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まちだ ひろがりネット

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町田・生活者ネットワークの活動日記

女川レポート

2012年08月21日 | 活動
渾身の女川レポート!

8月17日朝7時半頃に女川運動公園にあるバス停に降り立つ。
天気予報に反して暑くなりそうな青空。
女川町は漁の町であり山あいの町である。
女川運動公園に近い場所に仮町役場がある。お掃除の女性によると8時が始業時間だそうだ。
前もって清水地区にあるときいていた震災ガレキの置き場への行き方を聞く。

ほどなくそれらしい場所が見えてくる。丈の伸びきったヨモギのような夏草が一面を覆う。


そのなかの手近ながれきの山に寄る。脇を涸れた小川が通っているのでそこを伝ってがれき山の横に
出てみる。草は覆うわ、プラスティックも木屑も雑多に混在しているわで、長く積み置きされたまま
ということが分かる。災害がれきはにおうと思われたが、気になるにおいは無かった。
自然発火するともいわれたがその様子も見られない。


震災ガレキに似つかわしくないゴミ袋らしいものがあるなと思っていたら、なんと不法投棄らしい。
あとで、不法投棄に警告する看板に出くわした。

涸れた小川の川原にすわって朝食代わりのトマトジュースを飲む。
しばらくして数ミリくらいのアブのようなのがジュース缶の口を狙って飛んできた。
こんなにごみのあるところでわざわざ私のトマトジュース? ごみの山といってもアブ(のような)が
食すに足るものはもはや見つけにくいということか。

道に戻る。家々の基礎だったところをまたぐ。玄関のタイルの上に立つ。
ここに誰か住んでいればこんな不法なことは許されないと思って、かなしい。


少し向こうにもうもうとほこりを立てている場所がある。近づくと、警備員がものものしいマスクをして
立っている。写真を撮らせてもらう。ほこりの場所は「コンガラ」と称する不燃物の仕分け場所だ。
資源としての分別か。


山側に、仮設住宅がある。女川にもある。不思議は無いはずだが、虚をつかれた気分。
マスコミで聞いた色んな事情を思って近づけず。遠景。


町を挟みつける森林の中で色を変えて立っているのは杉と思われる。他には枯死した木はなさそう。
手前の倉庫らしき建物に「がんばっぺ 女川!」と。


方向を転換して海を目指す。道すがら、廃墟にでくわす。女川原発の「宮城県原子力防災対策センター」
と書いてある。調べてみていわゆるオフサイトセンターがこれだと分かった。
外観を残してあとは一切合切を破壊した津波の勢いが目の当たりとなる。
隣にあったのは宮城県原子力センターでやはり廃墟であった。
女川原発事情を良く知らなかったため、この光景にはどきっとした。女川原発は再稼働されるのだろうか
とも思った。




不法投棄の警告看板を過ぎ、もうもうたる土煙をあげるトラックをかわしながら港らしきあたりに着く。
建物が無くて岸壁が壊れたままの様子に、去年訪問した大船渡市三陸町越喜来崎浜という地名が思い浮かぶ。
沈下した土地に海がしみ込んでいる。転がった石の上の花束。辛い思い出がひとつ、ここにもある。




目を転じれば湾を形作る向こうの岬の麓に何かの建設が始まっている。これがうわさのサンマ漁のための
冷凍冷蔵庫か。その反対の岬側にはすでに完成した建物も見えた。


津波にさらわれた当時の写真にある建物の多くは片付けられているが、未だにぽつんぽつんと残された
建物もあるのはなぜだろう。威力を偲ぶよすがか。
七十七銀行の行員を悼む仮設の花壇があった。銀行はすっぽりと津波の下に隠れたそうである。


高台にある立派な女川町地域医療センターに行ってみる。ここまでは津波も来るまいと思われたが、
実はここにもやってきた。もともと町立病院だったが、昨年、介護施設とともに公設民営の医療センターに
なったそうである。


更に近くの山を登り(階段160段)そこにある熊野神社から女川町を見下ろす。
左下の建物が女川町地域医療センター。神社は初めそこにあった。移築されて今の高さに。
おかげで神社は津波の被害から免れた。




神社の横から下る道が参道だったらしいが、もう人が通わなくなって夏草が舗装の割れ目からも
立ち上がっている。この道を下って、女川町の中心部を後にすることにした。



石巻に行くために乗りたかったバスの次の便が3時間後と分かった。
女川までの道中、歩いてみたいと思った万石浦をこの際歩こうと決心。
これは道沿いの鉄路。何も通らないのでこの上を歩いてみた。




