私の顔をわしづかみにした夫は、
さすがに、まずいことをしてしまったと気付いたようで、
すぐに私の顔から手を離して、
今度は私の頭を自分の胸に引き寄せた。
「すまん・・・どうかしてた・・・
お前が、わかってくれへんから・・・
頑張ればいつか伝わるって思って頑張ってきたのに、
否定された気がして・・・。」
私は、固まったままだった。
言われたことを整理して、自分の中で、
対応について考えるべきなのに、
何も考えることができず、
ただそこに立ち尽くすことしか、できなかった。
「俺は、不完全な人間なんや・・・
お前がいないと、ダメなんや・・・
俺を捨てないでくれ・・・
お願いやから、戻ってきてくれ・・・
寂しくて、寂しくて、死にそうなんや・・・」
今振り返れば、これは明らかな
「脅し」のあとの「泣き落とし」であり、
簡単に説明がつくことである。
けれど渦中にいて、必死な自分にとってみれば、
客観的にお互いの間柄を見つめることなど不可能だった。
屈強な相手が激昂したり、うろたえたり、
泣き言を言ったりと、目の前で七色に変貌するその状況の中で、
私はやり過ごすためにどうしたらいいか、
考える事もできなくなっていた。
もちろん、夫の言葉に返答することも、できなかった。
私を強く強く抱き締めながら、
夫は泣いていた。
どうしても戻ってきてくれない、
突然出て行った妻に、
追いすがる俺を演じていたのだろうか。
かわいそうな俺を演じることで、
「かわいそうだから、戻ってあげる。」と
私が折れてそういってくれることを、
願っていたのだろうか。
私はただただ、狭い玄関で、
心を「無」にして、
嵐が去るのを待っていた。
私は、心を「無」にすることに、慣れていた。
幼い頃から、
母親が自殺未遂を繰り返したり、
父親に暴力を振るっては泣き喚くところを見ていたし、
母が、幼い弟や妹を罵倒したり虐待するところを見てきた。
ちゃんと、心からの叫びに反応して、
思ったことを伝えたり言ったり表現したりする子は、
生きていけないような環境で成長した。
そこでは、
思ったことを封じ込め、
感じたことを忘れ、
痛みに鈍感になる能力が必要とされた。
安らぎや、愛情や、受容される喜びなど、一切知らず、
ただ、サバイバルな生活の中で、生きていくのが精一杯だった。
母は、酔うと「死ね、みんな死ね」と言っていた。
だから、いつ死んでもいいと、つい最近までそう思ってきた。
自分の感情など、肉体など、たいして価値のあるものではない。
自分を生んだ人がずっとそう言い続けてきたのだから、間違いはない。
だから、私の思いを、
「無」にすることなど、たやすいことだ。
心を無にした状態で、唇を吸われた。
強く吸われた、気がする。
狭い玄関の、ビニールクロスの壁に押し付けられて、
そのまま、胸をもみしだかれた。
痛くもかゆくも、感じるわけもない。
そこに居る自分は、今は感情のないただの人形で、
肉体の一部を夫に貸し出ししているだけだった。
夫は、私の唇を激しく吸いながら、
体を激しく抱き寄せたり、胸を掴んだりしていたが、
私があまりにも無反応なので、
涙と鼻をすすりながら、私から離れた。
ええかっこしいの夫が、
目の前で、醜態を見せてしまったことを恥じていた。
「すまん、もう帰るわ。」
もう一度、私を強く抱擁し、
夫は玄関から出て行った。
外で走り去る足音と、車のエンジン音がした。
私は、ドアに鍵をして、
リビングに戻り、ソファに座り込んだ。
何が起きたのか。
何が起きたのか。
何が起きたのか。
考える事も、泣くこともできず、
誰かに電話することも、メールすることもできなかった。
ただ私は、人形になったまま、そこにへたり込んで、固まって、
知らぬ間に眠りに落ちていた。
朝息子が起きて、私を揺り起こすまで、
私はソファでガチガチに固くなったままで、
眠っていた。
「ママ、おなかすいたよ。」
にっこり笑う息子を、私は抱き締めた。
どんなことが起きても、毎日容赦なく無常に朝が来て、
次次と、しなければならないことが押し寄せて来る。
時には日常に紛れたほうが楽なときもあるが、
こんな日は、つくり笑顔を浮かべることすら、しんどかった。
子供達のために作った、
味付け海苔を巻いた小さなおにぎりを一つ、
頬張ったとき、ようやく、涙がこぼれた。
私はキッチンに座り込んで、子供達にわからないように、泣いた。
子供達を保育園に送り、帰ってきた私はへたり込んだ。
私は、夫に脅されたんだ。
「生活費を支払うのをやめる。」
「子供を返せ。」
そうすることで、私に戻る意思がないにもかかわらず、
無理矢理私を動かそうと脅したんだ。
カウンセリングを受けようが、
どんなに反省しようが、
人の本質なんて変わるわけがないんだ。
