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まちだ ひろがりネット

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町田・生活者ネットワークの活動日記

女川行、すこし詳しいレポート

2012年10月14日 | 活動
それは8月の夏休み。急に思い立ってバス会社に電話した。「女川行きの深夜バス、座席はありますか」夏休みだから無いかも知れない、それならそれでもいいと思っていたが「あります」との返事。8月14日。

町田市が女川町の災害がれきを受け入れて焼却すると聞いていた。それに反対する声がある。さて、行ってみれは少しは事情が呑み込めるかと、そんな単純な動機だった。

2日後の深夜、渋谷マークシティのバス停から出発。座席はほぼ満席。初めての深夜バスは座席は3列、寝る、という表現もあながち大げさでないくらいリクライニングできる。熟睡したつもりもないが、いつの間にか福島を走っていて、気がつくと石巻に着いていた。8月17日早朝である。

石巻からJRの臨時代行バスに乗り女川を目指す。

女川の終点は女川運動公園。そこは山を切り拓いた高台で、仮町役場が近くにある。朝の8時ごろ、まだ開いていないのを承知で行ってみるともうドアは開いていて女性がお掃除中。かくかくしかじか、と道を聞くと、知り合いがいる訳でもないのに一人で女川に来た私を気遣ってか、親切に教えてくれた。役場の人間が来たら詳しく分かるかもしれないからまたおいで、とも言ってくれた。結局、再び訪れることは無かったのだけれど。

私が目指すのはもちろん、がれきの山。事前に聞き合わせした時、もうそんなに無いよという話もあったし、沢山あると言う話も聞いたので、とにかく見に行く。女川の町は小さい。目指すところに迷うこと無く着く。

何枚か写真を撮るが、たしかにかなり片付いているので、がれきの山を目で捜した。これぞと近づくと、まだまだ漁具らしきプラスティックの網やら箱やら混じったまま、それが夏草におおわれている。実は、後でこの山の反対側を歩いたとき、山が案外大きくて、トラックが登れる道までついていたことが分かるのである。

移動する。
町はがれきに埋もれて、という光景はもう無かった。きれいに洗い出されたような基礎が元の区画を示していて、在りし日の整然とした家並を想像させる。左右に山の迫る女川町。この狭い地域にこんなきれいな町並みがあったのだ。津波はこの山あいをどこまで駆け上ったんだろう。

ゆるゆる登り、左右の山がますます近づいてくるその向こうに、仮設住宅があると知らされた。行ってみたい。でもさほどの心構えも、予定もしていない気分ではうかうかと人の生活に近づけない、そんな気がして、遠景を撮影するだけにした。

そうしてまた歩く方向を変えた。目指すは港。

港に向かうと、資材を運ぶのかがれきを運ぶのか、大きなダンプトラックがもうもうとほこりを立てて走り抜ける。危ないから気をつけてと言われたことを思い出す。この道筋で、宮城県原子力防災対策センターと宮城県原子力センターが並んで大きながれきと化している前を通る。あ、女川原発。どうなったのかな。

港は確かに沈下していた。満ち潮のとき海水が乗り込んで来ている痕がある。岸壁の整備も未だこれからだ。そしてまだぽつんぽつんと残っている建物の残骸。ここに至って少し違和感を持つ。すっかりがれきが片付いた風景の中にあるからだ。

それから、港を離れて反対の山側へ。津波のたどり着いた高みをなぞるように、擁壁を伝う階段を登った。手すりがまがり、外れ、ごみがからむ。こんなところまで、と思って目を転ずると港はずっと下になっていた。この時初めて、海の向こうから来る津波の大きさを想像した。恐怖を少し味わった。

女川町はその時、粉々に砕けたけれど、今は確かに復興に向かっている。がれきはさっぱりと片付きつつあり、山腹の医療センターに人びとがやってきている。もう、悲しむだけの町ではない。港の設備も少しずつ整い始めている。そう遠くないうちにまた人々の集うまちができるのだろう。

ただし。近くの女川原発を忘れてはならない。
今回の地震津波で、原発そのものはあと(あわや)80センチというところで直接波をかぶらずに済んだのだそうだ。
しかし、いわゆる原発事故の防災センター(オフサイトセンター)は全くの廃墟。仙台市内の仮設センターで代行か?

そして、原発に安全はないと分かっている。女川町はすぐそばに原子力発電所のある町なのだ。

最近、カタールの資金援助で冷凍冷蔵庫が完成、サンマ漁期に間に合ったというニュースが伝わった。



監査請求、はてな

2012年10月11日 | 活動
町田市は11月から災害がれきの焼却を始めるということです。

被災地支援は、ひとえにがれきの広域処理のこと?という素朴な疑問は置いといて。

わざわざ女川から運んでくるからには、選別の手間、運ぶ手間、放射能の計測の手間、あれやこれやで
すごく経費がかさんでいます。まあ、生産地から消費者まで、中間に市場やら卸問屋がいくつもからむに似ているから、
それを利権と言わないでみんなで分け合う、と言えばいいのかもしれないけど。

とにかく助け合うんだ、情けは人のためならず、町田市民にもこんな優しさがあるんだなどと
そんな甘い絆に酔いしれるあまり、実はうっかりと法律を侵しているかもしれない。
その恐れを住民監査請求として町田市に請求したのでした。

それぞれの自治体がそれぞれの自治体内のごみは自分で処理するという、地方自治法の域を出て
特別によその自治体で処理してよろしいとされた特措法。(東日本大震災により生じた災害廃棄物の処理に関する特別措置法)
国が特別に責任を取って、(この地方自治法の定めを超えて)処理できるようにします、という。
収集、運搬にかかる費用も国が持ちます、という。
そのほか、国が講ずべきものとして、災害廃棄物の活用、復興のための施設整備、アスベスト対策、
海に流出した災害廃棄物の処理指針、災害廃棄物処理の統一的指針などなど、書いているけどやってるのかしら。

