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歴史と旅と少しのグルメ

ぐんまを中心とし、日常の気ままな話題を書き込みます。

鎌倉ぶらり旅2(源頼朝の墓)

2014年01月13日 | 歴史

鎌倉の鶴岡八幡宮の近くに幕府を開いた源頼朝の墓があります。

頼朝の墓も静かなところにひっそりとありました。

江戸時代までは祠があったそうですが、神仏分離でなくなったそうです。

武家最初の征夷大将軍として、その後の源氏性を名乗る大名達に敬意を払われてきた人物の墓にしては簡素なものです。

鎌倉は京都と比べ、寺院も派手な装飾は少ないですね。

私は武家らしくて好きです。

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2013 ぐんまちゃん大活躍でした(ぐんまちゃん家 )

2013年12月29日 | 歴史

今年もあとわずか。東銀座のぐんまちゃん家も多くの方に来場いただきました。

昨年に比べて、来店数、売り上げも2倍近く、ぐんまちゃんも毎日店頭に出て、大人気でした。

4月の歌舞伎座オープン直後、裃(かみしも)すがたのぐんまちゃんがフジテレビスーパーニュー

スなどテレビにたくさん取り上げられ、夏には24時間テレビでふなっしーなどのゆるキャラと競演

秋には歌舞伎の演目で有名な忠臣蔵の衣装で毎日ぐんまちゃん家に登場し、たくさんの人

に愛されました。

来年はうま年、皆さん、ぐんまちゃん、ぐんまちゃん家のますますの飛躍をお祈りします。

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国立競技場 最後の早明 ラグビー 2013

2013年12月02日 | 歴史
建て替え前最後の早明ラグビー。久しぶりに満員の観客。
試合は早稲田が勝ちましたが、最後まで、緊迫した展開でした。
試合後、ユーミンがノーサイドを唄い、皆が最後の試合を堪能しました。
思い出となりました。
感動!
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忠臣蔵ぐんまちゃん(吉良邸跡)

2013年11月10日 | 歴史

今日は寒かったですね。めっきり冷え込んできました。

東銀座のぐんまちゃん家前の歌舞伎座では仮名手本忠臣蔵が上演されています。

この演目は、赤穂浪士の討ち入りを題材にしています。

現在の両国駅近くの吉良邸に主君仇討ちのため、討ち入りした47士は300年経った今も日本人に語り継がれています。

旧吉良邸は一部保存され、多くの人が訪れています。

ぐんまちゃん家でも今週半ばから赤穂浪士の衣装をまとったぐんまちゃんが登場する予定だそ

うです。

年末の風物詩、忠臣蔵をぐんまちゃん共々味わいましょう。

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吉良邸跡

吉良上野介座像

今年春先のぐんまちゃんの裃(かみしも)(もうすぐ赤穂浪士姿が登場)

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東京歴史旅(音羽 鳩山会館・目白 田中邸)

2013年11月08日 | 歴史

前回、護国寺をご紹介しましたが、今回はそこから歩いて15分、音羽通り沿いにある鳩山会館に行ってきました。

ここは、戦後日ソ共同宣言を行った鳩山一郎元総理の邸宅です。

戦後歴史の舞台として使用された場所で、音羽通りから入った高台にあります。

現在は1階、2階、庭が公開されています。

庭には秋バラが咲き、和洋折衷の建築様式は見応えがあります。

秋の散策にはおすすめのコースです。

また、ここからすぐ近く、目白には旧田中邸があります。ここは、権勢を誇った田中角栄氏の邸

宅で、死亡後敷地一部は物納のため公園となっています。

戦後の政治の歴史を彩った2人の首相の邸宅が近くにあるのもおもしろいですね。

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東京歴史探訪(護国寺、大隈重信墓 他)

2013年11月04日 | 歴史

今日3連休の最終日。

朝から不安定な天気です。通勤途中にあり、前から行ってみたかった護国寺に行ってきました。

このお寺は5代将軍、生類憐みの令で有名な綱吉の母、桂昌院の発願で1681年に創建されました。

元禄時代の工芸の粋を集めた本堂は重要文化財です。

後には将軍家の武運長久を祈る祈願寺となったそうです。

江戸川橋から護国寺までまっすぐ伸びる音羽通りは当時造成されたお成り道で当時の権勢がうかがえます。

明治期以降徳川家との関係が絶たれ、一般人の墓所を造成しました。本堂右脇には三条実美、山県有朋、大隈重信など明治時代に活躍した方が眠っています。(写真順)

どのお墓も門があり、大きいのですぐわかりますよ。

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東京江戸探訪(忠臣蔵、泉岳寺)