まして、夫は、私を脅した後に、怖がる私の顔を掴んだじゃないか。
相手が自分の思い通りにならずに、
それでも理解をしてほしかったら、
普通なら、ちゃんと根気よく説得するものなんじゃないか。
あんな風に、怒鳴ったり、脅したり、するもんじゃないはず。
モラルハラスメントの加害者は、治らない。
さんざんネットで調べて、私はそう知っていたのに、
どこかで一縷の望みを抱いて、期待していたのだろう。
もしかしたら、また一緒に暮らせるかも知れない。
そうすれば、私はともかく子供達は間違いなく、
今より幸せになれるだろう、
そんな風に思った私は、大馬鹿だった。
大馬鹿で、大甘だった。
いつまでも、そんな風に迷っている場合じゃない。
ちゃんと、初志貫徹して、離婚しなきゃ。
やっぱり、夫とはやり直せない。
やっぱり、あの家に戻ることは、できない。
夫は、愛する能力のない人だ。
人を傷つけることはできても、
愛することはできない人だ。
きっと、この決断は正しいはずだ。
保育所の、保育課の松田さんという女性の言葉を思い出していた。
「そんなことやったら、とりあえず籍だけ抜いて、
離婚したらいいのに。
やり直すなら、1年後でも2年後でもできるやん。
私も母子家庭。私一人で息子を育ててるけどね、
行政の支援なしで、2人の子育ては難しいよ。はっきり言ってね。」
そうだ。
とりあえず、離婚しようと夫に伝えよう。
やっぱり、やり直す自信がなくなったと、はっきり伝えよう。
離婚協議書を作って、条件面も整えて、
離婚届も用意して、話してみよう。
翌日一日考えた私は、離婚協議書を作成した。
かつて、あらゆる特殊な契約書を作成する部署に居た私にとっては、
離婚の協議書作成なんてた易いことだった。
夫と自分の、2通を用意した。
離婚届は、双方がすでに署名捺印したものが存在したが、
子供達が保育園に入所する際、
住民票を違う市に移してしまっていたから、
新たな離婚届が必要となると思ったので、
一枚新しい離婚届を貰いに市役所へ走った。
「私は、間違っていない。」
そう確信した私は、保育課の松田さんに会いに行った。
「やっぱり、離婚しようか思います。」
「そう、そんなことがあったん。
そりゃ、やっぱり、ご主人アカンわな。
ま、お互いのために、今のままの保育料じゃやっていけないし、
児童扶養手当も児童手当も受けたいからって、
それで10万以上も(保育料が合計58000円、手当て合計57000円)
違うからって話したら、わかるんちゃう?
別居してる状態と、離婚した状態と、対外的には同じやもん。」
「そうですね。そう話してみます。」
「うんうん、児童扶養手当の担当の人には私が話しておくから、
もし離婚できたらまたすぐに来てね。
支援は、手を伸ばさないと受けられないから、
ちゃんとこれからも情報を聞きに来てくれた方がいいからね。
仕事も見つからなかったり、収入が少なかったりしたら、
生活保護課に紹介するから、当面だけでも支援受けたらいいからね。」
「何かと、親身になって頂いて、嬉しいです。
ほんまにありがとうございます。」
「うん、なんかね、あなた見てると、昔の自分思い出すんよ。
うちもDVでさ、その・・・ダメになったからさ。」
「そうだったん・・・ですか。」
ほろほろと、涙が溢れた。
普通に生活している人たちにしてみれば、
大変な状況に居る人に優しくすることなど、た易いことなのかも知れないが、
一人で脱出を果たして、
子供達とサバイバルな生活を送っていると、
どうにも、少し他人に優しい言葉をかけられるだけで、
涙腺が緩んで仕方がなかった。
何か言おうとしたけれど、
私は泣けて言葉も出なかったので、
そのままお互いに会釈をして、市役所をあとにした。
その頃の私は、
これだけのことがあったんだし、
離婚届も一度書いてくれているのだから、
きっと夫も私の離婚したいという意志をわかってくれるだろう、
と、とことん甘い考えで居た。
だから、離婚調停のことなどさらさら念頭になく、ましてや裁判なんて、
モラハラ同盟に書き込みしている人たちは大変だなぁと、
自分の夫はそこまで酷いモラではなくてよかったなどと、
果てしなく甘い読みのもと、そう思っていた。
連休から1ヶ月経過して、6月にさしかかっていた。
あの夜以来、1週間が過ぎていた。
私は、勇気を出して、夫にメールした。
「話があるので、時間を作って下さい。」
フラバした方、ごめんなさい。
「自分を大切に」と言い続けているのは、
さんざん自分を粗末にしてきた私です。
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ただ怯えて何も言えなかった私とは大違いです.
