受けなければならないのだろう。
いつも、そう思っていた。
彼との時間の中で、よかった思い出を探すのは大変難しい。
だけど間違いなくセックスの時間は、悪いことしか思い出せない。
避妊をしないのは性的暴力だと、こちらに出てきた頃知った。
「望まない妊娠の強要」「避妊に協力しない」のは性的暴力にあたるらしい。
夫との数少ないスキンシップで、幸せを感じたことも皆無だ。
心が繋がっていないから、体だけつなげても虚しいだけだからだろう。
夫はこの家での離婚の話し合いの最中に、自殺すると言い包丁を持ち出し
「お前を殺して俺も死ぬ。」と言った。子供達がいるのにと私が言うと
「じゃ一家心中しよう。皆で死のう。」と言った。
そのまま私を無理矢理抱いた。レイプである。
その時も、ヤツは避妊をしなかった。
私はそのとき、心が壊れる音を聞いた。
私は誰かに、ここまで酷く扱われたことがない。
母ですら、もう少しマシだった。少なくとも性的には安全だった。
夫との生活それは、「お前は大切にするに値しない人物だ」
「だから俺はあらゆる方法でお前を粗末にする」と
繰り返し繰り返し確認し認識させられ続けられたような、そんな生活だった。
昨年末に離婚をして、1歳の娘がいます。
最近になってモラルハラスメントという言葉を知り、
いろいろな方の経験談を読めば読むほど、元夫が
『モラ夫』だったのだと思い知らされています。
まっち~さんの文章には、とにかく引き込まれて
自分と重なる部分では涙が止まらなかったり…
あっという間に読ませていただきました。
皆さんのおっしゃるように、強くたくましいし、
そして、暖かくて優しい方だと思いました。
これからもお邪魔させていただきますね。
どうぞよろしくお願いします。
「レモンティ」サイトにて、「みな」さんの、ドラマというにはあまりにリアルで哀しい状況を、リアルタイムで拝見していた者です。
どうか無事であって欲しいな。
幸せになって欲しいな。
「みな」さんの書き込みを拝見していて、そんなことを思っていました。
七夕だったでしょうか。
「みなさんの幸せを祈ります。」と書き込んだ記憶があります。
あれから時は経ち、どうしていらっしゃるかとふと思い出すこともありましたが、偶然にもまっち~さんのサイトを見つけました。
あの頃よりも、お元気ですか?
幸せですか?
まっち~さんが、もっともっと幸せになれますように。
レス付けてもらったことも・・・(笑)
「みな」さん、前向きに頑張っておられるようで何よりです
時には、涙することもあると思いますが「みな」さんは、間違ってませんよ!
私の方も、無事、前進しています
日々、見に来ますね(笑)
初めまして☆
元夫、ということはご離婚済なのですね、
離婚なさった後に「モラルハラスメント」を知る方、多いですよね。
普通、離婚というと祝福されることではないですが
モラハラ夫と離婚というと、「おめでとう」と声を掛け合います。
それほど、モラ夫とは別れにくいものだと思います。
だから、ミュゲさんが「元夫」と呼んでおられること、
うらやましく感じます。
離婚が昨年末なら、ミュゲさんはモラ夫によって傷つけられた心を、
今少しずつ癒そうとしているところなのでしょう。
わたしから、極上の「なでなで」を送りますから
受け取って下さい、それっ!
よければ毎日、送ります(笑)
私も回復半ばです、一緒に頑張っていきましょうね☆
これからもよろしく☆
二児のままさん
うわああああ
七夕の書き込み、覚えています!
私なんかのために、お祈りして下さったこと
本当に嬉しくて涙が出ました。
見ず知らずの私のために星に祈ってくださったこと
あらためてありがとうございました。
はい、あの頃よりも元気です。
はい、あの頃よりずっとずっと、幸せです。
(涙)
本当にありがとうありがとうありがとう。
(思い出し泣き)
クロフトさん
どうしておられるか、ずっと気にしていました!
今ブログの方も訪問してきました、
お幸せそうで、本当に何よりです!
クロフトさんの奥さんもモラハラの被害者でしたよね、
モラハラの被害者でこんな幸せな第二の人生を送っておられる
方がいるのかとため息が出ます。
私も後に続きたい♪
その前に離婚♪
あの頃より私はずっとずっと元気で幸せにやっています。
クロフトさんも、そうみたいですね☆ケタちがいだけど!
これからもよろしくお願いします☆
わたしも覚えております、「七夕」。
ありがとうございました。
「パピィ」ですが、実名は「S」で始まります。
「みな」と「まっち~」。
どこか背筋を張って、張りすぎたような感もあった「みな」に比べて、「まっち~」の柔らかいこと。
「泣き虫まっち~」の涙も、いろんな形で変わってきたように思う。
七夕ではないけれど、
皆様にしあわせが訪れますよう。
今日の「雨」に祈りましょうかねえ。
『壊すことを恐れていませんか?』
私は、この言葉を聞いたとき、いろいろと考えさせられました。自分は何にしがみつき、何を大切にし、何を求めているんだろう。。。
前向きに生きること。とても大切だと思います。
頑張ってくださいね。
「みな」は背筋張りすぎてましたね~
確かに、あの生活の中で、「こうでなければ」みたいな頑なな自分が
権化になって出てきたような女だったような気がします。
レモンティでは、自分も相談していましたが、
相談に乗ることも多かったので
自分の意見を主張できる強さも欲しかったし。
実はなかなか、実社会では、自己主張ができない私なんですよ・・・
トホホな自分と、こうありたい自分が一致して
これでいいじゃん的に開き直ってきてて、
ようやく楽な生き方が見つかった気がします。
レモンティさん
そそそんなえらそうな事申し上げたのですか、私・・・
失礼致しました<(_ _)>
ご無礼お許し下さい。
はい、なんとか前向きに頑張っていきたいと思います。
また、卒業生の行くえを見守っていて下さいね。
ひどい!!!
今日、まっち~さんのblogを読み始めて、言葉にもならない現実に怒りを覚え、思わずコメントしてしまいました。本日2回目のコメントです。(1回目の時は、名前もなしに書き込んでしまいました。)
離婚できておめでとうございます!
そして、ガンバレまっち~さん!
私も同じような目にあってました。みじめで辛かった。
私の場合心が壊れてから4年くらい無駄に耐えちゃってました。今は離婚済ですが更に2年掛かりました;;
いまだにフラッシュバックに苦しめられますが今のなんでもない毎日が幸せです。
幸せになりましょうね!