2013年10月31日 | 歴史
泉岳寺
今年もあと2カ月、東銀座、ぐんまちゃん家前の歌舞伎座では明日から年末まで忠臣蔵が2ケ月にわたり上演されます。
そこで大石内蔵助他47士が眠る泉岳寺に行って来ました。
藩主が刃傷に及び、お家断絶、2年余り同士を募り、吉良上野介を討ち果たしました。
300年経っても受けつがれるこの歴史上の史実には、日本人の魂を揺さぶるものがあると思います。

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東京ぶらり旅(東京国立博物館、考古展示室、平成館)

2013年09月27日 | 歴史


秋めいてきて外に出てもすがすがしい季節になりましたね。

こんな時期は博物館見学も一考です。

以前から行っている東京国立博物館はおすすめです。

特に、考古関係資料に興味があります。

以前は表慶館という建物で展示されていましたが、現在は新設された平成館1階にあります。

石器時代から近代まで、教科書で見た貴重な作品がみられます。

土偶、銅鐸、国宝で群馬県太田市出土もある武人埴輪など貴重なものばかりです。

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亀ヶ岡から出土した土偶(重文)。モデルは宇宙人ではないかと本気で思っていました。

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香川県出土の銅鐸。国宝です。

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群馬県出土の武人埴輪(国宝)。端整な顔立ち、姿は見る人を引きつけます。


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東京ぶらり歴史旅(世田谷、松陰神社)

2013年09月15日 | 歴史

先日、井伊直弼の墓をご紹介しました。

その直弼に安政の大獄で処罰された吉田松陰を祀る松陰神社に行ってきました。

松陰はアメリカ、ペリーの軍艦に密航を企て失敗、国元へ送られ、その後許されて、松下村塾を開き、人材育成に努め、幕末維新を成し遂げる多くの人材を育てました。

しかし、井伊直弼が大老となると、攘夷派に対する締め付けは厳しくなり、1859年10月27日、処刑され、29歳でなくなりました。

松陰が安政の大獄で亡くなった4年後の1863年、高杉晋作など門人によって小塚原にあった墓が当地に改葬されたそうです。

直弼の墓がある豪徳寺から松陰神社まで約1kMほど。幕末の政治体制の変わり目となった、事件、人物がわずかな距離で眠っているのは、不思議で、歴史の皮肉さを感じますね。

才能ある人物が多くなくなり、維新も10年遅れたといわれますが、その最たる人物であったと言えると思います。、

毎年10月末には松陰神社例大祭に合わせて『幕末維新祭り』が開催され、多くの人で賑わっているそうです。

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松陰神社。正面。多くの人がお参りしていました。

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吉田松陰像。昨年設置されたそうです。

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松陰の墓。ひっそりと眠っています。

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境内には松下村塾も復元されています。

東京都世田谷区若林4丁目35番1号


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新撰組(近藤勇の墓、板橋駅前)

2013年06月03日 | 歴史

本当に梅雨入りなのでしょうか。あんまり雨も降りません。今年も6月に入りましたが、いままで地元前橋も30度を超えた日がありません。

例年だと、5月~6月で数日はありますが。。。

暑がりの私にとってはありがたいですが、暑いときは暑くないといろんな生態系に影響が出ますね。

そんな中、先日東京都内をぶらりと散歩してきました。

以前、日野市の本陣など新撰組関連の記事をご紹介しましたが、今回は、幕末に新撰組の指導者として名を馳せた板橋駅前の近藤勇の墓に行ってきました。

近藤勇は、幕末の鳥羽伏見の戦いの後、自ら偽名で新政府軍に投降しましたが、身分が発覚し、この板橋の地で処刑されました。

この地に亡骸が埋葬されているわけではありませんが、後日、この墓を建立したのは、新撰組の同士だった永倉新八です。

近藤や副長の土方歳三とは長い間修羅場を共にした同士でしたが、意見が合わず新撰組を離れましたが、二人の死を悼み、明治期になってこの地に墓を建立しました。

新撰組をよく知る永倉の残した日記はその実態を知る上で貴重な資料になっています。

江戸幕府の治世が大きく揺らぐ中、旗本や御家人ではない身分の近藤らが一時とはいえ、幕府の延命に貢献し、歴史に名を残したのは確かです。

大きな時代のうねりの中でその行動が明治維新を遅らせたという批判もありますが、自分のやれる限りのことをやり、散っていった新撰組が未だに愛されるのは、その純真な思いに多くの日本人が惹かれるからだと思います。

大きな四角柱の墓石には、近藤勇と共に土方歳三の名前が刻まれてます。亡くなった場所は板橋と函館と別れていますが、永倉は2人を一緒に弔うことで自分の人生にも区切りをつけたかったのだと思います。

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板橋駅前の近藤勇の墓。

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近藤と土方の墓。亡骸はありませんが、永倉が明治になって建立しました。

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裏には近藤と土方の没年月が刻まれています。

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