さてさて、もちろん特措法といえども、各地方自治体がお願いすると言わない限り、国が一方的にやるとは書いていません。

だから引き受け側の自治体も引き受けましょうと言わない限り、引き受けなくていいんです。

ともあれ、町田市長は東京都市長会で引き受ける、と応えてきました。
市長の心意気ですかね。市民の迷惑顧みず、ですよ。
市長のやることはなんの定め(条例とか)もなくて、いいのでしょうね。

そして、4者(宮城県、東京都、女川、東京都市長会)の合意書でこの焼却という自治事務をやろうとしている。
ええっと、市長会って任意団体(ある種、井戸端会議)ですが、契約を結べないと聞いています。
それなのに、この合意書って言うある種の契約ですけど、印鑑押して、成立!なのかしら。
町田市がやりたければ、町田市が直接契約を結ぶのでなければおかしくない?
4者で合意、というのもなにやってるのかわからない。
4者で合意したことがどんな効力を持つのやら。

そのあたりから町田市の行動に疑問があり、そこで住民監査請求をせずにはおられない
町田市民たちだったのでした。

(お)







市議会傍聴

2012年09月07日 | 活動
新庁舎で初の開催となる 9月議会を傍聴しました。
3階の受付を通り 傍聴席に向かいますが バリアフリーではないのかな?と思いつつ階段を一階分昇ります。
(階段の裏にエレベーターがある、と後で聞きました)
素敵だけど重い扉を開いて入場しました。
席には20人ほどの傍聴者が。
新しい建物に特有の化学物質が私には感じられ 少し呼吸が浅くなります。
新庁舎で勤務する方は大丈夫かと 気になるところです。


わたべ真実は月曜の6番目に一般質問します。
多くの方に傍聴して頂きたいと思っています。

                       (じ)

女川町広報広聴係長さんとのQ&A

2012年08月25日 | 活動
先日の女川レポートを書きながら湧いてきたハテナ?を問い合わせたところ、
本日(24日)、広聴係長さんからお返事がありました。ご紹介します。
水の涸れた川は、「入沢と止野川が合流して2級河川女川になります」と回答いただきました。

Q1 がれきの山のうち、何割が東京向けですか?
A.選別後の可燃物のみなので、搬出総量で61、000トンを予定しています。

Q2. いつ頃終わりそうですか?
A.平成25年3月までに、一次仮置き場のガレキは無くなる予定です。

Q3 がれきの山で自然発火の恐れを実際に感じたことはありますか?
A先日、高温になっているガレキの山が一部ではありますが、確認されました。

Q4 不法投棄は、どんなものがあるのですか?
A 家電類が中心です。

Q5 コンガラという表示ですが、資源ですか?用途は?
A コンクリート殻は全量、地盤沈下した道路などの埋め戻し材として再利用しています。
 陶器類も埋め戻し材として再利用しています。

Q6. 災害がれきによる埋め立ては考えられませんか?
A 廃棄法上、がれき(ごみ)を使った埋め立ては難しいと聞いています。

Q7. 宮城県原子力防災対策センターが壊滅しています、再建されていますか?
A 現在、仙台市苦竹に仮設的に機能を移転しています。

Q8. 見学当日(17日)、同センターが何かの会場になるようでしたが?
A 8月から解体すると聞いておりますので、準備をしていたのだと思います。

Q9. 破壊された建物のうち未だ撤去されない建物は何故残っているのですか?
A 災害遺構として保存を検討していますが、決定事項ではありません。

Q10. 女川町に「危険」物を大量に扱う事業所はありましたか?
A ありません。ただし、漁船の燃料等可燃物はタンクに保存していたため、危険として扱っていました。

Q11. 廃棄物に混入するアスベストが問題になっていますが。
A 古い水産加工工場などには、スレート状のものが使用されていたと考えられますが、数は不明です。
 生活環境でのアスベスト調査を環境省で行っていますが、異常値は検出されていません。
 東京都内に運ばれる可燃物の選別施設内でも測定しましたが異常値は検出されませんでした。
 選別行程では、アスベストを含有する恐れのあるものの手選別除去を徹底しています。
 安全側に考えて、疑わしいものはすべて取り除いています。

Q12. 町田市で焼却しているごみからも放射性物質が検出されます。あまり変わらないのだから
 受け入れても同じことだと東京都も町田市も市民に説明します。その通りだと思われますか?
A そのように解釈しています。
 東京都に搬出される可燃物については、3回の放射線測定が行われています。
 その情報については、東京都環境局のホームページで毎日更新されています。
 女川で測定された可燃物については、その日のうちに更新されます。その可燃物は翌日または
 翌々日に都内に運ばれるので、都内に入る前に情報が公開されている状況です。

Q13. 廃棄物の処理後はどんな町づくりを予定しておられますか?
A 災害に強く、コンパクトな町づくりを目指します。詳しくは公式ウェブサイトの復興計画ページをごらん下さい。
 

中継された「平行線」

2012年08月22日 | 活動
「しっかり安全性を確保した上で、
国民生活の必要性も考えて
再稼働を判断した。」

再稼働を進めたことが、安全性を無視したということと同意だとは思わない。
命を大事にして欲しいと市民側が話したのに、全く応答もせず、そこに居るだけ。

これで金曜ごとの原発反対自然集会はますます高まることだろう。

聞き置いただけで、議論にならないところはまったく原子力村とのやり取りと同じ。
知ってるよ、国のリーダーは政治的、経済的な判断をすると。


何故わざわざこんな会談をしたのだろう。

(お)