「自分を大切に」という言葉,重いですね.
他人が自分をどう言おうと,自分だけは自分の味方でないといけないですよね.
でも,それすら許さないのがモラル・ハラスメントだと思います.
「お前は俺の思い通りに動けばいい」
「お前の都合や気持ちはどうでもいい」
人間をロボット化する,ある意味洗脳ですよね.
結局,モラハラ加害者が望むのは,自分に都合のいい偶像でしょう.
アニメキャラを見て「萌え~」とか言ってる人の方がまだ健全だと思います.
(すいません,毒吐きました)
「自分の幸せの道」をでした。
でも、大丈夫。
そう、「思い通りに行かなかったら、モラハラ、暴力をふるう」、でなくて、「相手が理解できるように話し合う」のが普通ですよね。
たとえ、夫婦であっても、いえ、夫婦だからこそ・・・
私も最近は絶対負けずに「間違っている」ことは「間違っている」と、主張してます。
これからどうなるやら・・・
まっち~さんの続きも、どきどきしてみてます。
他の被害者の方はもっと壮絶で。
で、そんな私がモラハラを語っていいのだろうかと。
でも、まっち~さんもモラハラ同盟の書き込みを見て、同じことを思われていたのですね。
少し、気持ちが後戻りしそうになっていますが、また頑張れそうです。
しかし、まっち~さんの記事を読むと本当にドキドキが止まらないです。
でも読まずにはいられないです。
気持のゆれがよくわかり、バクバクが止まりません。
私自身は、まっち~さんは、とても
強くて、自分の確固なる信念を持って行動している
イメージをずっと、受けていたのですが、
実は、いろいろ本当は迷われた末の判断だと
いうことがわかり、私の迷う気持ちは当然なのだと
感じています。
>そんなに気にいらんのやったら、お前自分でやってみろ。
>そのかわり金も渡さへんし、俺ももうここには来ないし、
>そんないい加減なやつに子供達任されへんから子供ら連れて帰るわ。」
この部分は、激しく同意です。ケーキを持ってきて、
復縁をしてくれるものと思ったのを拒絶されると、
本性が出てくる。この辺の部分は、モラがわかる人なら、リアルすぎるほど分かる点です。
後は、保育科の方など、援助してくれる人にも、
恵まれていると感じました。まっち~さんの
人柄かもしれませんが。
昨日たまたまこのブログに辿り着き、全て読ませて頂きました。男ながらに泣きました。
本当に本当にお疲れ様でした。良く頑張られましたね。必ず幸せになって欲しいと思いました。
私がなぜこのブログに辿り着いたかと言いますと、実は全く逆のケースで、妻に無視されているのです。もうそんな生活が1年続いています。
原因はわかりません。妻に聞いても答えてくれません。
私は完璧な夫だとは口が裂けてもいえませんが、DVは当然のことながら、妻に対して人格攻撃をしたことなどありません。
主婦業の厳しさも良く理解してるつもりで、妻には感謝の言葉と、自分で出来る家事はするなど、サポートはしてきたつもりです。
なぜ、そのようになったのかも分からず、精神的におかしくなりそうです。ただ、私も逃げるわけにはいけないので、こちらのブログ等も参考にさせて頂いてがんばります。
それでは失礼いたします。
夜中に怖くて隣の家にはだしで助けを求めに走った記憶がかすかに残っています。
わたしは7歳、弟が3歳の時に両親は離婚しましたが、ほっとしたことを覚えています。
大人になり、結婚した今、時々、今度はわたし自身がモラ人間じゃないかと冷や冷やすることがあります。暴力こそ、振るいませんが。
夫にひどいことをしているなと感じるときがあるからです。モラ人間は治らないのでしょうか。
子供を持つことも怖い気がします。
すみません、ここに書き込む内容でなかったかもしれません。
特に人間関係では。
でも私は、期待することは美徳だと思います。
自分が傷ついても、それでもなお期待する。
その心は非常に美しく、澄んだものだと思います。
そして、その果てに期待したものがどうしても得られないとわかって初めて諦める。
今、そういう状況になったのでしょうね。
本当に美しい行いをされたと思います。
だからこそ、今の幸せがあるのかもしれませんね☆
(勝手なことを言ってすいません)