猛烈に暑く、汗だく。水とスポーツ飲料を交互に飲みながらの、まちがいなく強行軍。
誰かを誘わなくて良かった。

知りたかったことが判明した訳ではない。しかし、知りたい現地には行くものだとは思った。


(お)


「薄汚い左翼は国有地を占拠するな~」

2012年08月09日 | 活動
太平洋戦争でロシアが参戦した日ということで 街宣車が霞ヶ関を走り
午後には10台ほど連なって 経産省前テントにこんな言葉を浴びせていました。
「原発稼働さんせ~い」と車のマイクでシュプレヒコールも。
警察も20台以上の車両を出す警戒体制で 一帯はものものしい雰囲気でした。


今日は グリーンのNO NUKEのバッチを買いました。
また行こう。

7.29 日比谷公園デモ

2012年07月30日 | 活動
猛暑の炎天下 参加しました。

少し話したひとは 埼玉から来た女性で デモは生まれて初めてだとか。

このごろはメディアの露出も多くなり 普通の市民が参加しているとの認知が広がっているようです。

長野から来たという女性のグループもいました。

いろんな旗やアピールのボードが賑やかです。

組織のや手作りや … 「どじょうには 音に聞こえる 人の声」 うける~♪

参加した2時間の間 ずっと「もんじゅくん」のうちわで扇いで暑さをしのぎました。


                           
                              (じ)

街づくり通信コア 121号

2012年07月30日 | 活動
鶴川駅、玉川学園前駅、町田駅前で わたべ市議とネットメンバーが広報紙を配りました。

朝の玉川学園前駅では過去最高の枚数を配ることができ ネットの活動に関心を持って下さっている方が増えているように思えます。

また、町田市の全世帯には配れていませんが 多くの方々のご協力で、たくさんのポストまでお届け出来ています。

暑さが厳しいですが 多くの方にお届けしたいと思っています。





                           (じ)

環境や食品の放射能を市民が測定する意義

2012年07月24日 | 活動
放射能の測定。
こんな専門知識を要求するような分野に、普通の市民が取り組みはじめています。
当然きっかけは3.11の原発事故です。
その際、国の発表は気休めを主にされたものであったこと、
従ってつねに情報が真実である必要すら政権側(と官僚ほか)は認めなかったことを知りました。
そしてわれわれは長きに亘ってその類いの発表に安んじてきて、真実を見る努力をしなかったこと
などに深い反省を持つようになりました。

我々は従順なだけの国民ではなく、自立する市民であると自覚することになりました。
手元にある限りの専門家や専門知識に近づき、利用し、誰かが発する気休めに対抗する必要を感じています。
気休めはいっときしのぎ。それがあとに来る危機を見逃すきっかけになってしまいます。

国の発表や、意図的な(さりげなく気休めに誘導する)報道に対して、
市民は感覚を研ぎすましておくために、自ら真実をつかむ努力をする必要を感じています。
その努力を惜しむと、またまた旧来の国民に返ってしまいます。

空間線量計はわりあい入手しやすいものでした。
かなりたくさんの人がそれなりの線量計を手にしています。
そのことで、器械由来の値のばらつきのことや、測定できる能力に差があることや、
測る場所や条件や測り方によって同じ器械を使っても測定差があることなど、多くのことを学びました。

いま、公といわれるところが発表する数値を有為だと市民が判断できるのは、
自ら測り続けた実績があって、それと照らし合わせる力があるからです。
また逆に、市民がそれをするのでだれもおろそかな計測はできません。

同じことが、食品検査にもあてはまります。
これからの子どもらにすこしでもベクレル数の低いものをという母親たちの悲願。
一方で、誰かが定めた基準に沿って一斉に計測しているのだから、
これ以上不安がるのはおかしいという言葉が市民の間にも聞かれます。

前段を読んでくださった方には、この考え方が陥っている罠が見えるのではないでしょうか。

食品の放射線量を測る器械は、空間線量計に比べて高価です。
簡単に入手できないことで、市民が自ら測り続けることのできない現状となっています。

だから皆で協力して市民による放射能測定室をつくりましょう。
いつでも誰でも使えるように、オープンな場所を作りましょう。
わたしたちは今こそ市民です。
皆で助け合って、自ら判断する力を身につけます。

(お)